足並みは必ずしも、きれいにそろっていたとは言いがたい。だとしても、不穏な国際秩序の中で、守るべき普遍的な価値を確認した意義は大きい。

 ベルギーで開かれた主要7カ国(G7)首脳会議が、自由と民主主義をうたい、ロシアを非難する首脳宣言を採択した。

 ウクライナのクリミア半島を一方的に併合したロシアをはずし、G8からG7へと、16年ぶりに戻ったサミットである。

 各国のロシアとの関係には、それぞれ固有の事情がある。その違いを乗り越え、どこまで結束できるかが問われていた。

 宣言は、ロシアによるウクライナの侵害を「一致団結して非難」した。天然ガスの供給停止などによる「政治的な威圧」を容認できないと言い切った。

 米国が強く主張していた追加制裁については、「情勢が必要とすれば」との留保はつけたが「制裁強化などの用意がある」とすることでまとまった。

 プーチン大統領から「北方領土交渉を中断させるつもりか」と牽制(けんせい)されていた安倍首相も、「ウクライナでもアジアでも、地域の秩序に挑戦する拡張主義は容認できない」と明言した。

 ひと皮めくれば、首脳間に思惑の違いがあったのは確かだ。どの国も経済の悩みを抱えており、エネルギー確保や貿易、投資など、それぞれの事情に応じて中国やロシアなど新興国との結びつきを強めている。

 世界経済に占めるG7の重みは下がり、新興国の存在感が増している。その現実のなかで、G7やG8では、もはや地球規模の課題は解決できない。そんな限界論もある。

 だが、それでもG7は、自由で公平な社会をめざしつつ国民を豊かにした国家モデルを示していることに変わりはない。

 先進国と新興国が一堂に集うG20の枠組みもあるが、そこでは経済より他の共通項は見当たらない。国連安保理も中国とロシアの拒否権で機能しにくい。その現状を考えれば、「法の支配」の原則を唱え続けるG7の存在意義は失われていない。

 むろん、ロシアを排除したままでいいはずはない。あたかもロシアと中国に対抗するグループのようにG7を位置づけるのは、冷戦型の古い発想だ。

 対立点はあっても、深まる経済の相互依存を断つことはできない。共生こそがグローバル化時代のキーワードである。

 対話を通じてロシアや中国との距離を狭め、世界を安定させる共通利益の価値観を広げる。その知恵を絞るサミットへと、再出発してもらいたい。