第36回「今月の小僧」 高濱賛さん

日本人初のDeath Watcher

ワシントン特派員時代
-ホワイトハウスで

アメリカ大統領に同行取材する記者のことを、Death Watcherと言う。常に大統領の身近にいて、まさかの時の目撃者になるという意味らしい。日本人初のDeath Watcherになったのが高濱さんだ。 第37代リチャード・ニクソン大統領の時代。大統領専用機に同乗するベテラン記者たちの中では、まだまだ若手の高濱記者は、報道官や大統領補佐官などへのプール取材を任されることが多かった。「色と音を入れなさい」という名物記者ヘレン・トーマスの言葉を忠実にまもり、大統領の動向を伝えるプール原稿を世界に配信した。 日本への核持ち込み問題、ウォーターゲート、ロッキードなど、大きな事件が立て続けに起こる激動の時、まさにその中心にいて、渦中の人物のもっとも近くで、世界を見聞きしていたことになる。
「ワシントン特派員」になりたかった

40年後の高濱・平松コンビ

アメリカが好きだった。ジョン・ウェインが好きだった。ワシントン特派員になりたかった。新聞の一面に、「ワシントン高濱特派員」という署名入りの記事が掲載されることが夢だったという。
そしてその夢は、意外に早く叶うことになった。
カリフォルニア大学バークレイ校を卒業後、読売新聞に入社。横浜支局に配属される。ベトナム戦争が激しい時代、アメリカ軍のために物資を運ぶ日本の民間人がベトコン(南ベトナム民族解放戦線)に襲われ死亡するという事件が起きた。英語力がモノを言い、横須賀基地での取材許可を取り付ける。犠牲者の氏名を外務省より早く入手し、特ダネをものにした。 すぐに本社に呼び戻され社会部へ。そして入社5年目という異例の早さでワシントン支局へ配属される。 その時の支局長は、現在の渡辺恒雄会長。同僚には学生アルバイトだった平松庚三がいた。

当時、ワシントン支局に配属されるのは、40代、50代のベテラン記者が一般的。彼らはほとんど取材に出かけず、米通信社から配信されるニュースを「ヨコタテにして」(英文をそのまま日本語に直して)日本に伝えていた。支局の中でひときわ若かった高濱、平松コンビは、当時盛んだった反戦集会などにも寝袋持参で出かけては、記事を書いた。
そしてその記事は「ワシントン高濱特派員」の署名入りで、ある日一面の3分の2に渡り、写真入りで紹介されることになった。当時としては画期的なアメリカの「今」を伝える記事は、各方面から大きな反響を呼んだ。
蛇口から変える

中曽根首相に箱乗り

5年半に渡るワシントン支局勤務から帰国し政治部に配属。福田赳夫首相、大平正芳自民党幹事長、中曽根康弘同総務会長(いずれも当時)の番記者となる。中曽根番としては箱乗り(車に同乗する)も担当。キッシンジャー氏と中曽根首相のハワイでの会談にも同行するなど着実に記者としての地歩を築いた。 読売新聞と縁が深い中曽根番をすると、ゆくゆくは編集局長から編集最高幹部というのが出世の道筋だった。しかし、管理職として他の記者の記事を直したり、新聞社の経営をしたいわけではなかった。自分で記事を書く職人でいるにはどうすれば良いかをいつも考えていたという。 「きっと渡辺さんの戦略に合わなくなったんでしょう。戦力外通告ですね」。社長直轄の調査部主任研究員をしている時に、母校から客員教授として招かれる。「さんざん苦労した大学のキャンパスには、二度と戻らないと思っていた」のだが、引き受けることにする。「不思議なもので、誰かが呼んでいたんですね」。

日米報道比較論講座

アメリカメディアの東京特派員養成を目的とする「日米報道比較論」の講座を立上げ、ニューヨークタイムズ東京支局長やブルームバーグ、ウォールストリートジャーナルの記者など、多くのジャーナリストを日本に送り込んだ。 読売新聞が主催するこの講座は、渡辺会長の「日本の情報を正確にアメリカに伝えるためには、蛇口から変えないとダメだ」という思いから始まった。教え子たちが、日本の匂い、音、色を伝えられる、日本通のジャーナリストとして活躍しているのを見ると、思いは実ったと実感できるという。
日本の出島
2000年からはジャーナリストとして執筆活動も再開。日本の雑誌やウェブメディア等に記事やアメリカ情報を提供している。アメリカの情報を収集して日本に送り、日本の情報をアメリカの知日派に提供する。ある意味、カリフォルニアに出来た現代の出島のような役割を担う。 この「出島」からは、長い経験に裏打ちされた洞察力を持って日米双方の動向を見極めた、有用で的確な情報が、日本に向けて、アメリカ国内に向けて、これからも発信されていくに違いない。

これからは?という問いに、「タバコもやめ、毎日飲み歩くこともやめ、少なくともあと10年は元気で居られるようにと努力している」。そして「これからの10年」は、「余分なことに邪魔されず、平静でいたい」。これまでまわり道をしたり、仕事で評価されなかったりと、山もあれば谷もあった。それらも全部ひっくるめて自分の人生であり、すべてが今につながり、今を生きることに役立っている。そのことを自覚して、瞬間、瞬間を大切にしたいという。
最近では、新聞の生活情報欄や人生相談が面白くなり、お料理にも嵌っている。政治や外交だけでなく、日常生活に密着したものまで、より帯域の広いアンテナで集められる情報に興味は尽きない。

小僧SNS村の「ひらまっちゃん」こと平松庚三が、高濱さん(ニックネーム:ターちゃん)の紹介文を書いている。ワシントン時代から良く知る人間として簡潔で的を射た人物紹介になっていると思う。ぜひその紹介文もご覧になっていただきたい。
「ターちゃん」のマイページはこちら

インタビュアー:堀込多津子


プロフィール

高濱賛(たかはま たとう) 高濱賛(たかはま たとう)
パシフィック リサーチ インスティテュート所長。ジャーナリスト。
71年から読売新聞ワシントン特派員として沖縄返還、ウォーターゲート、ロッキード事件などを取材報道。76年帰国後は、中曽根派担当から外務省、防衛庁、首相官邸各キャップを歴任。89年政治部デスク等を経て、95、97,98年カリフォルニア大学バークレイ校ジャーナリズム大学院客員教授、上級研究員。99年よりパシフィックリサーチ インスティテュート所長。00年ジャーナリストとして執筆活動も再開。現在は、日本の主要メディアにアメリカ情報を提供。著書に「捏造と盗作」「アメリカの歴史教科書が教える日本の戦争」、訳書には「マイティ・ハート」など多数。
小僧SNS村に参加中。ニックネームは「ターちゃん」

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