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小山 花子さん
アメリカ、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで博士号を取得され、
現在は信州大学で講師をしていらっしゃる、小山花子さんにインタビューしました。
アメリカの学会の様子や、議論を通じて肌で感じた日本との違いなど、興味深いお話をおうかがいしました。
【小山 花子さんの略歴】
1993年4月 青山学院大学国際政治経済学部 入学
1997年3月 同上卒業
1997年4月 一橋大学大学院社会学研究科修士課程 入学
1999年3月 同上修了
1999年8月 ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ(新社会研究所) 入学
2007年5月 同上修了(政治学博士)
2008年4月 青山学院大学国際政治経済学部 助教
2009年4月 信州大学全学教育機構 専任講師
<信州大学でのお仕事>
Q. まず、現在のお仕事について教えていただけますか?
A. 政治学、特に政治思想を研究しています。
その中でもハンナ・アーレントという20世紀の女性思想家を中心に研究しています。
留学したのは、彼女が教えていた大学、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチです。
彼女が生きていた頃を知っている彼女の元同僚や教え子に、直接彼女のことを聞けて面白かったですね。
Q. なぜ、ハンナ・アーレントを研究しようと思われたのですか。
A. うまく口で説明するのは、なかなか難しいんですが…(笑)。
一言で言うと、すごく思想が暗いかもと思ったんです。どうしてそんなに世の中を真っ暗に見るのかというのが衝撃でした。
数少ない女性哲学者の一人で、名声も得ているにもかかわらず、すごく絶望した社会の記述で、それが彼女自身が絶望しているようにも思えたんです。
そこに、パーソナルなレベルで共感しました。
彼女の本を読んだ当時、大学三、四年生だったのですが、将来のことなどで迷っていた頃で、やっと居場所を見つけたという感じでした。
<アメリカでの留学>
Q. 博士課程で留学をなさっていますが、いきさつを教えてください。
A. 修士課程からアメリカにいきたかったのですが、親と相談した結果、修士課程は日本で様子を見るということになりました。
結局留学したいという想いは変わらず、修士2年目のときに博士課程で留学するための手続きを開始しました。
修士論文を書き終わっていないにも関わらず、英語で要約を作成したりしていましたね。
Q. アメリカに興味をもたれたのはどうしてですか?
A. もちろん、ハンナ・アーレントとの関係もありますが、
大学時代のゼミの先生がアメリカで博士号をとった方で、その先生からアメリカの学会の話をきいていて、おもしろそうだと思ったからです。
日本の論壇の特徴というのもあると思いますが、アメリカでは生き生きと真剣勝負で議論をしている面があって、
その中からスターの理論家が出てきたり、それに挑戦する人が出てきたりして、ダイナミックでおもしろそうだと思いました。
Q. 実際に留学しても、それを感じましたか?
A. そうですね。でもまた、思っていたのとも少し違いましたね。
単に、ダイナミックでみんなが議論して知性を争っているというのを想像していたのですが、あちらにはあちらで悪い面もあります。
すごく業績主義なところがあったり、あとは、喧嘩が激しいですね。
日本では、言うことがあらかじめ決まっていて議論されなさすぎるのが問題になっていると思うのですが、
アメリカの学会では議論を本気でやるので、言葉も厳しいです。大学内の理論的な派閥争いも激しくて、会っても口をきかないなんてこともあります。
私もそれに巻き込まれたことがあるんですよ。
ある先生と話が合わないことがあったので他の先生に相談したのですが、そしたらそれを知った最初の先生が
「君にはすごくがっかりさせられた。あの人としゃべると思想的に悪い影響を与えられる。思想というのは他の人と話すと揺らぐものだから、話すな。」
というようなことを言われました(笑)。
Q. 留学して、ご自身の中にどういう変化がありましたか。
A. 世界観が完全に変化しましたね。
目からうろこという感じで、アイデンティティが変わるくらいのものすごいショックを受けましたし、一言で言うと、あちらがすごく気に入りました。
それ以前にもアメリカに旅行に行ったことはあったのですが、旅行者としていくのとは異なって、
周りの人間と真剣に付き合うことで見えてくるものがありました。
政治思想という、自分が情熱を持っていたものに関して話し合って、意見を交換するという真剣な付き合いの中で、
あちらの人の人間性を見ることができました。
その中で、西洋的な個人というのは素晴らしいと思いましたね。
個性が知的なかたちで完成されていると感じました。そういう人間との出会いがあって、すごく気に入りました。
日本では、「個性」というのが表面的なものとして捉えられていると思うんです。
自分は緑茶が好きだとか、いやジャスミンティーが好きだとか、単なる好みや直観的なものだと思われている気がするんですよね。
それに対してアメリカに行って思ったのは、「個性」というのは育てるものだし、知的なものだということですね。
いろんな知的なものや思想を知って、考えて、それがその人の意見として人格の中に取り込まれて、完成されていくという感じがしました。
ジョン・スチュアート・ミルが、社会の幸福を測るにあたって、いちばん根幹に来るのは個性が育っているかどうかだというようなことをいっているのですが、
その「個性」の意味を正しく理解できるようになったと思います。
日本では、自分はすごく個性的だと思っていたのですが、向こうにいって、自分は個性がないと思いましたね。
それは、自分の意見がない、あったとしても表面的なもので自分で発展させられていないということなんです。それは一つの発見でした。
Q. 初めての海外長期滞在ということで、いきなり英語の環境の中に入って行って、苦労しませんでしたか?
A. そうですね、大変でしたよ。専門の内容をゼミで発表するときなど特に大変でした。
でも、留学生用のアカデミック・ライティングのクラスが必修になっていて、その先生が素晴らしくレベルの高い先生だったので、
やる気を出して英語の勉強をしました。そしたら、結構よくなりました。
自分でいうのも何ですけど、よく英語で書いたものがいいって言われるんですよ(笑)。それはやっぱり最初にすごくいい経験があったからだと思います。
ブラッシュアップするというか、推敲するというか、英文を完成させていくメカニカルな作業になるんですけど、それがすごく楽しいと思いましたね。
あちらの方法はとにかく合理的にやることなんです。
例えば同じことを言うのに、1つのワードと2つのワードがあったら1つの方を取る、同じ意味の3文字の単語と4文字の単語があったら3文字の方を取る、
という風に短くするんですね。冗長な文章はダメってことなんです。
一緒に添削をするとき、これは短い表現に言い換えられるだとか、動詞と前置詞から成るイディオムを全部カットして一個の単語で表したりだとか、
そういう風にどんどんエッセイを添削していくのはすごく楽しいと思いましたね。
何が優れたアカデミック・ライティングかというルールが定まっているのもいいと思いました。
それに則って書けば、優れたライティングとして認められるんですね。
もちろん実際には、必ずしもルールが守られているわけではなくて、いろんなライティングの人がいます。
けれども、少なくとも大学院での成績評価では、きちんとルールが定まっています。
日本の大学院だとみんな優がつくんですけど、あっちの大学院ってAAとかAとかBとかつけて、それによって奨学金がもらえるかどうかが決まるんですよ。
生活がかかっているので真剣勝負になるんです。
例えばAAが欲しいのにAしかもらえなかったら、先生のところへ訪ねていって、「成績変えてください」ってエッセイを書き直すんです。
いいペーパーを書くためにはいいライティングでないといけないので、きちんとしたいい英語を書くっていうのが留学生にとって死活問題として出てきます。
そのルールがきちんとしている、こういう風に書けばいいペーパーが書けてAAにしてもらえるというのがきちんと定められていると思ったので、
それはすごくいいと思いましたね。
逆にそうしないと、お金が絡むので、けっこう醜い争いが展開されたりするんじゃないんですかね。
きちんと明確に基準を定めざるを得ないという状況だったのかもしれないですけれどね。
Q. あちらで博士号をとるということで、研究はすごく大変でしたか?
A. そうですね、あとプレッシャーがありましたよね。
私の場合は、博士号をとらないなんてありえないというくらい気合を入れて行っていましたし、
授業も奨学金として跳ね返ってきて奨学金を得たっていうのを履歴書に書いたりするんです。
あちらで学者として生きていくとき、奨学金を得たっていうのが結構カウントされるので、重要なんですよ。
あちらの授業は出席とか一切関係なく、一回も出なくても最後にいいペーパーを出せばAAがつくっていう感じです。
でも実際のところ、出なかったらわからないので、毎回出席して、1つの授業につき300ページくらいのリーディングの課題があるんです。
だから3コマ取ると、一週間で1000ページぐらい読まないといけなくなってきます。
そうすると時間があんまりないんです。特に、私を含めて日本人は英語の速読とかできないんですよね。
普通に一行目から読んでいったら絶対終わらないから、パラパラっと見て重要なところだけピックアップするとか、工夫していましたね。
そうやって、パラパラしながらだいたい内容を把握することを学ぶようになりました。
もちろん知らない単語とか今でもあるわけで、そんなのいちいち調べていたら一週間終わってしまいます。
授業ではやっぱり発言しないといけないっていうか、ディスカッションすることになっているので、読んでないとちんぷんかんぷんなんですよ。
だけど、これがまた、みんな読んでいるんですよ。最初は誰も読んでいないだろうと思ったんですけど、読んでいるんです。
先週に読んだのか、あちらの人たちすごい勉強家なので、もともと読んだことがあるかはちょっとわからないですけれど、
皆がすごく洗練されたクエスチョンを出してくるんです。
最初はすごいびっくりしました。というか劣等感みたいな感情がありましたね。
<これからについて、そして後輩へのメッセージ>
Q. 今後新たに、こういう研究をしてみたいというのはありますか。
A. 南アフリカと中東に行きたいですね。
南アフリカって今、政治的にすごく面白いんですよ。アフリカって結構重要な地域なんです。
これもアメリカに行って思ったのですが、ヨーロッパもそうでしょうけれど、アフリカに対する関心がすごく高いんです。
植民地支配などもあったので、アフリカをどうするかって大問題なんですね。
先生なんかもアフリカに行って研究していたり、思想系の人でも民主主義研究などでアフリカに行っていたりするんですよね
。私も南アフリカに関心ありますね。今、アパルトヘイト後の社会の和平と和解を研究テーマとしてやっています。
それと中東に関心がありますね。ハンナ・アーレントってユダヤ人なんです。
だからイスラエルや中東問題にすごく関心もっていた人だし、私も実際に9.11を経験したので、アラブとイスラムに興味があります。
今はまだ漠然としていますが、行ってみたい、勉強してみたいと思いますね。
Q. 最後に、留学しようか迷っている人、留学経験を生かそうとしている人にメッセージをお願いします。
A. 行きたいと思っているなら、行くといいと思いますよ。
学部の人は就職活動とか、キャリアプランに合うかたちで時間をつくって。
大学院の人は、とにかく迷っている暇があったら行けばいいと思います(笑)
だけど、行くときっていうのは、決断さえすれば行けるんだけど、帰ってきた後の方が大変なこともありますよね。
私は行ったときのカルチャーショックはなかったのですが、帰ってきたときの逆カルチャーショックは厳しかったです。学会とかの慣習も違いますのでね。
それと、帰ってきたときに世話をしてくれる人がいるっていうことも重要なので、あちらへ行っても、ある程度日本の人とコンタクトをとった方がいいと思います。
いかがでしたか。
情熱を持って研究に取り組んでいらっしゃる姿は、とても素敵でした。
今後のますますのご活躍をお祈りしております。
インタビュー実施日 2009年8月9日
インタビュアー
社会学部4年 大津留博文
社会学部4年 大東一雄
社会学部4年 小林奏恵
編集・文責 小林奏恵
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