政府は誰のために活動しているのか。国民のためであろう。政府が集めた情報は、国民の財産である。

 福島第一原発の事故後、政府の事故調査・検証委員会は当時の吉田昌郎所長(故人)をはじめ772人もの関係者から聴取をした。なのに政府事故調が短期間で活動を終えた後、政府は貴重な証言を死蔵し、聴取対象者も開示していない。

 改めて主張する。

 政府は証言類をただちに最大限、公開すべきだ。

 菅官房長官はきのう「本人の同意が得られたものは必要な範囲で開示したい」と述べ、関係者の意思確認を指示した。

 しかし、吉田氏の聴取結果書(吉田調書)は非開示の方針を崩していない。「本人が上申書で非開示を求めている」との理由だが、納得できない。

 吉田氏は現場責任者である。本来なら国会など公の場で自ら詳しく証言すべきところ、病気と死去でかなわなかった。

 今となっては、吉田調書は最も貴重な国民の財産だ。吉田氏自ら聴取の冒頭で「ほぼそのままの形で公にされる可能性がある」と説明され、「結構でございます」と答えている。

 後に事故調に提出した上申書で吉田氏は記憶違いを心配しているが、他の証言などと照らせば明らかになる。他者の評価などを率直に語っている点も、調書の開示ルールを作れば済み、全体を非公開とする理由にはならない。

 朝日新聞が入手した吉田調書をみると、事故調の分析は不十分とわかる。最終報告書は「東京電力が全員撤退を考えていたかどうか」との観点から証言に触れているが、所長の指示・命令が守られず、現場で指揮に当たる職員まで10キロ以上離れた福島第二原発に一時退避したという指摘は無視された。

 当時、何が起きていたのか。関係者がどう判断し、どう動いたのか、動かなかったのか。

 そもそも事故調は全容解明にはほど遠いことを認め、調査継続を強く求めていた。政府による事実上の調査打ち切りは、国民の期待に反している。

 閣僚などの立場で事故の対応にあたった民主党関係者の多くも「自らの調書を公開していい」と表明している。

 政府は証言者の意思確認で公開の意義を強調し、積極的に同意を求めるべきだ。特に事故対応に深くかかわった人は公開が原則でなければならない。

 証言類を幅広く公開することで、悲惨な事故が改めて多角的に分析されるはずだ。