キノコホテルのギタリスト、イザベル=ケメ鴨川として知られるkemeがセカンドアルバム『しらない世界』をリリースする。キノコホテルでは激しいステージングでファズギターを弾きまくるイメージだが、ソロ・シンガーkemeはアコースティックギターをつま弾きながら人生の機微や心の叫びを真っ直ぐに歌う姿が印象的だ。吉田拓郎や泉谷しげるといった日本のロック黎明期のアーティストを聴いて育ったというkemeは、激しく揺れた熱き時代の遺伝子が隔世遺伝した、新しい時代のシンガー・ソングライターと言えるだろう。
(INTERVIEW:加藤梅造)
アコギ1本だけ持って一人旅に出た
──今作は前作以上にアート・ディレクションに1970年代テイストが感じられますね。
keme 昔からこういうスタイルが好きで、花柄のかわいい帽子やトロイのベストは全部古着で買ったものなんです。小さい頃、家にあった両親のレコードやカセットを聴いて育ったんですが、それが60年代、70年代のフォークや演歌やGS、ニューミュージックで。とりわけ吉田拓郎が大好きになって、そればっかり聴いてましたね。
──両親とも拓郎ファンだったんですか?
keme 父親の方がフォークと演歌が好きで、母親はジョン・レノンとブラックミュージックでした。だから母はGSもゴールデン・カップスとダイナマイツ派で、その影響で私もGSはよく聴いてました。
──小学生で拓郎やGSを聴いてるのはかなり特殊だと思うんですが、流行の音楽は聴いてなかったんですか?
keme 当時はTKファミリー全盛期で、私も友達に合わせて華原朋美とかのCDを買ってはみたんですけど、ほとんど聴かなかったですね。
──友達はkemeさんが拓郎ファンだっていうのは知ってたんですか?
keme いや、知られたらいじめられると思って言わなかったんです(笑)。以前、拓郎がKinKi Kidsと「LOVE LOVE あいしてる」っていうテレビ番組をやってたことがあったんですが、私はKinKi Kidsのファンのふりをして拓郎とKinKi Kidsが一緒に写っている明星とかの切り抜きを持ってました。今思うと、完全に狂ってましたね…。
──でも、その時TKファミリーのファンになってたら、今ミュージシャンにはなってなかったかもしれないですよ。
keme ダンサー目指してたかも(笑)。
──その頃からミュージシャンになりたかった?
keme 全然そんな考えはなかったんですが、小学生の頃は父親のギターを奪って弾いてました。このジャケット写真で弾いているギターがそれなんですが、まあ趣味でやってた程度で。もちろん友達には内緒でした。フォークギターって根暗なイメージじゃないですか。
──まあ女子だとそうなのかもしれないですね。では、本格的に音楽をやろうと思ったのは?
keme それが意外と遅くて。高校生の頃は遊ぶのに夢中で音楽はほとんど聴かなかったんです。だから10代の終わり頃ですね。遊びが少し落ち着いてバンドに入ってエレキギターを始めたんです。古い曲をコピーするバンドだったんですが、コピーだとあまり面白くなくて1年で辞めました。
──自分のオリジナルをやりたいと。
keme そこからまたいろいろあるんですが…、これからどうしようかなって悩んでいて、アコギ1本だけ持って一人旅に出たんです。何も決めずに大阪に行って、何か見つかるまでは帰らない事にしたんです。夜中に道頓堀でギターを弾いてたらホストがやってきて「俺の全財産やる」って1円玉投げられたり、警備員に怒られたり。そんなことをしているうちに、ある時一人ホテルでギターを弾いてたら曲ができて、あ、これで帰ろうと思いました。
──シンガーソングライターkemeの誕生ですね! その後は下北の路上で歌ってたんですか?
keme そうです。いやー若かったな。今じゃとてもできないです。あの時のパワーって何だったんだろう? 毎日がすごく楽しかった。路上で漫画読む人いるじゃないですか(註:東方力丸)。私の歌ってる隣でアタタタタタ!って『北斗の拳』とか朗読してたんですが、読み終わった後に「吉田拓郎の『青春の詩』歌って!」とリクエストされて、私も「ああ〜それが青春」って歌ってました(笑)。