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私が今でも不思議に思うのは、「朝鮮人強制連行」が虚構であることを知っている人はいくらでもいたはずなのに、日本社会がその誤謬(ごびゅう)を訂正しようとした形跡が見当たらないことである。これが火種になって、今日これほどの大問題に発展するとは思わなかったということなのだろうか。
そればかりではない。1982年には、教科書の検定基準に、中国・韓国などとの戦争の記述に配慮せよという趣旨の「近隣諸国条項」と呼ばれる一項が加えられた。その運用の指針として、文部省の内部文書では、「神社参拝」「創氏改名」などと並んで、「強制連行」も検定意見を付けない事項、言い換えれば教科書の著者の書き放題を認める事項に入れられていたのである。
それによって80年代以降の歴史教科書で「朝鮮人強制連行」は定番のアイテムとなった。
後に「詐話師」として虚名をはせる吉田清治氏が慰安婦を奴隷狩りしたと「告白」した本を刊行したのは83年のことだ。題して『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)。韓国・済州(チェジュ)島の貝殻工場での奴隷狩りの場面は次のような調子である。
《「体格の大きい娘でないと、勤まらんぞ」と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つけて、慰安婦向きの娘を選びはじめた。若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は木剣で台を激しくたたいて威嚇して、台を回って行って娘の腕をつかんで引きずり出した。山田が肩を押さえて床に坐らせると、娘はからだをふるわせ声を詰まらせ、笛のような声をあげて泣きじゃくった》