栃木女児殺害事件容疑者、台湾出身で周囲になじめず

2014年6月4日6時0分  スポーツ報知
  • 情報提供を求める看板が立ったままの遺体遺棄現場付近(3日)

 2005年12月、栃木県今市市(現日光市)の小学1年・吉田有希ちゃん(当時7歳)が殺害された事件で、栃木、茨城両県警の合同捜査本部は3日、殺人の疑いで栃木県鹿沼市の無職・勝又拓哉容疑者(32)を逮捕した。

 吉田有希ちゃんを殺害したとして3日、殺人容疑で逮捕された勝又拓哉容疑者は、事件前には、有希ちゃん宅から約1・5キロの距離の住宅にいたこともあった。

 母親(55)とともに台湾出身で、09年5月に日本国籍を取得。有希ちゃんと同じ小学校にも一時在籍していた。卒業アルバムには「日本語の勉強を集中してお友達もできて、とてもよかった」と書いた。

 中学時代の知人によると、同容疑者は日本語をうまく理解できず、周囲になじめなかった。存在感も薄かったという。2年の2学期から3年の初めまで通った中学では、ほとんど登校しなかった。教員は「日本語をあまり理解していないようで、友達も少なかった」。同級生は「からかわれるとすぐキレて、手を出した」と話した。

 中学卒業後は、栃木県内の寺などで開かれる骨董店に店を出す母親を手伝うようになった。00年ごろから茨城県内の寺で販売を始めたが、偽ブランド品を扱ったとして主催者から出店を禁じられることもあった。

 ある骨董品店主は、母親と寺に来た同容疑者が、机を出して商品を並べる様子を覚えていた。「話しかけても目を合わせなかった」という。

 有希ちゃんが殺害された05年当時は、栃木県鹿沼市で一人暮らし。08年ごろ交通事故を起こし、相手の車を修理で持ち込んだ業者に「警察沙汰にしたくない。内々にしてくれ」と頼み込んだという。

 勝又容疑者の義理の父親だった男性は「感情的で突然、どなり込んできたこともあった。売り物か分からないがナイフを集めていたようだ。引きこもりのような生活をしていた」と話す。

 今年5月に宇都宮地裁であった商標法違反事件の公判には、共犯とされる母親とともに出廷。グレーのジャージーの上下にサンダル姿。裁判長から名前を聞かれると「カツマタ・タクヤ」と甲高くか細い声で答えていた。

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