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法華狼の日記

2014-06-04

[][][]ふたつの意味の「歴史修正主義」と、代替できる言葉

「歴史修正主義者」より良い言葉があれば、それが定着すればいいと思うことはある。

「修正」しないことが歴史修正主義になることもある - Apes! Not Monkeys! はてな別館

「歴史修正主義」に代わる適切な用語を提案してそれを定着させるべく努力してくれるというのなら実に結構なはなしなんですが、まあ日本でこの用語にケチをつけるやつの9割9分9厘はろくでもないやつです。「歴史修正主義」のパラダイム的な指示対象としてはホロコースト否定論があり、そこからのアナロジーによりこの用語の有効な使用法について有効なコンセンサスを得ることは容易だ……という事実を無視することによってのみ可能になるケチだからです。

コトバンクでは大辞林の項目だけが引っかかる。それも価値中立的な記述であって、その態度が見直しそのものを優先するため学問的な手続きを軽視することまでは明言していない。

歴史修正主義 とは - コトバンク

ある歴史的事象について定着している評価を一面的とし,その見直しを要求する理論的態度。

ちなみに私個人は「歴史修正主義」という言葉を使わなくなっている*1。とりあえず主義ではなく主張そのものを批判しようと思って、偽史という言葉を使うことが何度かあった。

最近では国家的責任が問われる過去を否認する主張に対して、話題ごとに従軍慰安婦問題否認論といった言葉を使ったりする。たいていが従軍慰安婦の実在そのものは認めていて、その責任や問題性を否認したり矮小化することが多いので、「従軍慰安婦問題」まで書かなければならないのが面倒だが。


しかし、すでに流通している言葉について、あたかもインターネットの一部だけが固執しているかのように評価されているのは、よく意味がわからない。

それは@氏による一連のツイートだが、時期と表現から見てApeman氏のエントリを念頭においた批判だろう。

国外の問題に語源がある言葉を国内の問題に適用する「アナロジー」が許されないというなら、「あの辺りの界隈以外で使われている"historical revisionism"」を国内に持ちこむことも同じくらい「アナロジー」ではないのか*2

そうでなくても本来が国外の言葉だというなら、どちらかが新しい訳語で定着すれば混同をふせげるだろう*3。Beriya氏の理屈は、南京で起きた事件は複数あるし歴史的に古い呼称だからといって、南京事件ではなく南京大虐殺と呼称するべきというようなものだ。


さらに厳然として、日本の大手新聞でも、国内の動きに対して歴史修正主義という言葉が用いられている。

OpenId transaction in progress

歴史修正主義とは、例えばドイツ極右勢力がナチスのユダヤ人大虐殺を否定するなど、自国や自説に都合が良いように歴史を焼き直すことだ。

今年のニューヨークタイムズ社説で安倍晋三首相を「危険な修正主義」*4と評したりと、国内に限っているわけですらない。

Mr. Abe’s Dangerous Revisionism - NYTimes.com

一方、「否認主義」は大手新聞で掲載された事例が見つけられなかったので何ともいえないが、今のところコトバンクでも引っかからない。

ただ安倍首相に対するワシントン・ポスト社説の引用として時事通信記事に出てきたことがある。

時事ドットコム:「首相はなぜ非難せぬ」=NHK会長発言で−米有力紙

歴史認識をめぐるNHKの籾井勝人会長と百田尚樹経営委員の発言を「破壊的な歴史否認主義だ」と問題視し、安倍晋三首相は2人の見解を明確に非難すべきだと主張する社説を掲載した。

WEB上の英語辞書でも引っかかる。これから定着していくかもしれない、といった段階か。

否認主義の英訳|英辞郎 on the WEB:アルク

否認主義者

denialist〔世の大勢となっている学説や理論を科学的根拠なく過激に否認する人。〕

つまりは、冒頭で引用した「代わる適切な用語を提案してそれを定着させるべく努力してくれるというのなら実に結構」ということ。


むしろ疑問なのは、Beriya氏がインターネットの一部用法であるかのような前提で批判していること。新聞の各記事にこそ目を通さずとも、ある程度まで用法として確立していることくらい知っていそうなもの。まさか国内外のメディアで「歴史修正主義」という言葉で批判された時、インターネットで誰も意味を理解できなくなることが望みというわけでもないだろう。

もちろん歴史修正主義の用法を限定させたいと願うことは自由だ。たとえば東京裁判史観と大東亜戦争史観の双方を批判すると称して自由主義史観研究会が発足した当時、「自由主義史観」は既存の訳語だから異なる名称にしてほしいという願いを見た記憶もある。歴史修正主義に対しても同じような意見があることも不思議ではない。実際そうした願いで用語が変化していくことはある。

しかし、そこで主張するべき対象はインターネットの一部などではなく、もっと広い社会だ。2013年にBeriya氏は下記のようにツイートしていたが、たとえ「原因」があるとしても過ちでなければ改める義務などないし、2000年以前から存在する用法について現在の個々人は責任などとれないだろう。

残念ながら下記ツイートを見るかぎり、新しい用語を定着する努力をBeriya氏自身に期待することは難しそうだ。

さらに疑問なのだが、「否認主義者」を自称しているのは誰なのだろうか。自称でない言葉を使うことがふさわしくないというならば、より難しくなるように思うのだが。


最後に、現在までの日本における動きを「歴史修正主義」と同じく自称から引くと、やはり先述した「自由主義史観」になるだろうか。どちらも自称から引いているため、字面そのものに批判の意味あいがほとんどなく、誹謗中傷ではないことを明らかにできることが長所か。

しかし自由主義史観は、関係者が内紛と分裂をくりかえしながら異なる団体を作りつづけているので、いまひとつ忘れられていっている感覚がある。実際は現在でも活動をつづけているのだが。

自由主義史観研究会トップ

*1http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20121018/1350595344の末尾で意図を説明した。

*2:ちなみに2000年に出版された高橋哲哉『歴史/修正主義』は、国内外の動きをグローバルな現象ととらえているというが、未読なので何ともいえない。https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/6/0264340.html【90年代後半に登場した日本版歴史修正主義.「悔悛のグローバリゼーション」といわれるほど広がった歴史の負債を「清算」する動きに対し,修正主義の台頭もまたグローバルな現象である.冷戦終結後に突出した「民族」とナショナリズム−その激化する《記憶の戦争》に分け入って,歴史の中でどう判断すべきかを考える.】

*3:実際、スマラン事件という従軍慰安婦強制連行事件について、同じスマランで起きた別の事件との混同をさけるため、差別的な意味をふくむ白馬事件を選ぶことも個人的にあった。

*4:時事通信の紹介記事の翻訳より。http://www.jiji.com/jc/zc?k=201403/2014030400857

hokke-ookamihokke-ookami 2014/06/05 00:06 用語の定着については、それこそ興味がある者同士であれこれ直接にいいあうしかないんじゃないかと思います。そうして議論して広く訴えていかないと、どうにもならないでしょう。
ちなみにアニメ用語において、「作画は悪いが動画は良い」という表現を使うと憤死しかけてコメント欄へ大挙して荒らしに来る人々がいます。そちらのほうがマジモノなので、ネタとして逃げない分だけ面倒くさいです。

http://twitter.com/MValdegamas/status/430931443229814784
>私はいわゆる「歴史修正主義」と言われるような主張をろくな裏付けもなく主張するやつも、何もかもを「歴史修正主義」とラベリングして批判する奴も平等に嫌いだからな。

ちなみにBeriya氏のツイートをお気に入りに入れたりし、自身でも上記のようにツイートしているMValdegamas氏(はてなid:Donoso)のツイログを見てみると、ネタらしき用法もふくめて複数の意味で「修正主義」を使ったツイートをしている一方で、「否認主義」が使われたツイートはネタっぽい自称がひとつだけ。
http://twilog.org/MValdegamas/search?word=%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
http://twilog.org/MValdegamas/search?word=否認主義
インターネットの一部で否認主義が定着する日は遠そうです。

tomo_fujitomo_fuji 2014/06/05 00:55 イデオロギー的に絶対化された歴史を否定するもの(物語られた歴史に対して常に見直し=修正revisionに開かれている)として修正主義(revisionism)がありこれは必ずしも悪い意味ではなかった。
しかしホロコーストはなかった、ガス室はなかったという論者が自らをrivisionistと名乗って活動したため、修正主義は非難の対象に付けられるべき言葉となった。
1990年代後半に自虐史観批判を掲げ「慰安婦問題は反日勢力の陰謀」、「南京大虐殺はなかった」と叫ぶに至った勢力を歴史修正主義と呼ばれるようになったのは、この連想が働いたためであろう。
というのが高橋哲哉の立場です。

hokke-ookamihokke-ookami 2014/06/05 01:27 高橋氏の考えについて、説明ありがとうございます。

ちなみに私個人の心証としては、1995年のマルコポーロ事件から1996年の自由主義史観まで、同時期に国内で起きた同じような歴史軽視の動きとして関連性が見いだされたのは自然だったと記憶しています。マルコポーロ事件で西岡氏を批判していた小林よしのり氏が自由主義史観に接近していったりと、もちろん全く同一というわけではありませんが。
そういえば『週刊金曜日』上にホロコースト否定論が掲載された論争もありました。そうした時代が実はインターネットでも尾を引いていて、同じ論者がホロコースト否定論を主張して、反歴史修正主義者から反論されていた。その反歴史修正主義者が自国の問題にも目を向けようとして、南京大虐殺や従軍慰安婦問題の否認論も批判するようになっていった……という流れも一部でありました。

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