新宿の駅の階段、伊勢丹のエスカレーター、自転車で通勤するミニスカのOL。
そんなどこかにあるパンチラに囲まれながら、パンチラにはなかなか遭遇しない、そんな僕の人生。
ぐったりするような残業を毎日繰り返し、ある一種の清涼剤とでも言うべきパンチラは、なかなかお目にかかれない(意図的に見たら犯罪です)。
パンチラは意図的でなく自然な目撃である必要があるというルールがあるのだが、なかなか自分の前ではパンチラが発生しないのものだ。
僕のこれまでの人生で考えると、パンチラ発生率は1年に3回くらいだ。なんと少ないことか!
だが、全くないわけではない。4ヶ月に1回くらいはパンチラに遭遇できるということは、120分の1で「パンチラの日」という事だ。
全く期待できないわけではなく、120分の1の発生率とはとても絶妙な出現率なのである。
上司に怒鳴られ、部下から陰口を言われ、ぎゅうぎゅうの電車通勤をし、胃を痛くしながら生活している自分にとって、一種の清涼剤となる120分の1のパンチラ。
パンチラのない世界だったら、果たして僕は生き延びていけるのだろうか。
パンチラがない世界、つまり女性がパンツを履かない世界だったらどうか。パンチラでなく局部チラ、である。
街の中で局部チラを残念ながら見た経験はないが、おそらくナマナマしすぎて、清涼剤的な効果は得られないであろう。
そこに1枚のシャレオツな布があるからこそ、パンチラのパンチラとしての価値があるのではないだろうか。
全体的には同意だけど 年に3回もパンチラに遭遇できる幸運さには嫉妬する 自分の恵まれた境遇を自覚しろ