にんじんの塔

肌も心も干からびかけたアラサー独女による、恋活のための自省ブログです、いちおう。

トニー滝谷の、人生の孤独な時期は終了した

昨日、いわゆるPMSの苦しみの中で気付いた。

私が気に入って何度も観た映画って、“孤独な主人公が、ある日運命的な出会いをして…”なストーリーのものが多い。


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冷静と情熱のあいだ』はハッピーエンド。

ジョゼと虎と魚たち』は別れてしまったけれど、“それもまた良し”。

で、似たような作品が他にもあるのだけれども、今日は『トニー滝谷』について書きたいと思う。


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トニー滝谷』は、村上春樹の短編が原作で、『レキシントンの幽霊』に収録されている。小説を先に読んだと思う。

 

 


「トニー滝谷」予告編 - YouTube


主演はイッセー尾形宮沢りえ、ナレーションは西島秀俊、音楽は坂本龍一、という豪華な映画。村上春樹作品が原作の映画の中では、最も村上春樹の世界観が出ている作品だと思う。

(ちなみに私はハルキストだった。大学受験が終わったら『海辺のカフカ』を読むぞ~!と楽しみにしている女子高生。きんもーっ☆ ちなみに今では、村上春樹の作品を「読みやすいわりに賢くなった気分になれ、堂々と読める官能小説」と思っています♪)


表題の“トニー滝谷”は、主人公の名前だ。日本人だけれど、父の変わった考えで外国人風の名前を付けられた。(外資系企業なんかで働くと、本当にそういう名前の日本人はいる。)

父は家をよく空けていたので、トニーは幼い頃から一人で過ごすことが多かった。一人でいることを寂しいと感じることもないほど、一人でいることに慣れていた。機械の絵を描くのが非常に上手く、イラストレーターとなり、食べていく上でも人と関わる必要はほとんどなかった。

しかしある日、事務所にやってきた女性に恋をする。それまで感じたことのないような激しい想いで、婚約者のいた彼女にほとんど強引な求愛をし、めでたく結婚することとなる。

トニー滝谷の、人生の孤独な時期は終了した”
もう一度孤独になったらどうしよう。時々そのことを思うと、「冷や汗が出るくらい怖くなった」


妻は、“服を着るために生まれてきたような人”だった。「服が、自分の中の足りない部分を、埋めてくれるような気がするんです」と。お給料のほとんどを洋服に使う、いわゆる買い物依存症の女性だった。

トニーはそれも承知の上で結婚したし、大量に高級ブランドの服を買っても困らないくらいの収入はあったけれど、それでも、あまりにも服を買い過ぎていた。服を返品しにいった帰り、彼女は交通事故で亡くなった。

トニーは“愛した妻を亡くしたことに慣れるため”に、アシスタントを募集する。条件は、彼女の遺した大量の服を、制服として着ること―。

 

あらすじ、以上。


何度も観たのに、なぜかラストシーンが思い出せず、村上春樹が好きな友だちに聞いたけれど「忘れた」と言われてしまった。(ググッたら、小説と映画でラストが違うようだった)

とはいえ、この作品の核となる部分はラストではない。

孤独を孤独とも思わないほどに慣れきっていた人ですら、最愛の人と出会うことで、本当の孤独に怯えるようになること。
また、トニー滝谷の妻がトニーを選んだ理由は、けしてお金目当てとは思えないけれど、トニーとの結婚生活の中でも買い物依存をやめられなかったこと。
(原作でも詳細は書かれていなかったと思うのだけれども、自分は一緒にいるだけで満たされる相手が、埋められないものを持っていることについて、虚しさはなかったのだろうか)

 

孤独や、自身に欠落しているものから目をそらすこと、あるいは向き合うことへの苦しみは一生つきまとうのだろうか?という絶望を感じる。ほとんどホラーに近い作品だ。

 

 

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私自身も、二十歳くらいまで、孤独な人間だった。

高校時代、いじめというほどではないけれど、“公式的に”クラスメイトから嫌われたことがあり、別のクラスの友だちと昼食を取ったり、遠足や修学旅行で行動をともにしていた時期があった。決められた人間関係の中でうまくやっていく能力に乏しく、今も克服出来ていない。(いじめられていたことを語ることを恥ずかしいと思うのはどうしてだろう?いじめの楽しさを知る人間になりたかったとすら思う)

当時、私は勉強と化粧で誤魔化した。陰口や無視をするクラスメイトより、良い成績で、可愛い顔でいれば、プライドは保てる。教師は気にかけてくれたし、そういう私をかっこいいと思ってくれる男子生徒もいた。皆が受験勉強で精一杯になる時期には次第に言葉をかわすようになったし、同窓会でも何事も無かったかのように会話をする。

その後、入試難易度の高い大学に入ったおかげか、ああいったことをする女子のいない生活を手に入れた。そんなことよりもやるべきことがあるからだ。また、私を女神かのように慕う恋人が出来た。彼は、私の好きな本、映画、音楽、食べ物さえ好きになろうとした。そういう人と一緒にいることで、私の人生の孤独な時期は、ひとまず終了した。


その彼と別れた後も、すぐに、しっくりくる人と出会えた。毎日腹筋が痛くなるほど笑わせてくれたし、ブログにも書けないような醜い感情を吐きだしても受け止めてくれた。その人と離れることを想像すると、叫び出したいほどの恐怖だったと思う。

当時、勤務先にも恵まれていた。給与水準や福利厚生も悪くなく、“勉強”ということで上司にご馳走になったり、取引先から接待されることもあった。働きやすさで言えば、かなり良い方だった。このご時世で、こちらが望めば終身雇用してくれそうな会社だった。


仕事もあって、恋人もいて、学生時代からの友人もいて。それでも私はなんだか東京にいる理由をずっと探していた。

それは主に地元では堪能できないエンタテインメントだった。
ミニシアターでマイナーな映画を観るだとか、ライブに行くだとか、若者に人気の街に住み、近所のオサレカフェに行くだとか。そう、サブカルくそ女さ!!!

両親は、私が社会人になっても、帰省費用を援助してくれることがあった。帰省の日まで、それこそ指折り数えて待ってくれた。私が空港の出口から出てくると、飛びついてくる親戚の子もいた。祖父は涙を流して喜ぶ。帰省中はご馳走が沢山出てきた。

そういう家族がいたこともあって、私は東京でしか出来ないことを日々探し続けて、手に入れては当たり前になり、また探してを繰り返し、結局、私は都落ちをした。

私が側にいるのが当たり前になると、すぐに両親は変わってしまった。私が家を出たいと思った頃のような両親に。


2度目の上京をしてからの私はからっぽだ。

ライブにはもう1年行っていないし、映画もメジャーなものを付き合いで観る程度。オサレカフェは行くけど、本当は何でも良い。

渋谷、新宿、池袋。空気が悪いけれど、遊ぶ場所なんてどこでも良い。東京にいないと出会えなかったような人とお酒を呑んで語ることだけが、今の私にとっての東京にいる理由。

ブラック企業で、雀の涙のような給料でコキ使われていたことも、それまで良い思いしてきたツケだと思えばむしろ楽な気持ちになることもあった。

故郷を捨てる“大義名分”のないまま生活している私は、少しだけ東京の人に近付いているような誇らしさもあった。

 

ほとんどぬけがらのように暮らしているので、良い出会いに恵まれないことは分かっている。

 

私の人生の孤独な時期が再び終了する日は来るのだろうか。

そうしたら、きっと、失う日のことがもっと苦しくなるだろう。

そういうのを含めての幸せを望む強さが欲しい。

 

まとまらないまま、おしまい。

読んでくださりありがとうございました。