子どもの安全をめぐる社会の意識を一変させた事件だった。

 栃木県日光市(旧今市市)で小学校からの帰り道、7歳の女の子が殺害された。

 あれから8年半。事件の容疑者が逮捕された。

 事件の前月には広島市、前年には奈良市。小1の女の子ばかり3人が相次いで命を奪われた衝撃は大きかった。

 いまや全国のほぼ全小学校・幼稚園が、なんらかの通学の安全策を講じている。付き添いや見守りは9割近く。集団登下校は5割近くに及ぶ。

 今市のこの学校ではこの8年半、保護者や住民が登下校の送り迎えや見守りを続けてきた。

 この間、児童たちは「道草を食いながら帰ることができなかった」。しかし、容疑者が捕まったからといって「すぐ元に戻すことはできない」。校長はそう語った。

 この言葉が物語るのは、ほどよい活動を続ける難しさだ。

 子どもから24時間目を離さないことなどできないし、だいいち息が詰まる。だからといって放ってもおけない。

 いろいろやってみたり、無理があればやめたりしながら、社会のバランス感覚を鍛えていくしかないのではないか。

 客観的にみて、犯罪は増えていない。防犯活動は、かえって体感不安をあおっている――。そんな指摘もある。

 総論として「社会の安全は崩れていない」と、冷静な思考を呼びかけることは大切だ。が、それだけでは「わが子の安全をどう守ればいいのか」と悩む保護者への答えにはならない。

 「不審者捜し」だと思うと、きっと活動は長続きしない。

 見慣れない人、ちょっと変わった人。疑心暗鬼に陥り、地域がぎすぎすしがちだ。

 しかも、目に見える「効果」など、めったにあがらないから手ごたえも感じにくい。

 視点を変えて、街を住みやすくする活動ととらえると、続けやすくなるかもしれない。

 地域の大人がかわりばんこに通学路に立てば、住民同士が知り合う機会になる。少なくとも交通安全には役立つ。だから犬の散歩のついでに顔を出す。そのくらいの気軽さでもいい。

 ときには道路や公園を回り、心配な場所がないか町内会やPTAで話し合うだけでも、地域への愛着は深まるだろう。

 ただ、一人で長時間歩くような子のいる学区は、住民の工夫にも限界がある。スクールバスや、保護者が迎えに来るまで過ごせる居場所の整備など、自治体は打てる手を打ってほしい。