あめ(夢の連鎖)
かたりて くままんま
あめは他者を巻き込む
他者を巻き込んでいくあめ
それをあめの連鎖と呼ぶ
一見 巻き込むと言うと
はーーーーーー! かあああああああああああああああ! というパワフルな物を想像するかもしれぬ
だがそうではない
巻き込むあめは 音のトーンとして ちいさくおとなしめのあめなのだ
多くの者たちの喜怒哀楽は
実は微細な感情を発する者たちにコントロールされているのだ
巻き込むあめを発してる者はな
自分でも多くのあめを巻き込んでると気付いてないことも多い
無自覚に 淡々と自分のあめを見てるうちに
多くのあめを 巻き込んでいるのだ
くまくまは見たのだ
大衆の多くが怒ってる その大衆心理の発信源を
それはな
発信源は ささやかな怒りだったのだ
人よりもはるかに微細な感情を発する者の
ささやかな怒り
それが多くの強い感情を巻き込み
大衆の怒りという大きな現象の渦を生んでいたのだ
そのささやかな怒りを発していた者はな
自分がその大衆行動の発信源であるとは
気づいてもいなかった
あめの技法とはなんてことはない
他人のあめよりも より小さくささやかな念を発すれば
そこに念が集まる
より小さな想い より小さな念で
たくさんの想い たくさんの念をコントロールするのが あめの技法なのだ
そしてな
多くの者たちが これまた勘違いをしているがな
小さくささやかな念と
念が全くない事をごちゃ混ぜにしてる者が多いのだ
ささやかな念を発することと
念が全くない事は 別物だ
別次元だ
異世界の存在と言っても過言ではない
念が全くなければ 渦は生まれない
もしも周辺の者が錯覚により
念の亡き者に エネルギーを運んでも
念が無いゆえ その渦は持続しないのだ
というか
すぐにエネルギー的にバラバラになっていく
そういえば
くまくまは あめの技法をよく聞かれるのだがな
原理さえ知っていれば
そう難しい事ではないのだ
つながりある者たちよりも
一番微弱に感情をあらわし 一番微弱に念を発すればよいだけだ
クラスで一番 大人しい子はな
実は そのクラスを一番動かしてるのだ
だからDQNやいじめっ子は
おとなしいこをターゲットにいじめるのだ
おとなしい子の感情を喚起させれば
自分達にクラスを動かすエネルギーが運ばれることを知って それで必要以上に感情を煽ろうとするのだ
そしてな
クラス全部を動かせるくらい微弱な念を発した者が
持続的に念を発し続けると
やがては 隣のクラスを動かし
やがて 学校全体を巻き込むくらいの
感情の渦を作れたりもする
さらに微弱な念を発し続ければ
学校を超えて
街や 市 県 地域までもその感情の渦で 動かせるようになる
多くの者を動かす素養はな
微弱の念の持続性なのだ
如何に微弱な念を持続させ続けるか
それにより どれだけの人間を巻き込めるかが決まってくるのだ
微弱な念を発し続ければ
全世界を作り替えることも 壊すことも可能なのだ
だから世界は 微弱な念を発し続ける者を 一番恐れ
情動喚起をさせようと あの手この手でとりこもうとしたのだ
世を動かす超能力の原理とは
実はシンプルな構造で 簡単なのだ
だが誰でもできるようであって
その持続性という性質に置いて 誰もができるというわけではないのだ
古代のリーダーは
持続的に念を発し続ける者を見つけると そのお世話をしながら
構築をしていった
微弱な念 微弱な感情を ずっと変わることなく発し続ける存在の傍で 想いを叶える事で
そしてその傍で自分が作りたい 構築したいものをイメージすることで
現実を作っていたのだ
昔はな
微弱な念 微弱な想いを発する者は
みんなで守っていたのだ
「 働け働け 」などとは無理に言わなかったのだ
存在していることが みんなに尽くしてくれてることだったのだ
そしてな
ねこは 微弱な念 微弱な想いを発し続けれる人が好きだ
その人の傍に行けば
人間の集合体を動かすことができるであろう?
人間の集合体を動かせれば
猫はたくさんのごはんを手にすることができるであろう?
ただな 素養を持つ微弱な念を発し続けれるものが
少ないのだ
表面に微弱な念を発する気をつけかえてる者もいるが
そういう存在は 数匹以上動物を飼うと 動物の感情に呑みこまれ すぐに気が剥げてしまうのだ
逆に言えば 数十匹以上の動物を飼っても
感情が動かない
微弱な念を発し続けれる
それが素養なのだ
猫だけでなく 鹿さんもそういう子が好きだ
猪もそういう子が好きだ
動物たちはな 人間を動かしたいのだ
地球を自然に戻すには あめの連鎖で 人間を動かすことが一番近道であろう?
その為に 感情を微弱に発する人たちの傍に 今 動物達は集まっているのだ
ねこの森 |
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