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ズッコケ三人組ニュース!
これがズッコケ三人組だ!
はかせ
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那須先生から全国のズッコケファンへのメッセージ 那須先生から全国のズッコケファンへのメッセージ


まず自己紹介をしておきましょう。

ぼくのなまえは、那須正幹(なすまさもと)、これは本名です。1942年6月6日、広島市己斐本町で生まれました。ご存じのとおり広島市は1945年8月6日、原子爆弾が投下され、町は焼け野原になってしまいました。ぼくの家は、爆心地から3キロ離れていましたが、それでも屋根が飛び、3歳になったばかりのぼくも頭と足にケガをしました。幸い家族の中に死んだものはいませんでしたが、あの日の事は生涯忘れないでしょう。

1949年に己斐小学校に入学。ちなみに三人組の通っている花山第二小学校は、この学校がモデルになっています。と、いうよりミドリ市花山町そのものが、ぼくの生まれ育った広島市己斐町をモデルにしているのです。もし、広島に旅行することがあったら、ぜひ己斐町をたずねてみてください。JRの西広島駅や、そのまわりの風景など、本の挿絵そっくりですし、アカツキ書店らしき本屋さんや、花山商店街などもならんでいます。

6年生の頃から昆虫採集に熱中し、庚午中学、基町高校と進学するあいだも昆虫ばかり追いかけていました。1963年島根農科大学林学科に入学したのも昆虫の勉強がしたいためでした。しかし、大学に入ってからは勉強より山登りばかりやっていたので、卒業後は昆虫の勉強をあきらめてサラリーマンになりました。

児童文学の作品を書くようになったのは1968年、26歳の頃です。

1972年に処女作『首なし地ぞうの宝』という本を出版、1978年にシリーズ第1作めにあたる『それいけズッコケ三人組』がポプラ社から出版されました。じつは、このとき担当した編集者が、現在ポプラ社の社長さんなのです。

この年、それまで住んでいた広島から山口県防府師に引っ越し、本格的な作家活動に入りました。

ですから、シリーズのほとんどは、山口県で書いているのですが、舞台のモデルは、先に書いたようにぼくの生まれ故郷なのです。

モデルということでは、ハチベエ、ハカセ、モーちゃんについても、それぞれのモデルがいます。ハチベエは近所の男の子、モーチャンは、中学時代からの友人、そしてハカセはこども時代の作者です。

ズッコケ三人組が誕生して、はやくも22年がたちました。当時30歳なかばだったぼくも、今では60近いおじいさんになってしまいましたが、作品を書くときは、三人組と同じように、まったく歳をとらないことにしています。これからも、いろんなことに興味をもって、新しい世界に挑戦していきたいと思っています。

では、次作『ズッコケ家出大旅行』の中で、お会いしましょう。(2000年10月)

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