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新潮文庫
波 2008年10月号より
不屈の指導者のドラマティック人生
竹中平蔵
今年三月、ソウルの大統領府青瓦台で、李明博大統領にお目にかかった。初めての謁見だったが、特に印象に残ることが二点あった。一つは、政局運営が非常に厳しい中にあって、批判を恐れず私を含む外国人の政策顧問団を任命したことだった。一国のリーダーが、外国人のアドバイザーを迎えるということは、日本ではなかなか考えられないことだ。しかも、日本人の私を顧問団に迎えた決断に、正直言って驚きを感じた。第二は、当時反政府の厳しいデモが続いていた中でも、大統領は極めて冷静に、颯爽と物事に対応していたことであった。日本のメディアは大統領が窮地に追い込まれているといった報道を繰り返していたが、当の大統領はそんなことを全く感じさせない、前向きな政策論を展開された。私は、李明博という人物が持つ並外れた「強さ」に、大いに感銘を受けた。
温和な表情の背後に宿るこの強さは、いったいどこから来るのか。その答えは、氏の半生を描いた『李明博自伝』のなかに明確に示されていた。文字どおり彼の半生は、困難と闘い続けたドラマティック人生である。
李大統領は、一九四一年大阪で生まれた。終戦直後、家族で祖国韓国に帰るが、途中で船が対馬の沖合いで難破し、命からがら祖国に帰りつく。しかしそこで待っていたのは、凄まじいまでの貧困だった。自伝の前三分の一は、幼少時からの貧困との戦いを描いている。高校進学すら許されない家庭事情のなかで、何とか親を説得して働きながら定時制に進む。大学も、とても授業料が払えない環境の中で、当初は試験に受かることだけを目的に受験したという。高麗大学在学中、反政府運動で投獄され、ようやく職につくまでのプロセスはすべてがドラマに満ちている。貧困との戦いのなかから、今の並外れた強さが生み出されたのであろう。
自伝の中盤の見どころは、現代グループに入社してから社長に上り詰めるまでの凄まじいプロセスである。李氏は、一九六五年に鄭周永(チョン・ジュヨン)率いる現代建設のタイ作業現場に勤務する一社員として雇われる。しかしその後、二〇代で理事、三〇代で社長、四〇代で会長という驚異的なスピードで階段を駆け上がる。その間の各職場で、同氏がどのような問題に直面し、いかなる思考と行動の下で問題を解決してきたかが、生々しく著述されている。この部分は、ある意味で経営の、または経営者の意思決定のケース・スタディとしても、極めて貴重である。また、韓国現代史の貴重な記録とも言えるだろう。なにしろ、盛りだくさんであり、この密度の高さのゆえに、同氏が次のようにさらりと言ってのけるのも理解できることだ。
「私は入社から十二年で社長になった。しかし私の十二年は普通の人の十二年と同じではなかった。休日もなく一日十八時間以上働いたから、人の二倍は働いた。そう考えると二十四年で社長になった計算となり、人より速いとも言えない」
自伝の終盤は、家族のことを含む生活について様々に描かれており、興味深い。サラリーマンの偶像と呼ばれた李氏の人生については、どうしても仕事の面にのみ関心が集まる。しかしそうであるが故に、その私生活の部分への関心も高いのではないか。妻から前もって子供のスケジュール表をもらい、それに基づいて忙しい時間のなかでも子供を気遣う姿は、多くの経済人の参考にもなる。さらに終盤では、新しいフロンティアとしての「北方」がとりあげられている。もっぱら旧ソ連との困難な交渉の経験が記されているが、同時にそこからは、北朝鮮に対する同氏の熱い思いも感じられる。
本書の初版は、一九九五年に出されたものであり、あくまで李氏の少年期から企業家として活躍するまでの期間を描いたものだ。しかし、ここに描かれたドラマティック半生は、今や大統領にまで上り詰めた同氏の強さと情熱を十二分に伝えてくれるものとなっている。本書を読んで、ソウル市長として、また韓国大統領としての後半生を描いた自伝第二弾を、是非とも読ませて欲しいと思うようになった。本書のエピローグで李氏は、「企業経営も、国家経営も、経営という本質は同じではないだろうか? 私はそう信じている」と述べている。本書を読んで、韓国の政治と経済が李明博大統領によってどのように運営されるのか、さらなる関心を持つようになった。
(たけなか・へいぞう 慶應義塾大学教授)
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