「キーパーソンに聞く」

集客世界一でも日本の美術館が一流になれない理由

  • 森田 聡子

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2014年6月6日(金)

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 1つの展覧会で何十万人もの人を集める日本の美術館。“集客力”では間違いなく世界一だが、美術館文化と捉えた時、いつになってもフランスや米国にキャッチアップできないのはなぜなのか。この4月、開館4周年を迎えた東京・丸の内の三菱一号館美術館で館長を務める高橋明也氏は、国立西洋美術館の学芸員として活躍していた時代から、日本の美術館の在り方に異を唱えてきた。既存勢力へのアンチテーゼとして斬新な美術館経営を実践する高橋氏に話を聞いた。

(聞き手は森田 聡子)

高橋さんは初代館長として開館の前から美術館のコンセプト作り、スタッフの人選、展覧会の設計、立ち上げ準備などを様々な業務に携わっていらっしゃいました。そもそも、国立西洋美術館(東京・上野)で学芸部門のトップを務めていらした高橋さんが、民間の新しい美術館に転身したきっかけはどんなことだったんでしょう?

三菱一号館美術館館長
高橋 明也 氏

1953年東京都生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。専攻はフランス近代美術史。東京・国立西洋美術館の主任研究官、学芸課長として「オルセー美術館展」(1996年、1999年、2006年)、「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 光と闇の世界」展(2005年)、「コロー 光と追憶の変奏曲」展(2008年)などのヒット企画を手掛けた。2006年に三菱一号館美術館の初代館長に就任(開館は2010年4月)。1984年から1986年にかけて、文部省在外研究員として仏パリ・オルセー美術館開設準備室に勤務した経験も持つ。2010年、仏芸術文化勲章シュヴァリエ受章。『もっと知りたいマネ 生涯と作品』(東京美術)など著者、訳書多数。(写真=福知彰子)

高橋:正式に館長に就任したのは2006年なんですが、その前年頃から、三菱地所の方から東京・丸の内に計画中の新しい美術館について相談を受けてはいたんですね。ただ、国立西洋美術館での業務も多忙を極めていたので、あくまでアドバイス程度というか、その時点で自分がやろうという気は全くなかったんです。

 そういう意味では、その少し前から国立美術館が独立行政法人化したことは、一つのきっかけだったかもしれません。独立行政法人化により、フリーハンドになって、運営の自由度が増すのではないかという期待感があったわけですが、現実はそうならなかった。

 そこでわが身を振り返ると、26年間、国立西洋美術館に在籍し、ここで実現すべき展覧会は大方やり尽くしたという思いもあったわけです。このまま国立西洋美術館にいても、これまで自分がやってきた以上の仕事はなかなかできないだろう、だったら新しいことをやってみたい、と。

 幸い、三菱一号館美術館の計画には、日本の美術館に決定的に欠けているものを生み出せる可能性がありました。それを工夫しながら現実化していく作業も面白いのではないかと考えたわけです。


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