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秋晴れへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 3日(火)18時49分11秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >今、手元に、昭和40年9月12日発行の日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄があります。
>この講義録は、大月天さんも研鑽されていたことでしょう。
>もう一度、読み返してください。あ、間違ったと気付きますよ。

>これは撤回します。

はて、今にして撤回する、するとは、どーゆー事か。つまりは「あっ、間違ったと気が付きますよ」という発言を撤回
する、という事か。つまり、「間違った」と気が付いたのは、お主の方であった、という事か。

其れを先ずは述べなさい。

>尚、昭和40年9月12日発行の日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄の講義書は、これ以降、引っ込めます。

はて、引っ込める、とは如何なる事か。

つまりは、其の講義の内容が間違っている、という事であるのか。果たして、どの内容が間違っているのか。

其の箇所を提示しなさい。

して、間違っている、と言うのであれば、以後のお主の発言こそが、創価学会の教義に即する、という事か。
して、間違ってはいない、と言うのであれば、以後、お主の発言は、創価学会の教義から外れる、という事か。

其の事を先ずは明らかにしなさい。

問答は其れからである。

尚、当方は、此の一両日、不在となる。
 

創価学会員の現状を思う

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 3日(火)18時41分29秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  過ぎてしまえば今は昔……。

気が付けば、破門から23年。早いものである。

想えば、学会の草創期に於いて、当方の実家は支部の大拠点となり、今にして言えば、4圏分の広域拠点であった。
して、其の大拠点の二階には、入れ代り立ち立ち、其れこそ連日の様に、四者の会合が開かれていた。
其の中に在って、男子青年部の会合、とりわけ隊長が中心となっての班長会、又は、分隊長も出席する会合に於いては、
其の指導に伴う叱責怒号が、一階に住する当方の耳に響き渡ったものである。本より圧巻なのは、当時、よく拠点に
来ていた黒柳参謀である。其の風貌たるは、応に怖いの一言であった。して、其の鬼参謀が隊長会に於いて、各隊の
折伏成果の現状について、大叱責するのである。時には「ドスン!」と、人が倒れたような音が、二階から聞こえて
来る。男子部は厳しい、そして、怖い。しかし、其の真剣たる信心の発露が、皆をしっかりと凝固させ、其れら厳しい
折伏の達成目標に向かって、日々汗を流し闘っていたのである。本より、折伏成果に対する手厳しい指導(大叱責)は、
御山の比する所ではない。観れば、何も解からない其れこそ新参の似而非(えせ)会員や、面従腹背の蝗蟲会員などが、
「日顕宗は講員に対し、厳しい折伏のノルマを課している」などと中傷しておるが、当時の創価学会からして観れば、
全くもって厳しいものではない。本より、これらの中傷は、草創期の折伏指導を体験した事のない連中が騒いでいる
だけの事である。哀。

して、其れより後、当方は、創価班の二期生となり、牙城会の一期生にも成って、応に恩師が赤誠たる富士大石寺の
大法義を厳守し、御本仏日蓮大聖人の大本懐たる本門戒壇の大御本尊を胸に奉じて、勇躍、世界広宣流布の御為に、
汗を流したのである。

本より、池田会長(当時)とは、当方が創価班(本山警備)の班長として任務していた折に、又は、夏期講習会や男子部
総会に於いて挨拶もし、何回か握手する事もあったが、其の当時に於いて、応に夢の様な瞬間でもあった。

しかし、其れから幾星霜。其の池田会長は徐々に増慢し、ついには御先師、日達上人猊下の御憂慮を余所(よそ)に、
御開山日興上人已来の総本山を、己(おのれ)の傘下に収めんと画策し、遂には、日顕上人(当時)の御怒りをも買って、
増慢の権化と化した池田太作は、とうとう破門されてしまったのである。

『天の時 ついに来たれり 創価王』

本より、此の狂句は、池田太作が、其の破門を喜んで詠ったものである。

『魂の独立記念日、おめでとう!』

そして、此れは、秋谷城永が狂喜してた叫んだセリフである。

して、あるCクラスのへな猪口(ちょこ)会員などは『狂喜とは、普通の表現ですし~』などと言って、東京五輪の
決定に湧く日本を「狂喜」と侮蔑した中共支那の発言を擁護しておったが、こういう人間こそが、イタリアに行って
バスタを箸で啜(すす)り、支那に行っては、一皿に盛られた料理の取分けを逆さ箸で摘まむのである。哀笑。

「日本では普通ですし~」

哀哀笑。応に御笑い草とはこの事であろう

さて、ここで、Cクラス会員の浅知恵を披露した所で、昨今、蛆(うじ)の様に湧いている、創価身中の蝗蟲(いなむし)、
つまりは、本門戒壇の大御本尊を偽物と言い、日蓮大聖人の御本仏たるを疑い、遂には、日蓮大聖人を御本仏と尊信
する事は、イワシの頭を信ずる事と同じだ、と中傷する身延の回し者を尊敬する学会員などが、其れこそ腐肉から湧き
出る蛆の様に蠢(うごめ)いているのである。

本より、此等の者(蟲)は、日頃の会合に於いては、随順な会員として装い、担当する幹部が、その御書講義に於いて、
本因妙抄を引用しようが、御義口伝を引用しようが、総勘文抄を引用しようが「それは偽書だ!」と叫ぶ事もなく、
卑屈にも頷(うなづ)いて、創価学会員としての体裁を繕っているのである。呆。ったく、何と云う連中であろうか。
本より、こういう連中を「信仰者のクズ」と云うのである。果たして、当方の事の言い様に対して「失礼だ」などと、
お前たちの様な蝗蟲に、其れを云う資格など、これっぼっちも無い、という事を先ずは知るべきであろう。

そんな中で、創価大の教授でありながら、日蓮大聖人の御本仏たるを疑い、其れこそは創り話だ、などと屁理屈を
捏ねていた宮田某が、昨今「誤解を与えてゴメンナサイ」と謝っていた様であるが、聞けば、婦人部組織からの突き
上げがあった、とも聞いておる。小笑。果たして、其れが本当であるならば、流石(さすが)は、腐っても婦人部である、
と多少は褒めてもよかろう。小笑。

さても、創価の蝗蟲が「日寛は日蓮本仏論を展開した邪師」と罵れば、
松岡某などが『日寛上人こそが大聖人と日興上人の正統な系譜』と言い、
重ねて、創価の蝗蟲が「戒壇の大御本尊はニセモノだ」と中傷すれば、
松岡某などが『法体の血脈は戒壇の大御本尊以外にない』と言う。

更に学会本部が『日蓮大聖人こそは末法の御本仏』と仰げば、
創価の蝗蟲は「大聖人が本仏だという文証を出せ!」と言い、
池田太作が『七箇相承とは、日蓮大聖人から日興上人に相承された口伝書だ』と講義すれば、
創価の蝗蟲は「そんなのはウソだ!」と言う。

哀哀笑。つまりは、学究に於いても教義に於いても、支離滅裂という事なのであるが、其の攪乱の張本人こそが、
インターネットに蠢く、創価身中の蛆虫である事は、最早、明らかなのである。

松岡は胸を張って言う。

『今日、日寛上人の正統教学を受け継ぐ創価学会の出現によって、日蓮大聖人の仏法は正しく世界に弘められ、
人類の闇を照らす希望の光となっているのである』と。

本より、此の様な内容は、松岡などから説教されなくとも、学会の草創期からの信条であり、創価学会の教学を
学ぶと云うのは、応に日寛上人の御書の読み方を学ぶものであって、又、其れをして日蓮大聖人の教えを正しく
領解して往く事となるのである。

して、創価の蝗蟲が云く『どれだけ日寛の言葉を引用したとて「日蓮・日興の上代に板本尊が存在した証明」には
ならないですよ。だいたい、いつ、どこで、誰が「戒壇板本尊」を言い出したのか。いつ、どこで、誰が「出世の本懐」
と位置づけしたのか。それを考えれば、この日寛の時代には当然「戒壇板本尊」が存在していましたね。で、日寛は
戒壇板本尊・相承書を体系化し、位置付けましたが、現在ではそれが私達の「考察の対象」となっているのですよ。
日寛の体系化した「大石寺教学」は今の私達には信仰の対象ではありません。ですから「観心本尊抄文段」「当体義抄
文段」「文底秘沈抄」などをいくら引用したところで、「途中の人師がどうしたの?」で終りです。(笑)』

本より、此のセリフを読んで、不快に思う創価学会員こそが「真っ当」な学会員なのであり、学者のようで素晴らしい、
と感心する創価学会員こそが、応に腐肉から湧き出んとする蛆虫(うじむし)の其れなのである。

日寛上人、観心本尊抄文段に曰く『就中(なかんずく)弘安二年の本門戒壇の大御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり。
既にこれ、三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり』と。

本より、此の根本義は、組織破門の有無に於いて変節するものではない。是れこそは、我らの教学に於いて不変たる
大義なのである。仍って、創価学会は、其の大義に於いて、日寛上人御書写の本尊を作成し、配布しているのである。

ならば、お前ら蝗蟲は、今こそ日寛上人の教学に信順し、其の疑念に満ちた蝗蟲根性を、創価学会員の名に於いて
叩き直すべきである。よろしいか。古文書を机の上に並べ、揺らぐ蝋燭の火の傍(そば)で、薄ら笑いする、そんな
蛆虫であるならば、今すぐ創価学会から退会すべきである! よろしいか!

日寛上人に曰く『博学才智にして解了を備え、勤行精進して広く衆経を読めども、信心なきを以て淪堕(りんだ)を
脱れず。(中略) 此の経の如くんば、当世の学者は阿鼻大城を脱れ難しと』 (題目抄文段 634)

よろしいか。本を読了し、学を深め、其の日々に於いて精進しようとも、日蓮大聖人の大本懐たる戒壇の大御本尊に
対して不信するならば、其れらの者は、すべて地獄に淪(しずむ)と、日寛上人は仰せになられているのである。

お前らは、其の事を能く能く肝に銘じるべきである。
 

大勝利の論敗を決す

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 2日(月)11時53分54秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >愚か者から、私の返答に対して「正解」とだけ言われました(笑
>ですが、愚か者からの御自分返答はまたしてもありません。(笑
>しかも、私の答えを根拠に、自分も正しいと論じております。

哀笑。お前がワカランチンであるから、お前の褌(ふんどし)を、其の頭に被せてやったのである。

小笑。其のおかけで、お主自身の浅識と読解力の無さが、其の腐脳に伝わったであろう。哀笑。

当方に感謝しなさい。

>では答えを変えましょう。(笑

哀笑。答えを変える?

哀笑。もうよい。悪足掻きはよしなさい。哀哀。

これで終わりである。

当方は、充分に答えて来た。

して、お主は、本日の今まで、創価学会の教義をして説明せず、当方から示した残り六項の詰問からも遁走し、其の
醜態に恥じる事なく、ただ、質問を繰り返し、其の論詰まりを誤魔化しているのである。ったく、質問さえしていれば、
論敗の其れが有耶無耶になるとは、何とも浅ましい頭脳の持ち主ではないか。哀。

最早、お主の小細工など、今にして観れば反吐(へど)が出る。

よいか。お前こそは、観心本尊抄の真義を勉強しなさい。勿論、其の勉学に於いては、信心こそが第一となる。
して、お前は其れに適(かな)っておるのか。先ずは其の事を、己(おのれ)の心底に問いなさい。よろしいか!

以上、是れにて、創価学会員「大勝利」の論敗を此に決する。

理由は、当室管理人からの再三なる詰問に対し、其の返答に窮して遁逃した事による。
本より、遁逃とは、詰問に答えようともせず、自教団の教学をも述べず、ただ質問を繰り返す、其の悪態をして断ずる
ものである。

尚、論敗者による、後付けの文句などは、須らく負け惜しみの其れとなる。
これ以上、醜態を重ねるものではない。よろしいか。

以上である。
 

秋晴れへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 2日(月)09時50分59秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  哀笑。なんだ、お前も宵っ張りしておったのか。

『本より観心本尊抄の御文『此の時地涌千界出現して』の 地涌千界とは、別しては上行菩薩の再誕、日蓮大聖人の
御事であり、実に其の本地こそは自受用報身 如来でありますから、本門の釈尊(釈迦牟尼仏)は、当然の事として脇士と
なるのであります』

>上記、青くて太い線の引いてある文字は、
>大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」発言の大元、大月天さん記事です。

秋晴れよ。誤魔化すものではない。

よいか。当方は『大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」発言が問題なのです』という、お主の発言に対して、
其れは当方の発言ではない、と言っているのである。

すると、お主は、こー言って来た。

>「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であると、捉えてると誤解ではなく、自分で判断しました。

と。

だから、人様が言っていない事を、その様な意味だと捉え、自分の判断で「その発言が問題だ」と断定し、その相手に
対して「その発言が問題だ」する姿勢こそが「問題だ!」と改めて言っているのである。

して今度は何か。当方による身延破折の文を持って来て「(その)発言の大元」などと言っておる。
よいか、秋晴れよ。相手の論文を読み、その内容を自分で解釈し、その結果、同じ意味である、との判断になろうとも、
其のやり取りの中で言っていない発言を、「その発言が問題だ」と相手に対してするものではない。よいか。当方は、
其の事を言っているのである。お主がどー判断しようとも、大元の論文を持って来ようとも、やり取りの中で「地涌千界が、
釈尊を脇士とする」と発言したのは大勝利なのであって、当方ではないのである。よいか。此の事を、能く能く、その頭に
叩き込んでおきなさい。

して、お主が持ってきた論文、

『本より観心本尊抄の御文「此の時地涌千界出現して」の 地涌千界とは、別しては上行菩薩の再誕、日蓮大聖人の
御事であり、実に其の本地こそは自受用報身如来でありますから、本門の釈尊(釈迦牟尼仏)は、当然の事として脇士と
なるのであります』

はて、これがどーかしたのか。

>この教学、日蓮正宗ではあるのでしょうかね。?

在るから述べておる。本より、総じて云へば、地涌千界とは、地涌の菩薩の全てであろう。しかし、其れを別すれば、
上行菩薩の事であり、其れこそは日蓮大聖人の御事である。して、其れは外用の御姿であり、其の本地(御内証)こそは、
久遠元初自受用報身如来である。仍って、本門の釈尊は、大曼荼羅に御相貌に於いて、脇士と為るのである。

つまり、大勝利が発言した『地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味である』との発言は、其の意に於いて正しい
解釈なのである。したがって『大勝利さんの下記の書き込み、私テキには、合点、来てしまいましたね。笑』と、お主が
笑っている事については、其れで良いのである。鼻笑。

しかし、大勝利は、『そんな教学は聞いたことがない』と言っているのである。だから、当方は其れを問い質している
のである。して、お主も『そんな教学は聞いた事がない』の類(たぐい)であるのか。哀笑。

>もしかしてだけど~。
>虚空会で釈尊が地涌菩薩の脇士になった。とでも言うんじゃないの~~?

小笑。何とも幼稚な言い様である。お前らこそは「此の時地涌千界出現して」の御文を、よく心読しなさい。哀笑。

>もう廃盤になった『日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄(昭和40年9月12日発行)』のものをあえて使う
>ならば

はぁ?

お主云く

>今、手元に、昭和40年9月12日発行の日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄があります。
>この講義録は、大月天さんも研鑽されていたことでしょう。
>もう一度、読み返してください。あ、間違ったと気付きますよ。

大丈夫か? おい。哀笑。

して、「廃盤」とは、レコードの事を指すのではないか。違うのか。

>大月天さんのこの下記の教学は、た『日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄(昭和40年9月12日発行)』には、
>どこを探してもありませんでした。

『本より観心本尊抄の御文「此の時地涌千界出現して」の 地涌千界とは、別しては上行菩薩の再誕、日蓮大聖人の
御事であり、実に其の本地こそは自受用報身 如来でありますから、本門の釈尊(釈迦牟尼仏)は、当然の事として脇士と
なるのであります』

そうであるか。ならば、創価学会の教義に於いて、地涌千界の棟梁とは誰か。して、其のお立場は、どーであったのか。
して、一閻浮提第一の本尊を御建立なさるは、一体どの様な御立場で御建立されたというか。その事を創価学会の教義に
於いて述べなさい。本より観心本尊抄の御書講義の内容のみならず、あらゆる講義書に於いて調べるがよかろう。
さすれば、答えが出て来るというものである。尚、此ら日蓮大聖人に於ける本地垂迹、及び御本尊の定義については、
破門以前も以後もない。又、その事は、創価学会が日寛上人の本尊を選定した意義に於いて明白である。

>あつ、そうだ。忘れてた。
>大月天論敗

哀笑。其の結論が間違いであるか、否か。お主が、地涌千界の棟梁とは誰であり、其のお立場は、どうであり、
一閻浮提の大御本尊を御建立する、其の甚深たるお立場は、一体、どの様な御立場であるのか。其の答えを出せば、
すぐに判る事である。

判ったら投稿しなさい。

尚、お主はこっちに来なさい。

ややこしくなる。
 

秋晴れへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 2日(月)02時06分25秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  『「大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」』発言が問題なのです』という秋晴れ殿の誤解、つまり、

>「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であるとの、

というお主(大勝利)の発言を、当方が発言した言い、しかも『其の発言が問題だ』と云っておるから、当方は、いつ、
『地涌千界が、釈尊を脇士とする』という発言をしたのですか? 当方は、其の様には言っておりませんよ。と言って
いるのである。

>何々、この記事によれば、私が大勝利さんの記事を何の根拠もなく、誤解して、『其の発言が問題だ』と云っていると、
>それって、大勝利さんに云うべきこと?
> 姑息なのは、三日月さん、貴方。

哀。はて、何処(どこ)が姑息であるか。大勝利の「地涌千界が、釈尊を脇士とするような意味である」との発言を、

>大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」』発言が問題なのです

としたは、お主ではないか。果たして、人の発言を別人に当て付け「その発言が問題だ」などと、是れこそは誤解どころ
ではない「偽装発言」であろうが。

>誤解? 笑わせてはいけません。
>「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であると、捉えてると誤解ではなく、自分で判断しました。

だから、人様が言っていない事を、その様な意味だと捉え、自分の判断で「その発言が問題だ」と断定する姿勢こそが
「問題だ!」と言っているのであり、当方として、一歩引いて其の事を『誤解』と述べては来たが、お主の其の反省の
ない、まこと無礼な言い様に対し、以後、お主は、当方から呵責と対象となる。よろしいか、利口ぶるでいぞ。

『其の地涌千界とは、日蓮大聖人からして外用の姿であり、其の内証の辺こそは、久遠元初の自受用身として出現し、
本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の大御本尊を日本国に於いて建立あそばす、という事である』


>この論理は飛躍してます。この一文でそこまで(日蓮本仏義)のことは述べられません。かなり乱暴な説明です。
>この一文では、誰が、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊を建立したか。ここまでの説明しか出来ません。
> 従って、ここは日蓮大聖人が末法の御本仏であるとの説明までは、出来ない箇所です。

小笑。そーか。そこまで述べられないか。哀笑。
お主こそは、文上を舐めて悦に入る守文奴であるのか! 哀怒。

秋晴れよ。

ここで問答すると、大勝利ならぬ「大敗北」が、己(おのれ)の論敗を霞めるために、再度、横やりを入れて来るやも
知れん。仍って、お主を呵責するのは、論決の宣言を為し終えてからとしよう。しかし、今週は忙しい故、お主を叱責
するのは、そう度々とは往かないだろう。残念だか仕方がない。しかし、時間を得た時は、大いに雷を落としてしんぜ
よう。何度言っても聞き分けのない奴には、雷を落とすのが一番である!

よいか。男子部隊長が、分隊長をぶん殴って、何だ! この成果は! と怒鳴る姿など、当方は幼少の時から垣間見て
来たのである。それだけ皆、真剣だったのである。本より雷どころの騒ぎではない。

屁理屈を捏ね、学会本部の教学にも違背し、文献だ、文証だ、と呶呶(どど)する学会員などは、信仰者のクズであり、
其れこそは、身中の蝗蟲である!

お主がそうでない、というならば、目の前に居る、蝗蟲会員を責むべし! よろしいか。

尚、本日は、久しぶりの休日であったから、その未練を引きずって、未だに起きている。鼻笑。
とは言うも、もうすぐ床につくがな。

兎も角、覚悟をしておきなさい。尚、次回まで、論点の拡散は許さない。よろしいか。
 

大勝利よ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 2日(月)00時58分57秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お主、最早、万事休すであるな。哀笑。

情けである。お主が足掻(あが)く処の、質問返しに答えてやろう。

>大月天管理人さんに質問します。
>「此時地涌千界出現本門釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国」
> 本尊抄の「本門釈尊」とは一体誰の事か。法華講員として、しっかりと其の御名を示しなさい。

「本門の釈尊」を脇士と為す文は、観心本尊抄。
「本門の教主釈尊」を本尊とすべしとの文は、報恩抄。

して、観心本尊抄に於ける「本門の釈尊」とは、文上の釈尊。
そして、報恩抄に於ける「本門の教主釈尊」とは、文底の釈尊。

而して「釈尊」と「教主釈尊」とは、其の意に於いて同じ。唯、其の述べる御書に於いて異なるだけである。
尚、報恩抄の「本門の教主釈尊」の多義を述べれば、日寛上人の報恩抄文段が如く、三蔵の教主釈尊、
通教の教主釈尊、別教の教主釈尊、迹門の教主釈尊、本門の教主釈尊、そして、本因妙の教主釈尊ともなろう。

そして、観心本尊抄の「本門の釈尊」の多義を述べるならば、其の語彙に沿って、小乗の釈尊、権大乗の釈尊、
迹門の釈尊、そして本門の釈尊、して、日蓮大聖人こそは文底の釈尊と表記するが適用ともいえよえ。

して、当方は、其の両抄に亘る多義に於いて『本門の釈尊、つまり、本門寿量品、つまりは其の要諦から拝するならば、
それこそは「寿量文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来」である、と述べた。

仍って、報恩抄に於ける「本門の教主釈尊」を、観心本尊抄に於ける「本門の本尊」として述べたものではない事は、
一目瞭然なのである。よろしいか。此の事、何度も言わすでない。

尚、『「教主」の文字を省いておるのは、本抄に於ける釈尊の多義(小乗の釈尊・権大乗の釈尊・迹門の釈尊)を比論する
意味に於いて省いているに過ぎない』との発言に於いては、別に問題はなかろうて。其れは何故か。つまりは、報恩抄に
於いても、観心本尊抄に於いても、其の多義に於ける解釈は共通しているからである。勿論、其の共通とは、文上・文底
という立て分けも含めての事である。尚、御宗門に於かれても、報恩抄に於る「本門の教主釈尊」について「本門の釈尊」
という表記を以って論じられている所がある。勿論、是れとて「本門の教主釈尊」と「本門の釈尊」を同義としているもの
ではない。本より、そんな事は当たり前である。哀笑。

仍って、お主が大白法の一文を掲載して、「我論にお気を付け下さい (笑」と、其の顔面を痙攣させて小笑っておるのは、
まこと気の毒であるが、其の大白法の一文は、其の教示に於ける一端であり、当方が報恩抄に於る「本門の教主釈尊」を、
仮令(たとえ)、観心本尊抄に適する多義の表現にて論じようとも、其の解釈の意味する所に於いては、全く問題はないの
である。勿論、「本門の教主釈尊」と「本門の釈尊」を同義する連中にとっては、天地がひっくり返る程の解釈となろう。

して、今にして思えば、報恩抄の解説に於ける『本門の釈尊』との表記を、観心本尊抄の「本門の釈尊」であると珍釈した
お主の其の解読力の無さこそが問題なのであり、又、其れこそがお主の致命傷となったのである。

>報恩抄には「本門の釈尊」は出てきません

哀笑。ったく、いつまで駄駄を捏ねておるのか。なぁ、大勝利よ。哀。

よいか。其の事については、もう破折済みである。つまり、此のイチャモンについては、もう決着しているのである。
して、其の事が理解出来ない、否、理解はしているが、理解すると論敗となるから、其れを延々と引き伸ばしているの
である。哀笑。よいか、大勝利。もうお主は終わっているのだよ。哀。

>お答えします。
>第五の釈尊は「在世本門の教主釈尊」
>第六の釈尊は、「本因妙の教主釈尊」

小笑。

うむ。つまりは、第五の釈尊とは、報恩抄に於ける「本門の教主釈尊」ではなく、「在世の」本門の教主釈尊であり、
第六の釈尊とは、まさに「本因妙の教主釈尊」という事であるよな。

つまり、当方が言う所の「釈尊」と「教主釈尊」とは、其の意に於いて同じ、との答えを、お主自らが、其れを証明した、
という事にもなる。

して観れば、当方からの詰問『加えて、観心本尊抄に於る「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提
第一の本尊此の国に立つ可し」の「本門の釈尊」とは如何なる釈尊であるのか』に対し『在世本門の教主釈尊』と答えて
おる。小笑。これとて、釈尊の多義について、観心本尊抄に於ける釈尊の多義を、報恩抄に適する多義を以って返答した、
という事になる。しかし、仮令そうであっても、其れらの回答は正解となるのである。つまり、其れこそは当方の引用に
ついても同じ、と云う事である。哀笑。

さて、大勝利よ。

最早、お主に後は無い。哀。

みれば、当方からの詰問七項の内、一番答えやすい、否、其れしか答えられないであろう、七つ目の詰問に対してのみ、
答えを寄こしておる。残りはどーしたのだ! 後の六項目、全てに答えなさい!

最早、当方から回答するものは無い。

後はお主のみである!

よいか。これが最後である!

返答無くば、論敗と決する!

尚、今回の投稿文については、一旦、掲示板に掲載したが、其の内容に於いて、不足する所があり、此に再度、投稿した
次第である。仍って、此の時間と相成った。
 

大勝利へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 1日(日)18時16分36秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お主、いい加減に致せよ。

よいか。よく読みなさい。

当方は、『大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」』発言が問題なのです』という秋晴れ殿の誤解、つまり、

>「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であるとの、

というお主の発言を、当方が発言した言い、しかも『其の発言が問題だ』と云っておるから、当方は、いつ、
『地涌千界が、釈尊を脇士とする』という発言をしたのですか? 当方は、其の様には言っておりませんよ。と言って
いるのである。

今一度、掲載しようか。よく眼球を見開いて、よ~く読みなさい。

**********************************************************************************

>大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」発言が問題なのです。

いや、当方は其の様には言っておらんぞ。

当方は『地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする大御本尊を此の
大日本国に建立する、との意であろう』と述べた。

「地涌千界が釈尊を脇士とする」との単文にて解釈するのと『地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す
一閻浮提第一の本尊を建立する」との全文の解釈では、其の意味合いが違うものとなる。

よろしいか、「地涌千界が釈尊を脇士とする(ような意味)」と解釈したのは、大勝利であって、当方は、其の大勝利の
「ような意味」の解釈に対して、

『抑も、御文中に於ける「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」
とは、応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする大御本尊を此の
大日本国に建立する、との意であろう』

と述べたものである。

仍って、貴殿が言う『大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」発言が問題なのです』との発言こそが間違いで
あるから、速やかに訂正して戴こう。

**************************************************************************************

よいか、大勝利よ。

当方は、『地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人が、本門の釈尊を脇士と為す』ことを否定しているのでない。秋晴れ殿が、
「地涌千界が釈尊を脇士とする」というお主の発言を、当方が発言した、と言っておるから、「其れは、当方の発言
だったのであるか』と、聞き質しているのである。果たして、是れのどこがおかしいか。尚、未だ、其の訂正と謝罪は
貰ってはいない。

よろしいか。『「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味』とは、お主の発言である。しかも、「釈尊を脇士とする
ような意味』などと言っておる。はて、当方がいつ「釈尊」と発言したのか。はて「釈尊を脇士とする」とは何か。

よろしいか。当方は『地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す』と言っているのであり、
「地涌千界が釈尊を脇士とする」などと云う発言はしていない、という事を秋晴れ殿に言っているのである。

小笑。それを何だ。当方の『地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す』との発言から、
【地涌千界】と【釈尊を脇士と為す】のみを取り出して、当方があたかも「地涌千界が、釈尊を脇士とする」と発言した
かの様に見せ、しかも「本門の釈尊」の「本門」を削り、其れこそ、自分が発言した「釈尊を脇士とする(ような意味)」
という致命傷を、当方の発言としてすり替えるとは、お主、其れでも創価学会に身を置く信仰者であるのか!!
よいか、あまり卑劣な事をするものではない。

次!

>「本門の釈尊」、「本門寿量品の釈尊」を「文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来」と言っています。

阿呆! よ~く文意を探りなさい!

よろしいか。当方云く『而して「本門の釈尊」であるから法華迹門を説いた釈迦でもあるまい。となれば、本門の釈尊、
つまり、本門寿量品、つまりは其の要諦から拝するならば、それこそは「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、
我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」たる、 寿量文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来である
事は、其の文証からして間違いのない処である』と。

して、我らからして本門寿量品の要諦、つまりは其の肝心とは一体何か。実に其れこそは、寿量品の文底の事であろうが。
だから当方は、其の寿量文底に於ける文証を、総勘文抄の一文を以って論証したのである。お前らは阿呆であるのか。
創価学会員のくせして、本門寿量品の要諦も解からんのか! どんな初学の人間でも、富士門徒の一員であるならば、
迹門の釈尊でない、となれば本門の釈尊、して、本門の釈尊となれば本門寿量品、して、其の本門寿量品の要諦となれば、
其れこそは寿量文底の意であるは、当然の事ではないか。又、そうであるからこそ、其の寿量品の要諦から拝すれば、
其(そ)は寿量文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来である、と述べているのである。どうであるか、理解出来たか?

して観れば、此に於いても切り文し、一番重要な【其の(寿量品の)要諦から】を削り落とし、其の全体文である、
『本門の釈尊、つまり、本門寿量品、つまりは其の要諦』から「本門の釈尊」を取り出し、しかも「本門寿量品、
つまりは其の要諦」という一文を「本門寿量品の釈尊」と改変し、大月天は「本門の釈尊」「本門寿量品の釈尊」を
「「文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来」と言っています。などと喜んでおる。哀笑。

お主ら、大丈夫か? 頭。

果たして「寿量品の要諦」とは一体何か。創価学会員に於いては、馬鹿で無い限り、答えられるであろう。
つまりは、其れこそが、当方の答えである。

ったく、情けない連中よのぉ。呆笑。

次!

『妙法の五字こそは、日蓮大聖人の本地。そして、地涌千界の棟梁とは、その外用の御姿である。
したがって、妙法の五字は地涌千界の棟梁であるのか否か、との質問自体が稚問である』

>たった3日前の発言↓

『 其れにしても「妙法五字は地涌千界の棟梁か否か?」などと、是れこそは、本尊の首題たる南無妙法蓮華経は、
地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人の事か、其れとも違うのか、という質問であろう』

>無惨としか言いようがないです。たった一問に3日間かけてこれです。
>一問一答で終わりました。

小笑。無惨はお主の脳髄だよ。なぁ、大勝利よ。

地涌千界の棟梁とは、まさしく日蓮大聖人の外用たる上行菩薩の御姿であろうが。

して『地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人の事か』とは、お前の質問、つまり、

>妙法五字は地涌千界の棟梁か否か?
>Yes か no か合わせても5字なんですけど。忙しくて答えられませんか?

に対して答えたものである。つまり、ここで言う「地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人』とは、
お前の質問に対して、『是れこそは、本尊の首題たる南無妙法蓮華経は、地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人の事か、
其れとも違うのか、という質問であろう』との意に於いて述べたものである。

そして、其の答えとして『妙法の五字こそは、日蓮大聖人の本地。そして、地涌千界の棟梁とは、その外用の御姿である。
したがって、妙法の五字は地涌千界の棟梁であるのか否か、との質問自体が稚問である』と述べたのである。

別におかしな事ではない。

しかし、大勝利よ。お前と云う奴は、本当に性根の曲がった奴でるよな。あれやこれやと当方からの答えを捏造して、
一体何が面白い。いや、其れとも当方の記述を理解できないのか。つまりは、馬鹿なのか。哀笑。

尚、お前は今まで、当方からの詰問に対し、其の殆どに於いて答えておらん。其れどころか、次から次へと当方の回答を
切り文し、その辻褄を自ら変えて、イチャモンを付けておる。何という姑息な奴であるのか。呆。

よいか、当方からの回答は以上である。

して、お前こそは、今こそ返答しなさい。問答とは、言うまでも無く、相互に於いて為されるものである。
其の基本をお前は守りなさい。

よろしいか。

①「地涌千界が、釈尊を脇士とする」とは、一体誰の発言か。其の意味合いではなく、其の発言の主(ぬし)を述べよ。

②「在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」とは、一体誰の発言か。(同上)

③『 本門の釈尊(が)、地涌千界(上行再誕日蓮)を脇士と為す』とのお主の珍釈は、創価学会の教義であるのか。

④加えて『「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であるとの、そんな教学は聞いたことがない(笑』と言い
 ながら、其の地涌千界の棟梁を指して、日蓮大聖人と答えたのは一体誰か。

⑤して、其の答えからすれば、「此の末法に出現した地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人が、本門の釈尊を脇士と為す」と
 いう事になるが、其の自らの答えに対し『そんな教学は聞いたことがない (笑」』と笑っていたのは、どーゆー事か。
 まさか、お主は病気なのか。

⑥加えて、当方が解釈した処の『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つ
 べし、とは、 応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする
 大御本尊を此の大日本国に建立する、との意であろう』の論述に対して、「そんな教学は聞いたことがない」と言い
 放ったが、其れで間違いないか。

⑦第五、第六の釈尊を、創価学会員として、しっかり誰の御事であるのか、其の御名を明示しなさい。


よろしいか。先ずは答えなさい。

返答に窮しているは判るが、あれこれと、当方の論述を切り文にして、論敗だ、論敗だ、とデカ文字で喧伝する、
お前の姿こそが無惨である。よろしいか、そーゆーのを【断末魔】と云うのである。

では、回答を待っておる。

尚、『御本尊に示される「南無釈迦牟尼仏」とは、観心本尊抄の御文からして、其れこそは「本門の釈尊」であるが、
して、其れは「在世の釈尊」で間違いないか』との質問は、遁逃アベヒへの「問い掛け」であり、その返答を待って
いる所である。お前には関係ない。横やりは無用。

よいか。今度は、お主が答える番である。

本より、次回に於いて、上記、七項の全てに返答が無い場合は、其の時点でお主の論敗と決する。

よろしいか。
 

アベヒへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月31日(土)16時32分30秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ※だからぁ「在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」とは、一体誰が言ったのか! と訊いておる

>『地・涌・千・界が(今時末法に出現して)、本門の釈尊を脇士と為す』
>って断定していますよ??
>もしかして、大月天管理人さんは熱中症で意識がもうろうとしているのかも。

はて、当方は『地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す』と言っているのであり、
『在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る』とは一言も云ってはいない。

して、御本尊に示される『南無釈迦牟尼仏』とは、観心本尊抄の御文からして、其れこそは「本門の釈尊」であるが、
して、其れは「在世の釈尊」で間違いないか。

お主は、其れに答えなさい。

尚、言って置くが、当方はまったく開き直っていないし、結構な時間もない。

此れよりも、夕刻から不在となる。

一々、煩(うるさ)いよ。お前は。
 

秋晴れ殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月31日(土)16時01分49秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >報恩抄・の『本門の教主釈尊』が地涌千界(日蓮大聖人)の脇士と為るなど、当然にありえないのは正解ですが。

ならば『本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る』などと造文し、砌ぃ、砌ぃ、と騒いでいる大勝利を何とかしなさい。

※『よいか。ここで言っている「本門の釈尊」は、報恩抄に於ける「本門の教主釈尊」の深意について述べたものてあり』

>この部分、全く理解出来ません。観心本尊抄の「本門の釈尊」と、報恩抄に於ける「本門の教主釈尊」は、全く別の
>教えの釈尊ですが、どうやって説明できるのか意味不明です。

そうであるか。当方はただ、報恩抄に於ける『本門の教主釈尊』の定義を見据えた上で、其の釈尊の多義を比する意味に
於いて述べただけである。したがって、観心本尊抄に於ける「本門の釈尊」の意味を指して述べているものではない。

其の事は、当方の記述に於て明らかであります。

**********************************************************************************

云く『さて、其の一応たる一尊四士の本尊形態であるが、抑も其の依拠たる文証は、報恩抄に於ける、

『求めて云はく、其の形貌如何。答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。
所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』(新編 1036)であろう。

見るに何と、日蓮大聖人は、日本乃至一閻浮提(全世界)一同に釈尊を本尊とすべし、と仰せになる。
しかも、其の釈尊こそは「本門の教主釈尊」であると仰せになる。

さても、其の一尊たる「本門の釈尊」とは何か。本より「本門の釈尊」であるから、在世に於いて小乗を説いた
釈迦ではあるまい。又、権大乗を説いた釈迦でもあるまい。而して「本門の釈尊」であるから法華迹門を説いた
釈迦でもあるまい。

となれば、本門の釈尊、つまり、本門寿量品、つまりは其の要諦から拝するならば、それこそは『釈迦如来五百塵点劫の
当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき』(新編1419)たる、
寿量文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来である事は、其の文証からして間違いのない処である。

**************************************************************************************

よろしいか。文中に於ける「本門の釈尊」は、其の一尊、つまり「本門の教主釈尊」に於いて、其の多義する所の、
釈尊をして「本門の釈尊」と述べたに過ぎないのである。だからこそ「本門の教主釈尊」、其の一尊たる処(ところ)、
つまり、其の尊極たる本門の釈尊とは、本より、小乗を説いた釈尊でもなく、権大乗を解いた釈尊でもなく、迹門を
説いた釈尊でもなく、実に其れこそは、文底の釈尊、つまりは、寿量文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来である事は、
其の文証からして間違いのない処である。と述べているのである。

其れよりも、当方が報恩抄の解説に於いて「本門の釈尊」と表記している意を理解できず、其れを観心本尊抄に於ける
「本門の釈尊」と同列視する、お主らの読解力こそが問題である。

>えっ!『教主』を省くのですか? 何の為に?
>本門の釈尊と本門の教主釈尊の区別の意味がなくなります..................。

いいや、当方は、其の区別の定義を充分理解した上で「本門の釈尊」と表記しただけであります。


> 小乗の釈尊
>権大乗の釈尊
>迹門の釈尊
>本門の釈尊
>本門の教主釈尊

>区別されている意味は何なのでしょう。


「本門の釈尊」を脇士と為すは、観心本尊抄。
「本門の教主釈尊」を本尊とすべしは、報恩抄。

当然の定義であります。


仍って当方が云く、

**************************************************************************************

『日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』に続いて、日蓮大聖人は、

『所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』と仰せになられている。

つまり、所謂(いわゆる)一閻浮提一同にして本尊と為すべき教主釈尊の本尊(本門の本尊)こそは、実に宝塔の内、
つまりは、曼荼羅御本尊の内の釈迦多宝・四菩薩その他諸仏を脇士と為す本尊であると仰せになられている。

果たして、上記、本門の教主釈尊、つまりは其の宝塔たる本門の本尊をして、何故に釈迦が脇士と相為るか。
実に其の御形貌こそが、釈尊をして脇士と為さしめる日蓮大聖人の御内証、つまりは寿量文底久遠元初凡夫即極の
自受用報身如来にして、真の教主釈尊たる証しとなるのである。実に是れこそが正意であり、大聖人仏法の極意である。

仍って、日興上人已来、我が正統・富士門流に於いて、教主釈尊と名称するは、文上に於ける久成釈尊の其れではなく、
此れ本門寿量文底下種の教主釈尊の御事であり、実に其れこそは久遠元初自受用報身如来の御当體にして、末法に御出現
された本因の教主である事を指すものである。

****************************************************************************************

よろしいですか。当方は区別の定義を充分理解した上で「本門の釈尊」と表記しているのであります。
本より、「本門の釈尊」から「本門の教主釈尊」の深義を観るものではなく「本門の教主釈尊」の深義について、
「本門の釈尊」と表記した、という事であります。又、其の事は、上記に示した内容に於いて明らかでしょう。

>何を仰っているのか分かりません。
>だって、教えの違う、釈尊が、教えの違う釈尊の深意について述べられませんもの。

いいや、報恩抄に於ける『本門の教主釈尊』つまりは、其の本門釈尊よりも奥義たる、寿量文底の教主釈尊から観れば、
「本門の釈尊」「迹門の釈尊」などは、其れこそ、小義と成るのであります。

其れよりも、秋晴れ殿。

>大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」発言が問題なのです

は、どーなっておるのか。して、其れは当方の発言だったのであるか。

少しは答えてもよかろう。
 

大勝利へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月31日(土)14時19分16秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >大月天管理人さん、貴方の論敗です
>大月天管理人さん、貴方の最期の投稿から一晩待ちましたが、自論の修正もなく回答もありません

小笑。朝から何を焦っておる。だから言っているだろう。当方は暇ではないと。

ったく、書き込めば、暇なのか、と言い、一日空ければ、論敗だ、と言う。小笑。

ったく、騒がしい奴らである。

>報恩抄には「本門の釈尊」は出てきませんがね。何故わざわざ省くのでしょう。比論出きてないのがバレバレですよ。

哀笑。おいおい、まだ、そんな事を言っているのか。何度も言わすでない。怒呆。

よろしいか。ここで言っている「本門の釈尊」とは、報恩抄に於ける「本門の教主釈尊」の深意について述べたもので
あって、観心本尊抄に於ける「本門の釈尊」の意味を指して述べているものではない。つまり、報恩抄の解説に於いて
『教主』の文字を省いておるのは、本抄に於ける釈尊の多義(小乗の釈尊・権大乗の釈尊・迹門の釈尊)を比論する意味に
於いて省いているに過ぎない。哀。

云く、

*************************************************************************************

さて、其の(身延の)一応たる一尊四士の本尊形態であるが、抑も其の依拠たる文証は、報恩抄に於ける、

『求めて云はく、其の形貌如何。答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。
所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』(新編 1036)であろう。

見るに何と、日蓮大聖人は、日本乃至一閻浮提(全世界)一同に釈尊を本尊とすべし、と仰せになる。
しかも、其の釈尊こそは「本門の教主釈尊」であると仰せになる。

さても、其の一尊たる「本門の釈尊」とは何か。本より「本門の釈尊」であるから、在世に於いて小乗を説いた
釈迦ではあるまい。又、権大乗を説いた釈迦でもあるまい。而して「本門の釈尊」であるから法華迹門を説いた
釈迦でもあるまい。

となれば、本門の釈尊、つまり、本門寿量品、つまりは其の要諦から拝するならば、それこそは『釈迦如来五百塵点劫の
当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき』(新編1419)たる、
寿量文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来である事は、其の文証からして間違いのない処である。

****************************************************************************************

よろしいか。お主が『報恩抄に「本門の釈尊」は出てきませんがね』と未練たらしく言っておるが、本より承知の上で、
「教主」を省いたまでの事である。果たして上文を観れば、教主釈尊をして『釈尊』とも表記しておろうが。
つまりは『本門の教主釈尊を本尊とすべし』の一尊をして「本門の釈尊」と表記したまでの事である。

哀笑。

大月天は、報恩抄の解説で『本門の教主釈尊を「本門の釈尊」と解釈し、其の「本門の釈尊」を日蓮大聖人と言った。
なのに、観心本尊抄の解説では『地涌千界(日蓮大聖人)が其の「本門の釈尊」を脇士と為す、と言った。
おかしいぞ、おかしいぞ、と。

大勝利よ。残念であったな。そーならなくて。哀笑。よろしいか。もう、この件については決着しているのである。

哀笑。して観れば、未だに駄駄を捏ねておる。

>砌を出してくださいな。
>「本門教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」との砌を。
>「在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」との砌でもいいですよ(笑

果たして、(報恩抄に於ける)本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る、などと、一体誰が言ったのか。
果たして、在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る、とは、観心本尊抄の何処(どこ)に示されておるのか。

お主こそ、其れを述べなさい。勿論、創価学会の教義に於いて、である。

尚、当方が報恩抄の解説に於いて「本門の釈尊」と表記した事は、前(さき)に述べたとおりである。

仍って、大勝利が未だに駄駄する「砌を出せ」などは、全くの「ズレ砌」であり、此に於いて、大勝利の論敗が決したと
言えよう。

>以上5分で回答しましたが・・・

哀笑。

一、報恩抄に於ける『本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』の「教主釈尊」とは、一体如何なる釈尊で
  あるか。創価学会の教義に於いて述べよ。

> 答)第六の釈尊

二、又、其れに続く『所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』の「釈迦」とは如何
  なる釈迦であるのか。果たして、爾前の釈迦であるのか、迹門の釈迦であるのか、其れとも本門の釈迦であるのか。
  其の事、創価学会の教義に於いて述べよ。

> 答)第五の釈尊

三、加えて、観心本尊抄に於る『此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し』の
  「本門の釈尊」とは如何なる釈尊であるのか。

> 答)第五の釈尊


哀。大勝利よ。なんだ、此の返答は。
よろしいか。5分で片づけようとするから、其の様な横着な返答となるのである。
一体お主は、早食いを皆に自慢する狭量の持ち主であるのか。鼻笑。さもありなん。哀。此の慌て者め。

果たして、第五の釈尊とは何なのだ。して、第六の釈尊とは一体誰の事か。

創価学会員として、しっかりと其の御名を示しなさい。


①『本門の釈尊、(地涌千界)を脇士と為す』とは、創価学会の教義か、其れとも自義か。自義なれば論敗とする。

>答)再掲
>でもかわいそうだから、
>「在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」との砌でもいいですよ(笑
>Yes か no  か合わせても5字なんですけど。忙しくて答えられませんか?

哀笑。だからぁ「在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」とは、一体誰が言ったのか! と訊いておる。
よいか、当方が言ったのであれば、其の砌を要求致せ! ったく、言ってもいない事を、何で当方が説明するのか!
よいか「地涌千界が出現して、本門の釈尊を脇士と為す」が正しい読み方である。ったく「在世本門の教主釈尊が
地涌千界の脇士と為る」とはお前の造語ではないか。ならば、お前こそが、其の砌を出しなさい!

其の上で再詰する。お主が言う「本門の釈尊、地涌千界を脇士と為す」とは、創価学会の教義か。
其れに答えなさい。よいか、ここが大事である。逃げるでないぞ。

② して、其の地涌千界を脇士と為す、其の地涌千界の棟梁が、日蓮大聖人であるとは、創価学会の教義であるか。
 其れとも自義か。自義なれば論敗とする。

> 答)すでに、上行再誕日蓮。と答えております。捏造はおやめ下さい。

哀笑。捏造ではないよ。お前が『本門の釈尊、地涌千界を脇士と為す』と珍釈し、『「地涌千界が、釈尊を脇士とする」
ような意味であると、そんな教学は聞いたことがない(笑』と笑っておるから、ならば、其の地涌千界の棟梁とは一体
誰であるのか、と訊いたのである。して、お主は答えた。『上行再誕日蓮』と。だから当方は『本門の釈尊(が)、地涌
千界(上行再誕日蓮)を脇士と為す』とのお主の珍釈に対して、其れは創価学会の教義なのですか!? と、詰問している
のである。

よろしいか、改めて答えなさい。

『本門の釈尊(が)、地涌千界(上行再誕日蓮)を脇士と為す』とのお主の珍釈は、創価学会の教義なのですか?

加えて『「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であるとの、そんな教学は聞いたことがない(笑』と言いながら、
其の地涌千界の棟梁を指して、日蓮大聖人と答えたのは一体誰ですか? あなたでしょう。
つまり、あなたの答えからすれば、「此の末法に出現した地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人が、本門の釈尊を脇士と為す
一閻浮提第一の本尊を建立する」という事になるでしょう。しかし、あなたは、自分でそう答えていながら「そんな教学は
聞いたことがない (笑」と笑っています。あなたは病気なのですか? 頭、大丈夫ですか?

ったく、捏造はおやめ下さい、とは、こっちのセリフである!

何とか申せ!

③ して、当方が解釈した処の『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つ
 べし、とは、 応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする
 大御本尊を此の大日本国に建立する、との意であろう』の論述に対して、「そんな教学は聞いたことがない」と言い
 放った。其れで間違いないか。

>答)まず先に砌を出してください。

哀。だから、お主の『『「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であると、そんな教学は聞いたことがない(笑
宗門でさえ言ってないことをよく言うの~(笑』との嘲笑に対して、

『(地涌千界が、釈尊を脇士とする)とは、此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の
国に立つべし、とは、応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする
大御本尊を此の大日本国に建立する、との意であろう』と当方が述べた事によって、お主の嘲笑が、実に創価学会の教義
から外れているかが、此に証明されたという事である。いや、其れでも外れていない、と云うならば『そんな教学は聞い
たことがない』との嘲笑を取り消しなさい。よろしいか。言って置くが、お主こそが論敗の域に入っているのだぞ。哀。

尚、お主が論窮の果てに駄駄する『砌の要求』については、前(さき)にも申した通り、自らが言っていない事を、説明する
程、当方の頭は分裂しておらん。其れよりも、お主が造った『ズレ砌』は、お主こそが示すべきであろう。

①『本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る』
②『在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る』
③『在世本門の教主釈尊を地涌が脇士と為す』

果たして、此れは創価学会の教義であるのか。
其れこそ、そんな教学は聞いたことがない、(笑。

などと、自虐している場合ではないぞ。おい。小笑。

尚、三番目のズレ砌『在世本門の教主釈尊を地涌が脇士と為す』は、いつの間にやら、こっそりと削除されておる。

はて、ズレのズレズレで赤面してしまったのか。大笑。

ったく、

>此の砌『在世本門の教主釈尊を地涌が脇士と為す』砌まだでしょうか?

…哀笑。泣けて来るぞ。

して見れば、苦し紛れに

>貴方は「在世本門の教主釈尊」を造語と発言しています。これは貴方の我論です。

などと言っておる。哀笑。よいか、ここで言う造語とは、「在世本門の教主釈尊」の一点について
述べているものではない。「在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」との文体に対して、
其れを造語と申しているのである。だから当方は、そんな文章、観心本尊抄の何処(どこ)にありますか!?
と詰問したのである。

→『「在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」との砌でもいいですよ(笑』

お主こそは、其の様な文章が何処(どこ)にあるのか。其れを出しなさい。

尚、観心本尊抄に於いては『地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし』と
記(しる)されている。本より、此の御文を創価学会員として素直に拝読すれば、其れで済む事なのである。哀笑。

>妙法五字は地涌千界の棟梁か否か?
>Yes か no  か合わせても5字なんですけど。忙しくて答えられませんか?

妙法の五字こそは、日蓮大聖人の本地。そして、地涌千界の棟梁とは、その外用の御姿である。
したがって、妙法の五字は地涌千界の棟梁であるのか否か、との質問自体が稚問である。
哀笑。こんな稚問、暇であっても答えたくないわい。怒。

して、創価学会に於いてはどーであるのか。妙法の五字は地涌千界の棟梁か否か、との二者択一の教義であるのか。
其れこそ、Yes か no か、合せても五字なんですけど、頭が混乱して判りませんか? だよ。ほんとーに。哀笑。

よいか。創価学会に於いては二者択一の教義であるのか。しっかりと答えなさい。

以上、40分くらいで、お主の珍答を懲らしめたが、果たして、其れらに対する回答はどれほど待てばいいのでしょうか。

今回も「5分」なのでしょうか、なぁ、大勝利よ。よいか、手を抜くでないぞ。

尚、『お主ら法華講員は、観心本尊抄の御文「釈尊脇士上行」を、どの様に拝読しておるのか。其れを述べよ!』との
デカ文字の断末魔に於いては、別に其の儘、御本尊の体相を述べられたものであり、其(そ)は中華グルメ殿が申す所と
同じくするものである。而して「釈尊脇士上行」との意は、前文に於ける『其の本尊の為体、本師の娑婆の上に』から
拝読すべきであり、又、そこにこそ、大聖人の御本意が示されるのである。

で、創価学会では「釈尊脇士上行」を、どう拝読しておるのか。お主は其れを述べよ。

尚、言って置くが、当方が創価学会員の教義に於いて答えよ、とは、『創価学会ではこういう教義になっている』との
返答を求めているのではないぞ。よいか。お主ら創価学会員が、応に創価学会の教義に於いて、その正当を示せ!
と申しているのである。本より当然の事であるが、他人事のように『創価学会の教義ではこの様になってます』などと
遁辞の担保にするではないぞ。よろしいか。前(さき)にも申したが、創価学会員が、其の対論に於て創価学会の教義に
違背し、自論邪義を展開した時点で、其の者の信心と教学は破綻するのであり、其れこそが論敗の証しと成るのである。

哀。観るにお主、今の今まで、創価学会の教学に於いて、其の正義を一向に示しておらんではないか。

早く顕示しなさい。

尚、当方は、日曜日までは、どうにか時間を得られるが、月曜からは繁多となる。
 

管理人殿

 投稿者:Hidebon  投稿日:2014年 5月30日(金)13時34分10秒 softbank220044135060.bbtec.net
返信・引用
  >私の論考はとりあえずここまでにして、管理人さんの論考を楽しみに
することに致しましょう。正義を顕揚して下さい。期待しております。
 

Hidebons殿

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月30日(金)13時07分44秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  申し訳ないが、御貴殿は前回の投稿に於いても、自身が所属する宗派教団を明示せず、又、其の教義信条も示さずに、
凡そ2チャンネルによる雑談を転載し、今回はアンチ創価による裏話の長文を延々と貼り付けている様でありますが、
其れら投稿内容も含め、当室の主意から大きく乖離している由。つきましては、今回の投稿文に於いては、まことに
申し訳ないが、削除とさせて頂きます。

尚、投稿された内容などは、法論を趣旨とする掲示板に寄せるよりも、日本共産党や民主党、又は、維新の会や、
旧太陽の党に所属する議員に寄稿した方が、其の効き目(活用)はあるのではないですか。

本より、政権の代理として安倍首相の親書を携えた公明党代表の山口氏が、中共支那の大幹部に対して『池田会長の精神を
受け継ぐ』と発言した事に関し、野党議員の誰しもが黙認する、其のだらしない現状について、応に御貴殿が投稿された
内容などは、それら愚能な野党議員に対して、一つのカンフル剤となるのではないですか。

兎も角、当室に於いては、その主意に反しますので、申し訳ありせんが、全文、削除とさせて頂きます。

尚、次回の投稿からは、自身の所属宗派、及び教団の親告をお願い致します。そして、他宗の教義本尊について批判する
場合は、先ず以って、自身が所属する宗派教団の教義及び本尊の正義を顕揚して下さい。

以上であります。
 

秋晴れ殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月30日(金)13時04分59秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」発言が問題なのです。

との誑言について、未だ其の訂正と謝罪が為されていないが…。一体、どうされたか。兎も角、速やかに訂正して頂こう。
本より、其の訂正と謝罪の姿勢こそが、貴殿の今後の創価学会員としての教学向上に役立つものと確信する。

加えて、貴殿の手元に在る「日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄」の大意を読まれたのか。
果たして、「あ、間違った」と気づいたは、一体どちらの方であったか。

貴殿こそは、日寛上人の御教示を能く能く心肝に染めなさい。

>大月天さん、この答えお待ちしております。
>砌を出してくださいな。
>「本門教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」との砌を。

秋晴れ殿。重ねて云うが、此の質問の魂胆を見抜けない様ではダメであるぞ。

よろしいか。当方は、、報・恩・抄・の『本門の教主釈尊』が地涌千界(日蓮大聖人)の脇士と為る、など、

こんな文章が観心本尊抄の何処(どこ)にありますか! と言ったのである。此の事、理解できますか?

貴殿こそは、大勝利の魂胆を見抜きなさい。

見れば返答も寄こさず、次から次へと造語を繰り出し、今度は「在世本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」の砌を
出せ、などと騒いでおる、小笑。果たして『在世本門の教主釈尊』とは、報恩抄に示された本尊の意か。其れとも、
観心本尊抄に示された、本門の釈尊の意か。哀笑。お主ら創価学会員こそが、其の事を説明致せ。果たして出来るのか、
お主らに。哀笑。


兎も角、秋晴れ殿。貴殿こそは、速やかに訂正と謝罪の意を此に示しなさい。

よろしいか。

其れこそが急務である。

して、反論があるならば、貴殿が手元にある「日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄」の大意を以って、
『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし』の正釈を示しなさい。
 

大勝利へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月30日(金)12時56分42秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  小笑。はやり報恩抄の一文か。哀笑。姑息な奴め。

よいか。ここで言っている「本門の釈尊」は、報恩抄に於ける「本門の教主釈尊」の深意について述べたものてあり、
其の論説に於いて表記したものである。本より、観心本尊抄に於ける「本門の釈尊」の意味を指して述べているものでは
ない。つまり、報恩抄の解説に於いて『教主』の文字を省いておるのは、本抄に於ける釈尊の多義(小乗の釈尊・権大乗の
釈尊・迹門の釈尊)を比論する意味に於いて省いているに過ぎない。哀。

其の事は、以下の続文に於いて明らかである。

(大勝利が掲載した一部文)

****************************************************************************************
投稿者:管理人 投稿日:2014年 5月25日(日)14時39分7秒
※「さても、其の一尊たる「本門の釈尊」とは何か。本より「本門の釈尊」であるから、在世に於いて小乗を説いた
釈迦ではあるまい。又、権大乗を説いた釈迦でもあるまい。而して「本門の釈尊」であるから法華迹門を説いた
釈迦でもあるまい。

となれば、本門の釈尊、つまり、本門寿量品、つまりは其の要諦から拝するならば、それこそは『釈迦如来五百塵点劫の
当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき』(新編1419)たる、
寿量文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来である事は、其の文証からして間違いのない処である。

***************************************************************************************

(当方による其の続文)

して、其の久遠元初の釈迦如来ではあるが、身延が一尊四士本尊の依文としている其の報恩抄の一文、

『日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』に続いて、日蓮大聖人は、

『所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』と仰せになられている。

つまり、所謂(いわゆる)一閻浮提一同にして本尊と為すべき教主釈尊の本尊(本門の本尊)こそは、実に宝塔の内、
つまりは、曼荼羅御本尊の内の釈迦多宝・四菩薩その他諸仏を脇士と為す本尊であると仰せになられている。

さても身延よ。

上記報恩抄の御文をして、本門の教主釈尊とは、一体全体、宝塔の内の釈迦多宝の二仏からして、如何なる釈尊で
あるのか。現今の身延山久遠寺に安置されている本尊の形態から説明せよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哀。よろしいか? しっかりと目を通しなさい。

尚、此の事は、同日の、2014年 5月25日(日)15時09分50秒 に於いて、

又、報恩抄の御文中『日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』の「本門の教主釈尊」
とは、久遠元初凡夫即極の教主釈尊の事であり、其は末法御出現の自受用報身如来たる日蓮大聖人の
御事であります。つまりは観心本尊抄の『本門の釈尊』とは別意という事になります。
つまり、御本尊に示された御相貌を、自受用報身如来の己心に具わる十界三千と観なければ、上記の事
などは理解出来ないのであります。

果たして『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為る』と身延流に読むならば、其れこそ
日蓮大聖人が末法に出現し、わざわざ釈尊の脇士と為って一閻浮第一の大曼荼羅を建立する、という
意味になってしまいます。果たして、其れが正解であるならば、創価学会員は、日蓮大聖人が脇士に
なっている本尊を拝んでいる、という事になります。それで間違いありませんか?

と、既に述べている処である。

哀笑。ったく、其れら全体の意を見通せず、

大月天は、報恩抄の解説に於いて『本門の釈尊は日蓮大聖人の事だ』と言った。
なのに、観心本尊抄の解説では、地涌千界(日蓮大聖人)が其の本門の釈尊を脇士と為す、と言った。
おかしいぞ、おかしいぞ、と。哀笑。

おい! 其れこそは身延の言い分ではないか!
お前ら、其れでも創価学会員か!

ったく、其の体たらくをして「本門教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」の砌を出せ、などと。哀笑。

よいか。お主らは身延の毒に侵されておるから、報恩抄に於ける『本門の教主釈尊』を理解出来ず、
観心本尊抄に於ける『本門の釈尊』が解からんのである。

何? 解かっているだと?

よろしい。

ならば問おう。

一、報恩抄に於ける『本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』の「教主釈尊」とは、一体如何なる釈尊で
  あるか。創価学会の教義に於いて述べよ。

二、又、其れに続く『所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』の「釈迦」とは如何
  なる釈迦であるのか。果たして、爾前の釈迦であるのか、迹門の釈迦であるのか、其れとも本門の釈迦であるのか。
  其の事、創価学会の教義に於いて述べよ。

三、加えて、観心本尊抄に於る『此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し』の
  「本門の釈尊」とは如何なる釈尊であるのか。して、此の「本門の釈尊」は、報恩抄に於る「本門の教主釈尊」と同義
  であるのか。其れとも別義であるのか。其の事、創価学会の教義に於いて述べよ。

尚、何度も言っている事であるが、創価学会の教義に違背し、自義我論及び邪宗教義を論じたならば、其の時点に於いて
論敗となる。つまりは、お主ら創価学会員としての教学が破綻した、という事になる。よろしいか。

速やかに返答すべし。

ったく【砌出せないのなら・・・お月さんが自義なんじゃないの?】などと悠長な事を言っている場合ではない。哀笑。

尚、上記の三項に基づいて、 以下の大勝利の発言に対する詰問も併せて返答戴こう。


①『本門の釈尊、(地涌千界)を脇士と為す』とは、創価学会の教義か、其れとも自義か。自義なれば論敗とする。

② して、其の地涌千界を脇士と為す、其の地涌千界の棟梁が、日蓮大聖人であるとは、創価学会の教義であるか。
 其れとも自義か。自義なれば論敗とする。

③ して、当方が解釈した処の『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つ
 べし、とは、 応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする
 大御本尊を此の大日本国に建立する、との意であろう』の論述に対して、「そんな教学は聞いたことがない」と言い
 放った。其れで間違いないか。お主が寄こした『地涌千界の棟梁は、上行再誕の日蓮大聖人』との回答から、其の
 整合を述べよ。出来ずんば「そんな教学は聞いた事もない(笑」との嘲言を即刻に取り消し、当方に対して謝罪すべし。


よいか。人様が言っていない事を、疑難の種とし、又は、其れを付会し、捏造し、切り文にして難癖を広げ、其れでいて、
自身に於ける創価学会員としての教義解釈を隠匿するなどは以ての外である。よいか、そーゆーのを「卑怯」と云う。

哀。其れにしても、身延の破折に文句する創価学会員とは、一体、どの様な創価学会員であるのか。

実に其れこそは「信仰者のクズ」の一端ではないのか。

兎も角、上記六項の詰問に対して、速やかな返答を戴こう。期限は明日中までとする。もはや限(き)りがない。
当方は既に述べた。後は、お前達が創価学会員として、創価学会の教学に基づき、当方からの詰問に答えるのみである。

よろしいか。

これが最後である。
 

アベヒへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月29日(木)17時49分6秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  哀笑。当方の詰問から逃げ回り、其の恥態を恥じる事無く、傍観の稚言を吐く、その哀れさよ。哀笑。

>仕事が忙しそうですね。(笑い)

ああ、忙しいぞ。本日も今から留守となる。お前とは違うのだよ。

残念だが、本当はヒマなんでしょ、(笑い) は、ハズレである。鼻笑。

>つまり、『本門の釈尊を脇士と為す』の部分を短絡的に「大御本尊建立の義」と推測したからだという事を
>すっぽりヌカしています。
>説明するまでもありませんが、大月天管理人の依文としている箇所は観心本尊抄の
>◎問うて曰く仏の記文は云何答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」の返答の部分です。

小笑。いいや、今回の論点は、あくまでも『此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊
此の国に立つ可し』との全文に於ての解釈が論点であり「本門の釈尊を脇士と為す」を以って、大御本尊建立の義
として展開するものではない。お主は一体、何処(どこ)に目を付けておるのだ。其れとも故意に論点を拡散しておる
のか。ったく、姑息な奴め。其れでは援護にならんぞ。

其れより、お前こそ「日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄(昭和40年9月12日発行)」を心読しなさい。

>しまいには反問で「勝利宣言」の下ごしらえです。

小笑。勝利宣言の下ごしらえ、ではない。勝利宣言の準備である。勘違いするな。

>おそらく大月天管理人はこのまま逃げるでしょう。

小笑。おいおい、何で逃げる必要があるのだ。逃げてしまったら、大勝利の謝罪と、秋晴れの殿の謝罪が聞かれないでは
ないか。よいか。此の両人による「間違っていました。すみません」の一言を頂戴しない限り、其の先には進めない、と
云う事である。尚、此の両人による間違いは、前(さき)に示したとおりである。

小笑。其れよりもお主、其の様にパソコンに張り付いて、あれこそれと投稿文を覗いては、ダボハゼの様に食らい付く、
其の浅ましい醜態は何とかならんのか。哀。

哀。お前などは、引っ込んでいなさい。

語るに足らん男である。
 

秋晴れ殿

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月29日(木)16時50分19秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >大月天さんへ要点だけ失礼します

>本題です。
>大月天さんの提示された
>『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、 此の国に立つべし』ですが、
>大月天さんの解釈、  ↓

『其の地涌千界とは、日蓮大聖人からして外用の姿であり、其の内証の辺こそは、久遠元初の自受用身として出現し、
本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の大御本尊を日本国に於いて建立あそばす、という事である』

>この論理は飛躍してます。この一文でそこまでのことは述べられません。かなり乱暴な説明です。
>この一文では、誰が、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊を建立したか。ここまでの説明しか出来ません。
>従って、ここは日蓮大聖人が末法の御本仏であるとの説明までは、出来ない箇所です。

お主、当方に言ったではないか。

>今、手元に、昭和40年9月12日発行の日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄があります。
>この講義録は、大月天さんも研鑽されていたことでしょう。
>もう一度、読み返してください。あ、間違ったと気付きますよ。

と。

して、当方は言った。

『尚、当方の手元には「日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄(昭和40年9月12日発行)」なるものは無い。
ただ在るは、御書全集の本尊抄の全頁に亘り、びっしりと書き込まれた、当時の御書講義のメモが残されているのみで
ある。其れとて充分であろう』と。

本より、其の御書全集に、びっしりと書き込まれた講義内容は、其の当時に於いて、学会発行の御書講義の内容を基本と
するものである。仍って、上記の当方の説明は、創価学会教学の其れであり、又、日蓮正宗の教義に於いて其の整合を得る
ものである。

秋晴れ殿。お主こそ手元に在るという「日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄」のページを開き、本抄の大意を
読み返しなさい。当方が其の当時に於いて御書全集に書き込んだ内容が、須らく創価学会の教学に合致したものである
かが、一目瞭然となろう。

日寛上人に曰く『「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」とは、
これ即ち妙法の五字の本尊なり』と。(観心本尊抄文段 547P)

仍って『今に謂く、妙法の五字の袋の内に久遠元初の自受用身即一念三千の珠を裏(つつ)むなり。久遠元初の自受用とは
日蓮聖人の御事なり。久末一同、これを思い合わすべし』と。(同 第十一段 総括 548P)

秋晴れ殿。よろしいか。我らは、短文の一句を舐めて満足する、所謂、文献莫迦の其れではない。其の全体の文意を
総合的に判釈し、そこに示された深意というものを、根本義から解釈せねば、其の全体の本義は顕示されないのである。
ここの一箇所はこうだから、全体もそうなのだ、との解釈は時に依っては間違いと成り、其の全体の解釈、つまり、其の
根本義を基底として一箇所の文意を拝する事が、先ずは第一と成るのである。よろしいか。観心本尊抄は発迹顕本以後に
開顕された御書である。そうとなれば、其の全体をして、日蓮大聖人の御内事を領解しなければならない、と心得るべき
であろう。

して、秋晴れ殿。

>大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」発言が問題なのです。

との誑言について、未だ其の訂正が為されていないが、速やかに訂正して頂こう。いや、ここまで来たならば、
『間違ってすみませんでした』の一言を戴こうではないか。

>最後に、大月天さんは、日蓮大聖人が末法の御本仏であるということを理路整然と説明できる方と思っておりましたが、
>どうも、そうでもないのでしょうか。そうか御宗門様自体がそうなのでしょうか?、それとも大月天さんがなのでしょうか?
>もうこうなってくると、宿坊さんをはじめとして、創価学会員の言動をとやかく言っている場合ではないでしょう。
>この一件を通し、私も、御宗門様の日蓮大聖人が末法の御本仏という根拠を示せとでも云いたい気持ちにもなります。

そうか。本より日蓮大聖人が末法の御本仏である、については、あらゆる文証に於いて解読できるが、其れで対するか。
とは云うも、昨今では、日蓮大聖人は末法の御本仏ではない、と叫ぶ創価学会員が繁茂している由。となれば先ず以て、
御貴殿こそが『真』の創価学会員であるのか、否か。見れば身延の宿坊に肩を寄せている様ではあるが、先ずは一言、
御貴殿こそが『真』の創価学会員として、日蓮大聖人が末法の御本仏である事を堂々と宣揚し、其の返す刃を以って、
身延の宿坊を真っ先に斬るべし!

さすれば、当方、存分に日蓮大聖人が御本仏たるを、創価学会員の御貴殿に披露しようではないか。

>大月天さん、この答えお待ちしております。
>砌を出してくださいな。
>「本門教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」との砌を。

哀笑。秋晴れ殿。此の質問の魂胆を見抜けない様ではダメであるぞ。

『本門の教主釈尊が地涌千界の脇士と為る』

こんな文章が観心本尊抄の何処(どこ)にありますか。

其れよりも何よりも、次から次へと質問を繰り出し、文の一部に誘導して、其の全体を霞めんとする魂胆こそを、
御貴殿は摧(くだ)くべきである!

日寛上人に曰く『一巻の大旨、前来の諸文、これを思い合わすべし』と。(同 547P)

以って曰く『然るに当家(日蓮正宗)の意は、別して仏の中に於ても本門の仏を以て脇士とする妙法五字の本尊なり』と。(同)

では秋晴れ殿。

間違ってすみませんでした。との一言を待っておるぞ。

よろしいか。
 

大勝利へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月29日(木)16時32分12秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ※ 『そんな教学は聞いた事もない』との嘲言を取り消し、当方に対して、間違ってました、と言いなさい。

>砌を出してくださいな。
>「本門教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」との砌を。

おいおい、一体誰が『本門教主釈尊が地涌千界の脇士と為る』と申したか。
其れよりもお主は『本門の釈尊が地涌千界を脇士と為す』と言っていたのではないか。

先ずは、其の事について認めなさい。

して、お主は、地涌千界の棟梁をして、上行再誕の日蓮(大聖人)、と答えたのであろう。
つまり、其の答えからすれば、本門の釈尊が日蓮大聖人の脇士と為る、との解釈になろうが。

となれば、地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人が、此の末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、一閻浮提第一の本尊を
立てる、という事ではないか。果たして、此の何処(どこ)がおかしいか。

しかしお主は『「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であるとの、そんな教学は聞いたことがない(笑』と
言ったのである。して、其の本人が、今になって、一閻浮提第一の本尊を立てた地涌千界の棟梁こそは、上行菩薩の
再誕である日蓮(大聖人)と言い出した。

つまり『本門釈尊為脇士』とは『本門の釈尊を脇士と為す』と判読するが正解であり、又、其れこそが大聖人の御正意で
あろう。仍って、当方が云う処の『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に
立つべし』が正解なのであり、当時の創価学会の教学に於いて間違ってはいないのである。

して、お主は其れに対し、

>本門釈尊が主語ですよね。
>本門の釈尊、(地涌千界)を脇士と為す。
>「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であるとの、
>そんな教学は聞いたことがない(笑
>宗門でさえ言ってないことをよく言うの~(笑

と言って来た。

果たして『地涌千界が釈尊を脇士とする』ような意味など、聞いた事がない(笑 と嘲笑した本人が、今にして地涌千界の
棟梁は日蓮大聖人である、と言う。ならば、当方の『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の
本尊、此の国に立つべし』の解釈で間違いないではないか。しかし、お主は、其れをして聞いた事がない、と云う。

だから当方は、其れは本当なのか。それとも間違いなのか、其の事を此に問うているのである。

してお主は、此の期に及んで『砌(みぎり)を出してくださいな。「本門教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」との砌を』
などと、苦し紛れに「教主」まで付け加えて駄駄を捏ねておるが、本より、此の御文に於いては「此の時地涌千界して、
本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし』との全文を通して判釈しなければ、其の正意は得られ
ないのであり、又、其の事は、前(さき)に於いて述べたとおりである。

大勝利よ、まだ、片付いてはおらんぞ。

再詰する。

一、『本門の釈尊、(地涌千界)を脇士と為す』とは、創価学会の教義か、其れとも自義か。自義なれば論敗とする。


二、して、其の地涌千界を脇士と為す、其の地涌千界の棟梁が、日蓮大聖人であるとは、創価学会の教義であるか。
  其れとも自義か。自義なれば論敗とする。

三、して、当方が解釈した処の『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つ
  べし、とは、 応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする
  大御本尊を此の大日本国に建立する、との意であろう』の論述に対して、「そんな教学は聞いたことがない」と言い
  放った。其れで間違いないか。お主が寄こした『地涌千界の棟梁は、上行再誕の日蓮大聖人』との回答から、其の
  整合を述べよ。出来ずんば「そんな教学は聞いた事もない(笑」との嘲言を即刻に取り消し、当方に対して謝罪すべし。


よろしいか。論窮による拡散は許さんぞ。全ては上記三項の詰問に在る。

須らく答えるべし。
 

大勝利へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月28日(水)13時33分40秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ※ ならば尋ねよう。今時末法に於ける地涌千界の棟梁は一体誰ぞ。お主は其れに答えなさい。

>上行再誕日蓮。

当方は、お主の『「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味である』との解釈に対して、

『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし、とは、
応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする大御本尊を此の
大日本国に建立する、との意であろう』と述べた。

本より此れは、お主の『「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であると、そんな教学は聞いたことがない(笑
宗門でさえ言ってないことをよく言うの~(笑』とのおちょくりに対して述べたものである。

はて、「そんな教学は聞いたことがない」とおちょくった本人が、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊を立てた
地涌千界の棟梁を、上行の再誕日蓮、と申し出た。つまり、地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人が、此の末法に出現して、
本門の釈尊を脇士と為す、一閻浮提第一の本尊を立てる、という事であろう。果たして、此の何処(どこ)がおかしいか。
しかしお主は「そんな教学は聞いたこともない、宗門でさえ言っていない」と嘲笑した。して、其の本人が一閻浮提第一
の本尊を立てた地涌千界の棟梁は、上行菩薩の再誕である日蓮大聖人と返答を寄こした。

おかしいではないか。そんな教学は聞いたことが無いのであろう。

して、其の地涌千界の棟梁が、日蓮大聖人であるとは、創価学会の教義であるか。それとも、お主の自論であるか。
其れを申せ。

そして、其れが創価学会の教義である、というのであれば、当方の論述に対して『そんな教学は聞いた事もない』との
嘲言を取り消し、当方に対して、間違ってました、と言いなさい。

※ 日蓮大聖人の御本仏としての御内証に関係が無いと断言されるか

>「此時地涌千界出現本門釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国」
>文の意は、本門釈尊とは釈迦牟尼仏・多宝仏なり。本尊は妙法五字なり。

>ならば尋ねよう。
>妙法五字は地涌千界の棟梁か否か?お主は其れに答えなさい。(笑

答えても良いが、上記の問いは、秋晴れ殿に対して述べたものである。
其れよりも、先ずはお主の『そんな教学は聞いた事もない、宗門さえ言っていない。(笑 と嘲笑したのは間違ってました』
との一言を貰わねば、秋晴れ殿の誤解が解けん。その点ははっきりさせよう。

仍って、お主の(論点先取りの)質問に付いては、それ以降となる。

鼻笑。其れにしても『妙法五字は地涌千界の棟梁か否か?』などと、是れこそは、本尊の首題たる南無妙法蓮華経は、
地涌千界の棟梁たる日蓮大聖人の事か、其れとも違うのか、という質問であろう。

お主、此れ以降、創価学会員として創価学会の教学を以って返答致せよ。本より、我論を述べた時点で終わりと成る。
本より、終わりとは、論敗が決する、という事である。よろしいか。自らが所属する教団組織の教義、取分け根本義に
違背する者は、自ずと他宗教義に対する批判の資格を失うのである。

尚、上記の質問について、当方が返答した後、お主も『妙法五字は地涌千界の棟梁(日蓮大聖人)であるのか否か』について、
創価学会の教義に於いて述べて貰おう。

尚、当方は、逃げのアベヒと違って、日々に於いて忙しい。本日は時間を得ているが、本夕刻から留守となり、もしか
すれば明後日まで留守となるやも知れん。又、今後とも頻繁に留守になる可能性もある。その点だけは言っておこう。

では一言を待っておる。
 

秋晴れ殿

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月28日(水)11時35分24秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >まずは昭和のおとうさんは、嬉しくないとの事。申し訳ありません。
>では大月天さんに呼び方を変えさせていただきます。

小笑。感謝。

>大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」発言が問題なのです。

いや、当方は其の様には言っておらんぞ。

当方は『地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする大御本尊を此の
大日本国に建立する、との意であろう』と述べた。

「地涌千界が釈尊を脇士とする」との単文にて解釈するのと『地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す
一閻浮提第一の本尊を建立する」との全文の解釈では、其の意味合いが違うものとなる。

よろしいか、「地涌千界が釈尊を脇士とする(ような意味)」と解釈したのは、大勝利であって、当方は、其の大勝利の
「ような意味」の解釈に対して、

『抑も、御文中に於ける「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」
とは、応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする大御本尊を
此の大日本国に建立する、との意であろう』

と述べたものである。

仍って、貴殿が言う『大月天さんの「地涌千界が、釈尊を脇士とする」発言が問題なのです』との発言こそが間違いで
あるから、速やかに訂正して戴こう。

よろしいか。あくまでも『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし』
との全文に於いて解釈しなければ、正釈は為し得ないのである。

>手元に、昭和40年9月12日発行の日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄があります。この講義録は、
>大月天さんも研鑽されていたことでしょう。もう一度、読み返してください。あ、間違ったと気付きますよ。

本より、本抄の要点は、地涌千界(地涌の菩薩)が、正像二千年には出現せず、唯、今時末法に於いて出現される事を
明かすものであり、自界叛逆・西海侵逼の二難が起きている現時に於いて、応に地涌千界が出現して「本門の釈尊を
脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし』との宣示にある。して、其の地涌千界とは、日蓮大聖人からして
外用の姿であり、其の内証の辺こそは、久遠元初の自受用身として出現し、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の
大御本尊を日本国に於いて建立あそばす、という事である。

本より是れが、当方が創価学会に於いて学んだ教学であり、其(そ)は現日蓮正宗の教義に於いても一致するものである。

して、貴殿からして其の様には講義されていない、というのであれば、其れら講義文を掲載して頂こう。

尚、当方の手元には『日蓮大聖人御書十大部講義第四巻観心本尊抄(昭和40年9月12日発行)』なるものは無い。
ただ在るは、御書全集の本尊抄の全頁に亘り、びっしりと書き込まれた、当時の御書講義のメモが残されているのみで
ある。其れとて充分であろう。

>大勝利さんは、「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であるとの、
>そんな教学は聞いたことがない。と仰っているのにもかかわらず、大月天さんは、「本門の
>釈尊が地涌千界を脇士と為す、などと解釈しておる。哀。」と、大勝利さんが云ってもいな
>いことを平気で捻じ曲げて詭弁を以って、デマを書かれています。
>それは、ダメダメです。そのような論法には引っかかりません。

はて、

>本門釈尊が主語ですよね。
>本門の釈尊、(地涌千界)を脇士と為す。

此の発言は、一体誰の発言か。貴殿は能く能く、全文を読み返しなさい。

本より当方は、上記の発言に対して『本門の釈尊が地涌千界を脇士と為す、などと解釈しておる。哀。』と指摘した
ものである。はて、此の何処(どこ)が、大勝利が言ってもいない事を平気で捻じ曲げて詭弁を以ってデマを書く行為で
あるのか。貴殿こそ、当方が言っていない事を、さも言った様に書き散らかしているのではないか。

果たして、当方がいつ「地涌千界が、釈尊を脇士とする」と発言したか。
果たして、当方がいつ「本門の釈尊、(地涌千界)を脇士と為す」という大勝利の発言を捻じ曲げたか。

貴殿は、其れを明示しなさい。

加えて貴殿は、『日蓮本仏の説明が、したいのですよね。そもそも、本尊抄の引用箇所が、間違ってます。引用の箇所は、
地涌の菩薩が、出現して御本尊を建立する内容の箇所であって、本仏論の説明としては、無理です』と断言しておるが、
今時末法に地涌千界が出現して、本門の釈尊を脇士と為す大御本尊を御建立するとは、一体、どういう御方であるのか。
其の地涌千界に於ける外用の姿と、其の御内証の意味に於いて、何で引用箇所が(日蓮本仏義に於て)間違っていると断言
できるか。

貴殿こそは、創価学会の教学に於いて、其の事を説明しなさい。そして、其の説明が出来ないのであれば、
引用箇所が間違っている、という発言を取り消しなさい。よろしいか。

>最後に、私は文句などこれっぽっちも言ってません。
>文句、つまり、批判と捉えられるとは思ってもみませんでした。
>このように、普通の書き込みを、文句や批判に受け止められ
>上から目線で、更に辻褄を合わせようと物申されるお姿は、沖浦さんを思い起こしてしまいます。

『言っていない事を平気で捻じ曲げて詭弁を以ってデマを書く。それではダメです。そんな論法には引っかかりません』

小笑。はて、此れこそが批判ではないのか。否、是れこそは悪口であろう。

尚、当方は『身延の邪義を破折する度に、学会員が文句を言ってくるとは、何ともはや、情けない限りである。本より、
身延の宿坊が呶呶(どど)して来るのは当然として、創価学会員までもが騒ぎ立てるとは、一体如何なる事であるのか』

と述べたのであり、貴殿を名指して述べたものではない。又、この内容からして、貴殿の事ではなかろうて。
果たして今まで、当方が身延教義を破折する度に、苦情を出して来るのは、身延の宿坊は当然の事として、その他
学会員が二、三名居る、という事である。本より、しっかりと全文を読んで貰えれば、貴殿が其れに該当しない事は、
容易に判別できよう。

つまりは貴殿こそ、日蓮大聖人を末法の御本仏を仰ぐは、イワシの頭を信じるのと同じだ、と中傷する、身延の宿坊と、
その痴れ者を尊敬する蝗蟲会員を、先ず以って呵責する立場にあるのではないか。其れこそ、身延を破折する当方に苦情
する前に、創価学会員でありながら、日蓮大聖人が御本仏たるを、イワシの頭と揶揄する莫迦者を尊敬してしまう、その
幼稚な脳髄に対して、先ずは叱責するが、同志として果たすべき行動ではないのか。本より、根本義に対する違背は、
信仰者として致命傷、つまりは「謗法」と成るのであるから、同志として其れを傍観するは、其れこそが無慈悲にて、
謗法与同と成るのではないか。

尚、貴殿は当方をして『沖浦さんを思い起こします』と云うが、日寛上人を冒涜して止まない、信州の雪中老人とは
一緒にして欲しくないぞ。

其れだけは言って置こう。
 

呆れた連中

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月27日(火)18時55分15秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  其れにしても、当方が身延の邪義を破折する度に、学会員が文句を言ってくるとは、何ともはや、情けない限りである。
本より、身延の宿坊が呶呶(どど)して来るのは当然として、創価学会員までもが騒ぎ立てるとは、一体如何なる事である
のか。つまり、それだけ、創価学会の教学に於ける求心力が萎えて来た、という事か。つまりは、創価教学の限界が間近い
という事か。見渡せば、創価学会員でありながら、創価学会の教義に反旗し、凡(およ)そ身延教学に傾斜して、文献莫迦に
成り下がっている連中が見受けられる。果たして、今にして此の状態であるならば、明年あたり池田太作も断末魔を迎える
様であるから、其れこそ「池田先生」亡き後、創価学会は新たな教義を新設して、本尊も池田太作書写の本尊を披露して、
全く別の教団、いや、現今の蝗蟲会員からすれば、待望の新興宗教として生まれ変わるのであろう。果たして、そんな
本尊も教義もくるくる変わる新興宗教が、一体、何の主体があって富士門流に楯突くか。

恩師戸田先生は云う。『前に言っていた事と、今言っている事が違う宗教は邪宗である』と。

果たして、此の恩師の御指導も、今や死語になろうとしておるのか。

何とも、情けない限りである。
 

秋晴れ殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月27日(火)18時03分20秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >昭和のおとうさんは、日蓮本仏の説明が、したいのですよね。そもそも、本尊抄の引用箇所が、間違ってます。

昭和のおとうさん、とは当方の事を指しておるのか。(嬉しくはないぞ)

はて、観心本尊抄に於ける『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊』を建立する
御方は一体誰であるのか。言って置くが、観心本尊抄に於いては「日蓮」と名乗られている所は一箇所もない。
ならば、此の末法現実の娑婆世界に於いて、地涌千界が出現するとは如何なる事か。其れこそは日蓮大聖人を指す事
でないのか。

>昭和のおとうさんの、引用の箇所は、地涌の菩薩が、出現して御本尊を建立する内容の箇所であって、本仏論の説明と
>しては、無理です。

はて、その地涌の菩薩が出現して(本門の釈尊を脇士と為す)御本尊を建立する、との深義が、日蓮大聖人の御本仏として
の御内証に関係が無いと断言されるか。ならば、お主こそは、脇士と為る「本門の釈尊」を説明しなさい。勿論、学会の
教学からである。何度も云うが、創価学会員が創価学会の教義に違背して、他宗他門と論じた時点で、其の学会員は論敗
となる。本より、論敗とは、所属する宗派教団の教義からして破綻した、という事である。よろしいか。

>大勝利さんは、全部見越して、書込みされてます。ここは、非を認めた方がいいと思います。

小笑。そーか。ならば、此の大勝利の見越しはどーゆー意味であるのか。

「本門の釈尊が地涌千界を脇士と為す」

>私なら、ま、いいかで、終わりですけど。笑

小笑。そーか。ま、いいか。小笑。

ま、頑張りなさい。
 

逃げのアベヒへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月27日(火)17時24分8秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >大勝利さんの反論に妙に反応していますね

哀笑。其れは違うぞアベヒよ。お主らが、当方の記述に対して、みょ~に反応するから、其の稚拙な反応に対して叱って
いるのである。其れよりもお主、当方の詰問から逃げ回っている癖して、よくもまぁ、言えたものよのぉ。哀笑。

そうは思わんか、なぁ、アベヒよ。

>意味が分かりませんね。
>大月天管理人は、なにかと意味の無いミスリードをしたがります。

小笑。相も変わらず『観察』が好きな奴であるな。哀。して、其の野暮な観察を当方から責められ、何の反論も出来ずに
逃げ回っているのがお主である。ったく、情けない事よのぉ。なぁ、アベヒよ。

※地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする大御本尊を此の
大日本国に建立する、との意であろう。

>この説明だけだと、地涌千界がすっ飛んでますね。
>大石寺の主張だと日蓮大聖人が弘安二年の戒壇の大御本尊を顕したわけですから
>地涌千界が必要なくなります。

小笑。おいおい、日蓮大聖人が弘安二年に戒壇の大御本尊を建立した事に於いて、地涌千界が必要なくなる、とは
如何なる事か。

ならば尚更の事である。今時末法に於いて出現した地涌千界の棟梁は誰か。お前は其れに答えなさい。

哀笑。なんだ、また逃げ回るか。

>おそらく大月天管理人は、じゃぁ地涌千界が出現して大御本尊を建立するって
>どういうことなのか具体的に説明できないでしょう。

鼻笑。お前が逃げずに答えたら、説明してやるよ。

>末法に於いては 法主=地涌千界(?)になるのかな。

小笑。其れも併せて答えてみなさい。出来るかお前に。

>姑息にも「地涌千界の棟梁はだれ?」という話にすり替えていますが、ポイントになってくるとおもいます。

哀。姑息でも何でもない。とても重要な問いである。

すり替え? どこが。哀笑。

よいか。此の問いは、大勝利が云う『本門の釈尊が地涌千界を脇士と為す』との解釈に対しての問いである。
果たして、地涌千界の棟梁が、日蓮大聖人との事であれば、大勝利の解釈は、本門の釈尊が日蓮大聖人を脇士と為す、
という意味に成る。して、此れは創価学会の教義であるのか。よいか。そーゆー意味での詰問である。

ったく、其れを、すり替えなどと。

お前と云う奴は、本当に『馬鹿』であるよな。

>日顕宗の主張に沿えば、「地涌千界の棟梁」つまり、上行菩薩が再誕し大御本尊を建立した時点で目的終了と
>なりますよね。

其れは「本懐を遂げた」との意味か。其れとも『上行菩薩の存在意義の終了』との意味か。

>地涌千界の棟梁、上行菩薩の再誕であり「末法の御本仏」であるとしているのが日顕宗ですから

なんだ、創価学会の教義は違うのか。ならば説明願おう。

>弘安二年の板曼荼羅を書写し身延で戒壇とした時点で、あらたに御本尊様を顕す必要がなくなってしまいます

小笑。おいおい、どーしてそーなるのだ。

なんだ、また、言いっ放しか。情けない奴め。

尚、お前は、当方の論述に対して『おおむね日顕宗の日蓮宗破折を踏襲したものですね』などと言っておるが、
大勝利は、『宗門でさえ言ってないことをよく言うの~』と笑っておる。

果たして、どっちの「観察」が正しいのだ。堪笑。

御宗門に曰く、

『地涌千界が出現して「本門の釈尊」を脇士と為す本尊、すなわち大漫荼羅を建立するとの御指南と拝さなければなら
ない』と。

して、創価学会に於いては、どーゆー解釈であるのか。お前は其れに答えなさい。

我義我論は必要なし。

なんだ、もう背中を丸めて逃げの準備か。哀笑。

ったく、猫みたいな奴め。哀笑。
 

集団ストーカー

 投稿者:  投稿日:2014年 5月27日(火)15時09分15秒 KD182249241085.au-net.ne.jp
返信・引用
  ゆーきん←このあほみたいな名前のカスは集団ストーカーです

こいつの地元は京都の西院というところで本名はゆうきという24歳の男です。こいつは通称うんこと呼ばれており、出会い系の女の子に覚醒剤を強要したりするなんとも小さいゲスでございます。

集団ストーカー(集スト)というテクノロジー犯罪も今では大分有名になっており、ネットで『集団ストーカー』とググるだけでかなりの数の情報が出てきます。普通集団ストーカーと言えば被害者を徹底的に追い込み、その秘密を一言も喋らせないぐらいの圧力があるものですが、こいつのとこの集ストは頭が悪く、弱くて舐められるためその秘密を全体的に晒されております。うんこは住所や出身校まで晒されるという集ストとしてはとんでもないあほでさむいガキです。

集ストが悪用しているレーダー(マイクロ波パルス)や様々な機械も大体はネットや通販などでも簡単に手に入るようです。それがこいつらでも出来る理由ですね、加害者は増える一方です。

集団ストーカー問題の解決を願います。
 

大勝利

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月27日(火)15時04分42秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ※上記の御文をして『本門の釈尊を脇士と為す』と読むは、元より小生が創価学会に身を置いていた時からの教学で
あります。

> 読み方はそうのように読みますが・・・

おお、読み方は其の様に読むとな。うむ。今時の学会員にしては正解である。

しかし、お主らが尊敬している身延派の宿坊様は、其の様に読んでおらん。本門の釈尊の脇士と為る、と妄読しておる。

して、創価学会員でありながら、そーゆー身延かぶれの者に対して尊敬の念を抱く痴れ者を、当方は「阿呆」と表現し、
加えて、そーゆー連中が、座談会などに出席し、担当幹部の指導や御書講義に対して、日頃からネットで口走っている
『日蓮大聖人が末法の御本仏であると示された御書はあるのですか? どこを読んでも、そんな事は書いてありません』
との疑問を呈する事なく、純朴な婦人部の面前に於いて『はい! 頑張ります!』などと、体裁よく振る舞う、そーゆー
学会員をして当方は『組織身中の蝗蟲』と呼んでいるのである。果たして、此の指摘のどこがおかしいのか。お主こそは、
当室に記(しる)された巻頭文をよく読みなさい。


>本門釈尊が主語ですよね。
>本門の釈尊、(地涌千界)を脇士と為す。

>「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であるとの、
>そんな教学は聞いたことがない(笑
>宗門でさえ言ってないことをよく言うの~(笑

いや、これらの解釈は、当方が男子部の時に学んだ解釈であるが、何か問題でもあるのか。

はて、「地涌千界が、釈尊を脇士とする」ような意味であるとの、そんな教学は聞いたことがない、とお主は言うが、
抑も、御文中に於ける『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし』
とは、応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする大御本尊を
此の大日本国に建立する、との意であろう。

しかし、お主は『そんな教学は聞いたことがない。笑 』と嘲笑し、見れば本門の釈尊が地涌千界を脇士と為す、などと
解釈しておる。哀。

ならば尋ねよう。今時末法に於ける地涌千界の棟梁は一体誰ぞ。お主は其れに答えなさい。

してお主は、生来からのおちょくり癖を発揮して『宗門でさえ言ってないことをよく言うの~(笑』と、舌を出して嘲笑
しておるが、当方が示した解釈は、本より御宗門の教学に沿ったものである。つまり、旧創価学会に於いて学んだ教学は、
今以って間違ってはいない、という事である。

して、現創価学会に於いては、どうなのか。まさか。本門の釈尊の脇士と為る、と読むのではあるまいな。
して、其の様な妄読はしない、というのであれば、どういう解釈となるのか。其れこそ、本門の釈尊が地涌千界を脇士と
為す、というお主の解釈で間違いないのか。其の事、当たり前であるが創価学会の教義から論じなさい。

尚『宗門でさえ言っていない事をよく言うの~笑』とは、実に此方(こっち)のセリフであって、ネットで見渡す学会員の
殆どが、所属組織の教義教学に違背し、好き勝手な我論を宣べ、延いては創価学会の教義に対して、未だ研究途上の未完
教学である、などと増長し、遂には、身延教学を説く痴れ者を羨望の念を以って歓迎するに至っておる。呆。果たして、
此の醜態は何たる事か。して、お主も其の狢(むじな)の一人ではないのか。

哀笑。ったく、宗門でさえ言ってないことをよく言うの~、などと、よくも言えたものである。哀。

先ずは我が身から直すべし。勿論、直すとは、改めて所属教団の教学に信順する、という意味である。

本より行学は信心より起こる。

是れこそは共通であろう。

あまり、当たり前な事を言わすものではない。
 

黒カラスの宿坊へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月25日(日)21時27分5秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  クズは引っ込んでいなさい。

そして、其のクズと言われる理由をお主は考えなさい。
 

目糞鼻屎

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月25日(日)15時30分31秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  おーおぉ、、何処(どこ)ぞ掲示板で、色んな創価学会員、つまり、日蓮大聖人は末法の御本仏ではない、とする身延一派の
教学に尊敬の念を抱く学会員や、弘安二年の大御本尊をニセモノと断じて、彼の本門戒壇御安置の正本堂はニセモノ安置の
偽殿堂であったと自虐する学会員や、唯授一人の血脈なんか仏法に関係ないと唾を吐きながら『五百年が間、唯授一人なり』
と明言されている日寛上人御書写の本尊を拝んでいる学会員や、現在の学会教学は、未だ研究中であり未完成なのだと頭を
掻きながら、日蓮正宗の教義本尊に目くじらを立てるサイコパス会員などが、やれ唯授一人の血脈だの、御本尊書写の大権
だのと、いやはや、何とも呆れた『珍論』をやり合っておる。鼻笑。

>5月最後の一週間です。しっかり戦いましょう!

阿呆! 日蓮大聖人を末法の御本仏を仰ぐのは、イワシの頭を信ずる事と同じだ、と揶揄する身延カラスを尊敬する者が、
一体何の戦いぞ!!

莫迦も休み休み言いなさい。いや、莫迦な言い様は其れくらいにして貰いたい。

見ていて恥ずかしくなる。鼻笑。

其れにしても、お主ら創価学会員の信心は、一体どーなっておるのだ。大丈夫か? 頭。 ……哀。

今一度、教えてやろう。

よいか。日蓮大聖人こそは末法の御本仏である。

これだけは信じなさい。そして、その法拠をしっかりと展開しなさい。

よろしいか。

唯授一人の血脈だの、御本尊書写の大権など、お主ら不信者には百年早い。

其れよりも、日蓮大聖人の本仏義を先ずは勉強しなさい。

そして、お主らの面前で日蓮大聖人の御本仏たるを、イワシの頭と中傷する黒カラスを、率先して破折しなさい。

よろしいか。

根本義に対して批判する者を、先ずは優先して呵責を加えるが、破邪顕正の要諦である。

覚えて置きなさい。
 

参考問答

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月25日(日)15時09分50秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  当方が詰問して云く、

お主ら創価学会員は、観心本尊抄の御文『本門釈尊為脇士』を、どの様に拝読しておるのか。其れを述べよ!

学会員が答えて云く、

>管理人さんの拝読で宜しいのではないのでしょうか。
>当該学会員の拝読は身延系の拝読かと存じます。
>末法の御本仏、日蓮大聖人というもっとも根本的なところが破壊されてしまい、もはや、これは
>創価学会を超えているものと思われます。

当方が受けて云く、

勿論そうでありましょう。上記の御文をして『本門の釈尊を脇士と為す』と読むは、元より小生が
創価学会に身を置いていた時からの教学であります。

さても其の事からすれば、秋晴れ殿の様な方こそが、本当の創価学会員なのでありましょう。
つまりは、学会組織につき、学会の教学に信順し、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、そして、日蓮
大聖人出世の御本懐こそは弘安二年御建立の戒壇の大御本尊であり、其の御写しである御形木御本尊
を大聖人の御魂魄と信じて、活動しているという事であります。本より、それこそが恩師已来の応に
普遍された教学という事であります。

しかし、当方が相手にした『宿坊』なる者は、釈尊こそが末法の本仏であり、実に日蓮大聖人こそは
釈尊の脇士である、などと言っております。本より観心本尊抄の御文『此の時地涌千界出現して』の
地涌千界とは、別しては上行菩薩の再誕、日蓮大聖人の御事であり、実に其の本地こそは自受用報身
如来でありますから、本門の釈尊(釈迦牟尼仏)は、当然の事として脇士となるのであります。
又そこに『南無妙法蓮華経 日蓮』と大書されている深義があるのであります。

果たして『釈迦・釈迦仏・釈迦牟尼仏』とは始成正覚の釈迦で、『釈尊』とは久遠実成の釈尊である、
などと、そんな教学が創価学会にあるのでしょうか。ならば同抄に於いて『小乗の釈尊』などと記さ
れる筈がありません。

又、報恩抄の御文中『日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』の「本門の教主釈尊」
とは、久遠元初凡夫即極の教主釈尊の事であり、其は末法御出現の自受用報身如来たる日蓮大聖人の
御事であります。つまりは観心本尊抄の『本門の釈尊』とは別意という事になります。
つまり、御本尊に示された御相貌を、自受用報身如来の己心に具わる十界三千と観なければ、上記の
事などは理解出来ないのであります。

果たして『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為る』と身延流に読むならば、其れこそ
日蓮大聖人が末法に出現し、わざわざ釈尊の脇士と為って一閻浮第一の大曼荼羅を建立する、という
意味になってしまいます。果たして、其れが正解であるならば、創価学会員は、日蓮大聖人が脇士に
なっている本尊を拝んでいる、という事になります。それで間違いありませんか?

いや、其れは違う、と云うのであれば、先ずは日蓮正宗への悪口を言う前に『日蓮大聖人(上行菩薩)は
釈尊の脇士だ!』と言って憚(はばか)らない謗法者を、学会組織から駆逐(くちく)すべきではないですか。
果たして、そういう連中がネットで騒いでいるとすれば、学会本部として御灸を据えるべきです。本より、
ネット内に於て、其れら組織違背者を容認し放置し、其れこそ創価学会員として破折しない者は、須らく
与同罪と成るでありましょう。

尚、観心本尊抄に示さる御文中の『一閻浮提第一の本尊』とは、当然にして曼荼羅御本尊の事であり、
其の事は、日蓮大聖人が全世界に向けて一尊四士、又は二尊四士を建立した事実など無い事からして
当然の解釈であります。つまり、釈尊の師たる南無妙法蓮華経の大曼荼羅こそが、真実一閻浮提第一
の大本尊と為るのであります。

本より、我が日蓮正宗は、上代から伝持される化儀化法に於いて、其々の見解も擁してはいますが、
其れら小幅な振幅は有るとも、結句は其の法義に於いて整足されているのであります。つまり現在に
於ては、中興・日寛上人が示される御教示こそが宗義の要諦であり、又、其の事を以って日蓮大聖人の
正義が伝持されるものと確信しております。

又、其の事は、創価学会が日寛上人の本尊を作成する大義にあたって『日蓮大聖人直結の御正師』と
仰いだ精神に、一部共通するものであります。いや、創価学会こそが、我が宗門の要諦に寄り添って
いると言っていいでしょう。つまり其の証拠こそが「日寛上人の御本尊」という事であります。

此に結んで言いましょう。

創価学会に巣食う蝗蟲どもは、今一度、日蓮大聖人が末法の御本仏である、という事を勉強しなさい。

よろしいか。
 

邪宗身延の本尊義を再破す

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月25日(日)14時39分7秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  存知の如く、現在の身延日蓮宗に於いては、釈迦に対する帰依の心情に最も相応しい木像の形態として、一尊四士を本尊
としている。

しかし、それら本尊の形態については、上文にも有るとおり「帰依の心情」を優先し、御書の中で述べられている、
あらゆる本尊の成り様、つまり、釈迦一体仏・首題本尊・十界曼荼羅・一尊四士・二尊四士、などから選択して、
自宗派に於ける一応の本尊としているに過ぎない。

果たして何故に「一応」か。それこそは、本尊確定の基本が曖昧だからである。

果たして「帰依の心情に最もふさわしい本尊の形態」とは何の事か。

果たして本尊とは、それら信徒による「帰依の心情」によって左右されるのか。

応に其れこそは、経済的事情によって、本来拝むべき仏像本尊をあきらめて、紙幅の曼荼羅で我慢するという、彼の
顕本法華宗の杜撰な本尊義とまったく同じという事ではないのか。

兎も角、其れら本尊義に於いて、信徒の心情や経済的理由などによって、仏像を拝んだり、曼荼羅を拝んだり、四菩薩を
拝んだり、多宝如来を拝んだり、将又(はたまた)、鬼子母神を拝んだり、竜神を拝んだり、大黒天を拝んだり、蛇天女を
拝んだり、狐を拝んだりしているのであるから、当方は其れら杜撰な形態をして「(一尊四士が)宗派に於ける【一応の】
本尊」と断じたのである。

さて、其の一応たる一尊四士の本尊形態であるが、抑も其の依拠たる文証は、報恩抄に於ける、

『求めて云はく、其の形貌如何。答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。
所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』(新編 1036)であろう。

見るに何と、日蓮大聖人は、日本乃至一閻浮提(全世界)一同に釈尊を本尊とすべし、と仰せになる。
しかも、其の釈尊こそは「本門の教主釈尊」であると仰せになる。

さても、其の一尊たる「本門の釈尊」とは何か。本より「本門の釈尊」であるから、在世に於いて小乗を説いた
釈迦ではあるまい。又、権大乗を説いた釈迦でもあるまい。而して「本門の釈尊」であるから法華迹門を説いた
釈迦でもあるまい。

となれば、本門の釈尊、つまり、本門寿量品、つまりは其の要諦から拝するならば、それこそは『釈迦如来五百塵点劫の
当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき』(新編1419)たる、
寿量文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来である事は、其の文証からして間違いのない処である。

して、其の久遠元初の釈迦如来ではあるが、身延が一尊四士本尊の依文としている其の報恩抄の一文、

『日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』に続いて、日蓮大聖人は、

『所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』

と仰せになられている。

つまり、所謂(いわゆる)一閻浮提一同にして本尊と為すべき教主釈尊の本尊(本門の本尊)こそは、実に宝塔の内、
つまりは、曼荼羅御本尊の内の釈迦多宝・四菩薩その他諸仏を脇士と為す本尊であると仰せになられている。

さても身延よ。

上記報恩抄の御文をして、本門の教主釈尊とは、一体全体、宝塔の内の釈迦多宝の二仏からして、如何なる釈尊である
のか。現今の身延山久遠寺に安置されている本尊の形態から説明せよ。

大聖人に曰く『今末法に入りぬ。人毎(ごと)に重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し』と。(新編 966)

加えて、御義口伝をして偽作と断言した執行海秀が云く、

『大曼荼羅の本尊というのは、謂ゆる一尊四士の本門本仏本尊の意に外ならない』と。

はて、大曼荼羅の本尊というのは、一尊四士の本門本仏の本尊に外ならない、とは如何なる事か。果たして、釈迦多宝の
二仏の内、何故に多宝如来を排除したるか。其の法拠を示せ。
加えて、十界曼荼羅を宝塔とせず、題目のみの首題を以って本尊とする一塔本尊は、日蓮大聖人の何(いず)れの御教示に
よって確証とするか。佐後に於ける日蓮大聖人の御本懐から其れを明示せよ。

果たして、上記、本門の教主釈尊、つまりは其の宝塔たる本門の本尊をして、何故に釈迦が脇士と相為るか。
実に其の御形貌こそが、釈尊をして脇士と為さしめる日蓮大聖人の御内証、つまりは寿量文底久遠元初凡夫即極の
自受用報身如来にして、真の教主釈尊たる証しとなるのである。実に是れこそが正意であり、大聖人仏法の極意である。

仍って大聖人が曰く、

『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし』と。(新編661)

本より日蓮大聖人の御本懐は、曼荼羅御本尊の御顕発であり、それこそ題目などは竜ノ口の法難以前より唱えられては
おるが、御本尊の御顕発は応に発迹顕本以後に於て示顕されたものであり、又、其の事を以って、三大秘法(本門の本尊・
本門の題目・本門の戒壇)中、一大秘法こそが正しく本門の本尊である事の証左となるのである。

仍って曼荼羅御本尊を御正意とする日蓮大聖人の御意を相伝し、其の御生涯に於て、釈迦立像を宗団の本義としなかった
日興上人の御精神こそが、実に日蓮大聖人の御意に適うものであり、又、それこそが、唯授一人日蓮日興たる血脈相伝の
大証明ともなるのである。

仍って、日興上人已来、我が正統・富士門流に於いて、教主釈尊と名称するは、文上に於ける久成釈尊の其れではなく、
此れ本門寿量文底下種の教主釈尊の御事であり、実に其れこそは久遠元初自受用報身如来の御当體にして、末法に御出現
された本因の教主である事を指すものである。

して身延が云く『木像造立の場合は、一尊四士の形態が久遠実成教主釈尊への帰依の心情に最も相応しいものである』と。

果たして、教主釈尊に多義あるを知らぬ、一致派身延の戯れ言よ。哀笑。

さても、日蓮大聖人が御本懐とした十界曼荼羅を、自山の土産品として販売し、題目のみの本尊を本堂に安置するとは
一体何事であるか!

加えて、荒行の果てに顔一面髭だらけの痩坊主が、和風カスタネットを打ち鳴らして、

ナムミョーホーレイゲキョ~、、と唸る醜態は一体何事であるのか!!

ったく、眼と耳の毒とは、正に此の事である!!

其れにしても、それら邪教身延を総本山と仰ぐ、重須本門寺の醜態は何たることか!

さぞや日興上人もお嘆きであろう。

はて、そう云えば、其の邪宗北山本門寺にこそ、日興上人の血脈がある、とは、何処(どこ)ぞの阿呆な学会員が言って
いたが…。哀笑。しかしな、その北山の貫首が、曾(かつ)ての重須談所の精神に戻りたい、と言っておる。哀笑。

さても身延日蓮宗。民部日向に日蓮大聖人の御法義が相伝されていると嘯(うそぶ)く、本迹一致の邪宗教。
加えて、曼荼羅の中央にお題目が書写されていても、日蓮宗以外の御本尊は本物ではない、と嘯く邪宗教。
更には、一般信徒に対しては、弘安三年に日蓮聖人が認められた「臨滅度時の御本尊」を推薦する邪宗教。

哀笑。

最早、文底独一本門を知らぬ、お前ら邪宗身延に於いては、是れこそが本性であり、又、だからこそ、仏壇に位牌しか
安置していない無知蒙昧な老信者が集まるのであり、実に其れこそは一大秘法の本義さえ解からぬ、学者僧の文献莫迦
のみが屯(たむろ)する、応に謗法集団の其れである事を此(ここ)に断言するものである。

身延僧に云く、

「正宗教団が(その針金たる本尊義の為に)離散を繰り返す問題は、実は私たちの日蓮教団内での教学上の見解の相違点を
あまり明確化していかない体質(曖昧な本尊義)と表裏の問題なのかもしれません」と。

小笑。まこと正直でよろしい。

さて、そうと判れば、今こそ一尊四士・二尊四士に於る曖昧な本尊選択の法拠と、それら本尊と脇士釈尊との関係を、
此に於いて明示すべきであろう。
 

莫迦に付ける薬なし

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月24日(土)20時56分18秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  果たしてこれらの文面は何であろう。

もしや此等は、男のくせして腰にエプロンを巻き、口元に手を寄せながら『おほほほ、あははは…』と、オバサン
よろしく井戸端の下らん話をしているオカマ連中の語録であるのか。

さても、捨てハンの名無し連中が、責任ある言動などする筈もない。哀笑。

本より、ネット上の対論に於いて実名を要求するなどは、野暮の骨頂とも云えようが、かと言って捨てハンを好んで使う
となれば、最早、その者の心性に問題があると言えよう。勿論、ここで言う心性の問題とは、自身の所属する宗派教団も
云えず、尊信する本尊も教義も宣揚せず、それでいて他宗への批判には『おほほ、あはは』と騒ぎ立てる、そういう心性
の問題である。

名無しさん@お腹いっぱい、、、

鼻笑。ったく、どーでもよいHNではないか。又、そういう連中だからこそ、どーてもよい事を書き殴るのである。

そう言えば、黒カラスの宿坊が当方に対して名乗った捨てハンなどは数えきれない程ある。つまり、此奴(こやつ)も
其の心性に於いて問題がある、という事である。そして、アベニッケンいんせー、とか、まぐまぐ、とか、ロムおとこ、
とか、そういう捨てハンもどきの連中が、身延の黒カラスを応援し賛美し、自らが所属する創価学会の面(ツラ)に泥を
塗っておる。

もっとも、こーゆー連中は、創価学会の中では少数であろうし、これら異端者の屁理屈などは、当然の事として、
創価学会の教義から脱線するものであるから、此奴らは一様にして(学会組織からして)謗法者という事にもなる。

鼻笑。果たして、これら組織身中の謗法者が、何の資格があって、富士門に楯突くのか。哀笑。

ったく、お前らの面(ツラ)の下には、先日保釈を取り消され、自らをサイコパスと称した、ニヤケ男に類似する根性が
潜んでおるのか。さてこそ、自分に対して謗法者と言い放つ文書を、何の臆面もなく貼り付けている行為こそ、まさに
サイコパスの其れであろう。

創価学会員に云く『日蓮大聖人、または日興上人が「日蓮が末法の御本仏」だと示している御書はありますか?』

小笑。よいか。そーゆー質問をする前に、何故にお前らが所属する創価学会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰いでおる
のか。先ずは、其の事を明らかにすべきであろう。

其れにしても、学会員のくせして、日蓮大聖人が末法の御本仏であるを疑うなどは、是れこそ真のサイコパスではない
のか。

ったく、そんな連中が日蓮正宗の本尊教義に対してベラベラと。哀笑。

最早、莫迦に付ける薬はない、とは此の事か。

鼻笑。さもありなん。
 

幼稚な不相伝家の邪論

 投稿者:HIdebon  投稿日:2014年 5月23日(金)11時50分5秒 softbank220044135060.bbtec.net
返信・引用
  >創価謀略部門。犀角独歩。松本尊師。地に堕ちたもんだ!

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 17:40:16.62 ID:MyMVxC3v
    カルトサーフィンの上がりか?

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 15:37:30.09 ID:mxQ2R/A+
    >334,346 富士門流辞任

    拳骨和尚←真宗へ転派
    鈴木わと←身延へ転派

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 17:52:21.20 ID:mxQ2R/A+
    > 英昭彦=hide
    >アンチ日蓮正宗
    >日蓮本仏義は間違っていると言っているが日蓮本仏論の批判だけは絶対やらないな
      どこの寺に所属しているのだろう?

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 18:45:12.62 ID:lZusLxXj
    hideは買い取った荒れ寺の情報や写真をブログにアップしてイチャモン攻撃。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 19:50:25.97 ID:mxQ2R/A+
    >349
    ↑
    犀角独歩
351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 19:59:16.79 ID:WtG/tgcW
    >>349
     ↑
    釣られた教宣部ゴロw

352 :351:2014/05/21(水) 20:01:12.40 ID:WtG/tgcW
    >>349→>>350

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 20:15:13.44 ID:INsiJAR2
    >>351
    その周りにいるのが○山実、○口義弘、大○道○などの宗教ジャーナリストゴロ?
    スレチだ、とか誤魔化さないで教えて、偉い人!

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 20:20:40.62 ID:TNBy3nm7
    hideが具体的な日蓮本仏論批判をあくまで避けるのは、教宣部と妙観講のネットワークに
    つながっているから。

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 20:37:26.31 ID:mxQ2R/A+
    >353
    Wwwwwww(?)

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 21:10:51.55 ID:PW6GA/lk
    「富士門流界隈の香ばしい面々」の立ち位置

    〈日蓮本仏〉    〈コウモリ〉   〈反日蓮本仏〉
     妙観講       松本修明     犀角独歩
     教宣部       拳骨和尚
     波田地       hide
     保田妙本寺
     興風談所

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 22:01:45.81 ID:mxQ2R/A+
    >356
    「富士門流界隈の香ばしい面々」の立ち位置改訂版

    〈日蓮本仏〉    〈コウモリ〉   〈反日蓮本仏〉
     妙観講         松本修明       犀角独歩
     教宣部(?)      hide
     波田地

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 22:05:08.67 ID:mxQ2R/A+
    >357

    〈日蓮本仏〉    〈コウモリ〉   〈反日蓮本仏〉
     妙観講                   犀角独歩
     教宣部(?)      hide       松本修明
     波田地


359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 22:05:19.25 ID:JPInOM3v
    >>357
    捏造相伝尊師は隠れ日蓮本仏。

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 22:12:42.87 ID:JPInOM3v
    日蓮本仏論を奉じて「万年救護の大本尊」を恪護する保田だからこそ、
    板マンダラの大石寺の対抗馬として担ぎ出された。

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 22:18:54.38 ID:mxQ2R/A+
    >358
    (波田地)

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 22:54:26.64 ID:sn6wHbDa
    hideのブログ「仏教宗学研究会」のトップ画像は、本山の風景。

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 22:58:09.30 ID:sn6wHbDa
    hideが批判を避けている保田妙本寺は、日蓮本仏論の発祥地の一つ。

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 23:09:43.14 ID:mxQ2R/A+
    >362-363
    ↑
    犀角独歩

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 23:15:48.71 ID:sn6wHbDa
    >>364
     ↑
    釣られ教宣部ゴロ

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 23:56:25.23 ID:mxQ2R/A+
    >365
    西山本門寺能化を詐称する僧侶≒西山本門寺東京布教所→西山本門寺出入り禁止。

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 00:01:40.50 ID:IZ1SrK7w
    >>366
    あまりにもアレな主張と要求を繰り返すので、一山の総スカンを食らって擯斥扱い
    になったとか。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 07:04:39.89 ID:oa3Kn04Y
    >>367
    西山本門寺って本堂も塔頭も殆ど無住の廃止寸前の本山って聞いた事あるが?
    人が集まるのはお虫払い法要と信長の首のお祭り位とか?
    実は末寺の方が住職も檀家もいるんでしょう?
    勿論、西山にも先祖代々の墓檀家はいるだろうが・・・ただ一言・・・

      蔵人阿闍梨日代(西山開山、日興の甥)

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 07:30:40.27 ID:oa3Kn04Y
    >>361
    「大御本尊否定は破折済み」

    帝釈天信者「柴又の帝釈天板本尊は日蓮自刻の病即消滅の御本尊である」
    K川さん「ハハハ、伝承、屁理屈なら幾らでも言えるわ、ちゃんと鑑定したのか?


    「跡条々事の読み方」

    日蓮宗信者「日郎譲り状によると・・・」
    K川さん「ハハハ、偽書の読み方など解釈しても仕方ないだろうが」

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 10:00:51.17 ID:3KN0xzU0
    >>368
    西山は安政の大地震で主な堂宇を失ってから勢いを失い、廃仏毀釈もあって衰えた名刹。
    現存の本堂は客殿を代用した仮本堂で現塔中は三坊。境内は富士宮市によって管理整備
    されている。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 10:12:54.15 ID:3KN0xzU0
    一山の塔中坊や古来の末寺住職を前に、中途出家で寺に勤めたこともない通い弟子上
    がりの捏造相伝尊師がアレな主張や要求を繰り返せば、ケンもホロロにつまみ出され
    るのは当たり前だ。

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 12:48:13.63 ID:oa3Kn04Y
    >>370
    それと本門宗に合併したり独立したりで反発した末寺、檀家の離散や
    大石寺との合同に無効訴訟したりで疲弊してしまったのでしょう。

    >境内は富士宮市によって管理整備
    されている。

    日代以来の名刹ですから是非保存管理して欲しいですね。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 13:03:39.06 ID:3KN0xzU0
    >>372
    疲弊した隙を狙って、捏造相伝尊師のような「香ばしい面々」が侵入を企む。

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 14:22:37.79 ID:oa3Kn04Y
    そういう個人じゃなく研商会とかに侵入、乗っ取りされんように願うよ。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 14:33:37.89 ID:I/MVaDfL
    >>374
    西山のお虫払いとか御会式には、創価教宣部の面々も蝟集するとか。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 15:55:40.78 ID:oa3Kn04Y
    >>375
    西山の本尊も万年救護本尊(日興端書で万年の重宝とあり)ですよね?
    日興筆御遷化記録と大石持仏堂本尊(日興筆日代授与)も有るのですよね?

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 16:06:33.87 ID:I/MVaDfL
    >>376
    そうしたお宝(?)と情報収集目当てに、教宣部やら「香ばしい面々」やらが蝟集して来る。

378 :eco ◆Smw69BiSBo :2014/05/22(木) 16:57:08.14 ID:V0F5KPev
    >>357-358
    教宣部はコウモリと見て良いです。
    法華講の人とやりあって不毛な論議をYOUTUBEなんかにあげている輩が
    こんな事を平然と言っていているんだぞ

    この河内平野と言うのがYOUTUBEの宣伝をしたりしていたのは
    楠板でも有名でしょうよ

    本当は“その事”まで法華講は見透かして、富士宮ボーイ等でも突っ込まれているのに
    奴等、まだその火の粉が小さい事を良い事に 論点をはぐらかす
    多重質問を用いて富士宮ボーイで展開しているし・・・

379 :eco ◆Smw69BiSBo :2014/05/22(木) 17:14:05.16 ID:V0F5KPev
    そうそう その例の論文
    よく見たら 犀角独歩の文献をまるっとまでは言いませんが
    諸に引用しているし・・・
    人の論文を平然と盗人猛々しく厚顔無恥な顔して引用していたくせに
    下記のような こんな 偉そうなお説教が出来るよな 人の事が言えないだろ

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 17:18:44.73 ID:I/MVaDfL
    >>378
    日蓮本仏論は大石寺の専売特許ではなく、創価や顕正などの派生カルトや保田でも奉じている。

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 17:20:56.66 ID:I/MVaDfL
    >>356の分類はそれを踏まえたものだろう。

382 :eco ◆Smw69BiSBo :2014/05/22(木) 18:37:38.87 ID:V0F5KPev
    踏まえているのかなぁ・・・ 気づいている人は気づいているんだけれど
    多分、不正の告発が上手く中央にまで浸透しきれていない・・と言うか惚けているのか
    (それでも怪文書の内容を読む限り 何かしらの動きがあるね)
    そういえば その蝙蝠の教宣部 今日も傍観者気取りで
    富士宮で弱い者いじめのイベントを煽っていますけれどね
    一応、No.39109とNo.31911には書き込みましたが
    管理者と阿部日ケ~ンさん等が難癖つけて 都合よく削除するんじゃないでしょうか?

383 :eco ◆Smw69BiSBo :2014/05/22(木) 19:14:15.70 ID:V0F5KPev
    >>380
    フェイクをUPしている人が 何故か御本尊は教主釈尊だと言い張り始めているし
    種脱相対を教観相対とか言い変えたり 立正観抄で指摘されていた禅宗と同じ境涯になってしまっていたり
    今まで培ってきた内容を平然とひっくり返すような内容を言いのけてくるので
    敢えて その矛盾を指摘したのですが

    他にも宿坊氏から 二箇相称の事とか問われたけれど 堀上人の文献を読まないと
    確認が出来ない点があって 確か堀上人も二箇相称は行方不明と述べていた記憶があるのですが
    武田信玄の話とごちゃごちゃになっている気がするので そこを確認していかないと
    まともな回答が出来ない。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 19:20:21.67 ID:I/MVaDfL
    >>383
    奴らの日和見的擬装に欺かれないように。

385 :eco ◆Smw69BiSBo :2014/05/22(木) 19:25:06.68 ID:V0F5KPev
    ・・で このやり取りを見ていた法華講の大月天氏もたまりかねたのか
    実は富士宮ボーイの管理者と 宿坊氏のお友達でもある阿部日氏とマグマグ氏等に
    矛盾を含めた質問をだしたのですが 本人たちは無視を決め込んでいる様。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 19:40:27.16 ID:y74IPZbH
    日蓮本佛論に限らず、「~本佛」という主張そのものが佛教としては無意味なのだが。

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 21:27:14.01 ID:FQ0a1eLy
    >>383
    >種脱相対を教観相対とか言い変えたり

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 22:13:47.79 ID:DuyArSDj
    ポスト池田を視野に入れた日和見的擬装を取らざるをえない状況に教宣部も追い込
    まれているのかなw?

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 22:31:31.37 ID:w/IfcNVA
    なんで松本から話をそらすんだ。
    まあ、創価学会の子飼いだからなんだろうなあ。
    創価学会の謀略連中の必至さには笑えるね。

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 22:34:03.79 ID:DuyArSDj
    >>389
    そりゃもう、脛に疵持つ奴らは必死だろうさw

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 22:39:33.87 ID:QdkRKsiP
    富士門流界隈の香ばしい面々」相関図(再掲)


    犀     松     創
    角―(業務)→本―(情報)→価←(情報)―hi―(カネ)→興風
    独←(不払)―修←(カネ)―教―(カネ)→de←(情報)―談所
    歩     明     宣     |↑
               部   (情報)(カネ)
                     ↓|
                       保田妙本寺

392 :eco ◆Smw69BiSBo :2014/05/22(木) 22:41:27.44 ID:3CcsMnIK
    >>387 だから創価の方が余りにも ちぐはぐになってしまっていて
    言っている事が支離滅裂の状態なわけです 因みに宿坊さん等は
    大石寺の情報やらフェイクの記事をUPしているみたいで
    その二次だか三次の情報が富士宮ボーイ掲示板にUPされ
    そして最後は創価に廻って創価新報や聖教や幹部等に伝達されていくんですね~

    創価のトップと末端は種脱相対を認めても 中間の幹部等がソレを認めないんだから
    恐ろしい話です。

    ・・と言う事です。

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 22:45:32.36 ID:D5Uq9zeF
    >>392
    創価謀略部門の乱闘ネタでスレを埋めるように指導されてるのか?

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 23:26:55.22 ID:D5Uq9zeF
    「富士門流界隈の香ばしい面々」の近況

    松本尊師←教宣部マネーで買ったバイアグラ仕込んで色情狂いの合間に相伝捏造中
    犀角独歩←教宣部の指示による相伝捏造御尊師からの給与不払いで脱走準備中
    英昭彦←拳骨から買った写真と情報をブログにアップするも犀角批判を削除中

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/23(金) 08:35:52.53 ID:BYP8BXl+
    なんで宿坊は、「さん」付け?
    創価占拠かい、ここはw

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/23(金) 10:34:07.94 ID:m7Ia6qRE
    教宣部も妙観講も水面下では馴れ合いで、マッチポンプ型の「紛争利権」を共有している。
    そこで撒かれる餌目当てに捏造尊師などの「香ばしい面々」が蝟集して来る構図。
 

遁逃のアベヒ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月20日(火)11時14分52秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >解っているようで、いざ会員さんに伝えたくても説明出来ないものってあるじゃないですか(笑い)

其れは、お前が過日に言った此の事か。

『こちら側(学会側)の主題はたったひとつ。日蓮大聖人、または日興上人が「日蓮が末法の御本仏」だと示している
御書はありますか?』

鼻笑。当に是れこそ、会員さんに伝えたくても説明出来ないもの、ではないのか!

ったく、笑っている場合か! 此の痴れ者め!

重ねて問う!

そういう戯言を云うならば、其れこそ『日蓮大聖人が末法の御本仏である、との御書はありますか?』との
主題に於いて、何でお前らが所属する創価学会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰いでおるのだ!

迅(はや)く答えなさい。
 

タクシーの運転手が葬儀の導師

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月20日(火)10時32分37秒 i223-218-163-217.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  時間を得て久々の投稿。其れにしても忙しい。

して、掻い摘んで見渡せば、何やら慧妙の記事に対して文句などが飛び交っておる。

>②タクシーの運転手が葬儀の導師(笑)

>タクシーの運転手さんってホケコではワンランク下の職業なんですか?
>世間でも「職業に貴賤なし」だと思うのですが。

鼻笑。

別にタクシーの運転手をして職業差別としたものではないだろう。その導師がたまたまタクシーの運転手であった
という事である。つまりは、それがタクシーの運転手でなくとも、八百屋の親父や、ラーメン屋の兄ちゃんであれば、
其れこそ『八百屋の親父が葬儀の導師?』『ラーメン屋の兄ちゃんが葬儀の導師?』となるだけである。
応に『どうし(導師)て?』とは、此の事であろうよ。鼻笑。

尚、言って置くが、慧妙の記事には「タクシーの運転手が葬儀の導師(笑)」とは書かれていない。
「タクシーの運転手が葬儀の導師?」と書かれている。

よいか。都合よくテメェ―の目を節穴にするものではない。

其れよりも何よりも、其のタクシーの運転手が書いた本尊などは、お主らは拝むのか。
して、そのタクシーの運転手を例えて言えば、入会暦は三十年。壮年部副本部長にして、折伏した人数は100を
超え、その地域では強信で名が通っているという。して、この強信者の副本の運転手が書いた本尊は拝むのか。して、
拝まない、というのなら、何故に拝まないのか。その法義的根拠をお前らは述べなさい。尚、今は日寛上人の本尊で
間に合っているから、そういう本尊を拝む必要はない、などと遁辞をかますでないぞ。よろしいか。

ったく、お主ら現創価の本尊観は滅茶苦茶である。とくに蝗蟲会員などは、釈迦を末法の本仏とする莫迦者を尊敬する
に至っておる。呆。ったく、そんな連中が御本尊様などと。バカも休み休み言いなさい。

 

何やら変な者が釣れておるが…。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月 1日(木)06時39分0秒 i60-34-195-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >ゲラゲラゲラ
>ティッシュを配り、「寺へ来て下さい」と云うのが「布施行為」だって?(爆)

小笑。おいおい、其の様な事は言っておらんぞ。
当方は、チリ紙を配る行為をして「布教行為」と言っておる。
して其の後、本人の希望によって、法を説くのである。

して「寺へ来て下さい」と云うのが「不施行為」であると、当方がいつ申したか。
爆発しておるのは、創価身中の蝗蟲たるお主の脳髄ではないのか。鼻笑。

>おまけに。↓

『御信徒が他宗・無信仰の通行人に呼びかけ、その通行人らが興味を示し、其の御信徒
を介して正宗寺院に来寺し、其の本人をして闘病平癒や、交通安全や、厄除け等の依頼
をするは、別におかしい事ではない、という事である。』

>ゲラゲラゲラ
>蓮祖云く。↓

>『法華経の持者は教主釈尊の御子なれば、争か梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜朝暮に守
>らせ給はざるべきや。厄の年、災難を払はん秘法には法華経に過ぎず。たのもしきかな、
>たのもしきかな。』( 大田左衛門尉御返事p1017)

>寺院に厄払いを依頼するって?(大爆笑)
>法華経を護持し、自ら題目を唱えることが第一だろ!?(苦笑)
>何の為に、寺院に勧誘してるのか?(アッホラシ~~)

別におかしい事ではないだろう。
きっかけがどーあれ、本人が納得した上で、御住職に御祈祷を依頼する事について、何の問題もない。
又、其の様な事は、当方が男子部時代に於いて、母の病気平癒を県男にお願いし、共に唱題した事に
同ずるものであろう。

其れよりもお主、文面の背景をよく読みなさい。別に寺院に依頼するとは、その本人をして何もしない、
という意ではない。本より、本人の信心に於いて、御住職に御祈念を願うのである。何の為に寺院に連れて
行くとは、実にそういう意である。

日蓮大聖人が曰く『御親父祈祷の事承(うけたまわ)り候間仏前にて祈念申すべく候』と。(新編 1041)

はて、承るとは、どーゆー事か。其れこそは、御信徒からの御依頼があった、という事であろうが。

して、お主は云う。『法華経を護持し、自ら題目を唱えることが第一だろ!?(苦笑)』と。

小笑。其のセリフ、御祈祷の依頼を承った日蓮大聖人に言ってみなさい。大爆笑。

さても、アッホラシ~~のは、お主の其の貧弱な読解力に付き合う事であるのか。さもありなん。鼻笑。

>更に、お月さんの珍論を解説。^m^
>堀上人、『化儀抄註解』に云く。↓

『他宗の謗法者が当病平癒の御祈祷を願ふに・幸に全快せば直に改宗せんとの条件付き
ならば、此に応ずる差支なしといへども、信伏随従の制約もなくして無条件にて他の依
頼に応じて・仏天を煩はさんことは、謗法の罪寡遁れがたきものなり。』

↑お月さん分かるか?(笑)

>なんじゃ?これ。↓

『つまりは、御信徒が他宗・無信仰の通行人に呼びかけ、その通行人らが興味を示し、
其の御信徒を介して正宗寺院に来寺し、其の本人をして闘病平癒や、交通安全や、厄除
け等の依頼をするは、別におかしい事ではない、という事である。』

> 堀上人は、通行人が興味を示しただけで厄除けの依頼を受けるのは、謗法と解説されているのですよ!
>勿論、有師もおなじだぁ~~。。。。(大笑)

本より、その通りである。

哀笑。だから、当方の文面をよく読みなさい、と言っているだろう。哀。

当方が云く、

『つまりは、御信徒が他宗・無信仰の通行人に呼びかけ、その通行人らが興味を示し、其の御信徒を介して
正宗寺院に来寺し、其の本人をして闘病平癒や、交通安全や、厄除け等の依頼をするは、別におかしい事ではない、
という事である』

『しかしそこには条件が付く。つまり、それらの御祈念をして、例えば病気であれば平癒し、厄除けであれば、
その本人にして実感したとなれば必ず入信する、との誓約がなければ、それら謗法人の依頼に於いて祈念しては
ならない、という事である。してもし、そういう誓約もなく、単に通行人を呼び止めて寺院に連れて行き、
無条件に御住職が厄払いの祈念をするとなれば、これこそは謗法与同となる。思うに通行人を寺院に連れて行った
ならば、そこでは早速に折伏が始まり、その通行人が納得して入信の決意をしたならば、そこに於いて初めて厄払い
の依頼を受けるのであろう』と。

お主、態(わざ)と切り文をして(大笑)しておるのか。だとすれば、お主は余程のセコイ人間である。哀。
又、切り文などしていない、と云うならば、お主は全く以って読解力の無い人間という事になる。哀哀。
よろしいか。文面は全体を見通して、しっかりと読みなさい。


※遁逃のアベヒへ

>自己撞着(×) 自家撞着 ◎

【自己撞着】「自家撞着」(じかどうちゃく)に同じ。(実用日本語表現辞典より)

何だ。間違いなのか。哀笑。

さて、本日より又、出張と相成る。しかし、こうも重なると、暇人のアベヒが羨(うらや)ましくもなる。鼻笑。
帰宅日は未定であるが、なるべく早く帰りたいものである。
 

自己撞着の痴載

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月30日(水)18時48分54秒 i60-34-195-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  哀笑。観れば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がない者は謗法である! とフェイクに断言された黒カラスが、
いつもの様に何の臆面もなく、そのフェイクの記事を転載しておる。鼻笑。

果たして、此の者にアイデンティティーはあるのか。
いや、有る訳がない。自身に於ける仏法義の主体性、つまりは信仰心が無いからこそ、平然とフェイクの記事を
載せているのである。

して観れば、そのフェイクがいつもの様に悪口を言っておる。

>なかでも東京・板橋区の妙國寺では住職の斎藤栄順(宗務院庶務部長)が法華講員に
>地下鉄・三田線の高島平駅、及びその周辺でポケットティッシュを配布させ、
>そのティッシュの中には悩乱しているとしか思えない驚嘆すべき文面の広告を入れている。
>「厄払い・厄除けは、もうお済みですか?」「厄払いはいつでもできます。ご来寺ください」と
>邪教の宣伝文が躍っている (下の添付資料を参照)

>大聖人は厄年と法華経の功徳については御指南されているが、それは法華不信の謗法者を寺に
>呼び込み、坊主がお祓いすることではない。「信」が根本である。
>いつでも寺に行けば厄除けできると言う妙國寺の僧俗は、テレビで初詣の宣伝をする何処かの
>「厄除け大師」信仰と同じ低レベルだ。

小笑。そーか。妙國寺の御信徒が、駅前でティッシュ配りをしておるのか。して、そのチリ紙の
中に「厄払い・厄除けは、もうお済みですか? 厄払いはいつでもできます。ご来寺ください」との
宣伝文句? が書いてあるのか。

しかしカラスよ、先ず言って置くが、其れは「宣伝行為」ではない。御信徒が「厄除け」の目的を示して
一般人に来寺を促しているのであるから、其れは全くの「布教行為」である。
お前は「宣伝」と「布教」の差異も理解出来んのか。やはりお前は「バカ」であるのか。鼻笑。

因みに、当方が所属する寺院に於いても、其の諸祈念に於いて、交通安全・安産・受験・開業・厄払い等々、
信徒の心得という項目には示されているが、其れらは普段に於いて行われる「闘病平癒の御祈念」と意を同じく
するものであり、別に其れらを「売り物」にしているものではない。

まぁ、御信徒が駅前で、サラ金(もう死語であるのか…)よろしく、通行人にティッシュを配りながら、
「厄払いはお済みですか?」「願いは叶います!」と布教する、その「活動方法」の形態については、
学会出身の当方として多少の違和感もあるが、此れとて、別に間違った事をしている訳ではない。

日有上人の化儀抄に曰く、

『他宗なんど祈祷を憑みて後は、此の病、御祈祷に依って取り直し候わば御経を持ち申すべき由、
約束の時は祈祷を他宗に憑まれん事子細なきか、左様の約束も無くして他宗の祈りを成さん事は謗法に
同ずる条、更に以って遁れ難し云云』と。(富要① 68P)

つまりは、御信徒が他宗・無信仰の通行人に呼びかけ、その通行人らが興味を示し、其の御信徒を介して
正宗寺院に来寺し、其の本人をして闘病平癒や、交通安全や、厄除け等の依頼をするは、別におかしい事ではない、
という事である。

しかしそこには条件が付く。つまり、それらの御祈念をして、例えば病気であれば平癒し、厄除けであれば、
その本人にして実感したとなれば必ず入信する、との誓約がなければ、それら謗法人の依頼に於いて祈念しては
ならない、という事である。してもし、そういう誓約もなく、単に通行人を呼び止めて寺院に連れて行き、
無条件に御住職が厄払いの祈念をするとなれば、これこそは謗法与同となる。思うに通行人を寺院に連れて行った
ならば、そこでは早速に折伏が始まり、その通行人が納得して入信の決意をしたならば、そこに於いて初めて厄払い
の依頼を受けるのであろう。

よいか。そーゆー事も考えず、それら一辺の行動を付会して『「厄除け大師」信仰と同じ低レベルだ』などとほざく、
お前の信仰レベルこそが最低のレベルなのである。哀笑。本より、お前の信仰レベルが糞以下である事は、未だ、
お前の事を指して謗法人と断定したフェイクを、何の臆面もなくテメェーの掲示板に貼り付けている痴態からして、
容易に判断出来るものである。よいか。お前のそーゆー痴態をして「恥知らず」と云う。

尚、遁走アベヒが、日蓮正宗に御祈念はあっても御祈祷はない、との意見について、史実と違う、などと言い、
天璋院の信仰について説教しておるが、天璋院による立山信仰について、日蓮正宗は何の関与もしていない。
したがって、日蓮正宗に祈祷はない、という意見に対して「史実と違う」と言い放ち、其の根拠を篤姫の立山信仰に
求めるは、お前の大間違いである。

尚、日蓮正宗に於いて祈祷も祈念も同義である事は、化儀抄の文面からして明らかである。

哀笑。其れにしても「(日蓮正宗は)残念ながら、江戸期などは幕府側要人の要請でいわゆる祈祷を行っていました」
などと言い、その証拠が「篤姫の立山信仰に於ける祈祷依頼だ」などと、ボケをかまして説教するなどは、まこと
バカの其れである。

よいか、お前こそは、日英上人が篤姫に対して立山の曼荼羅信仰を推奨したという証拠を出しなさい!
加えて、日英上人が篤姫の依頼を受けて、立山曼荼羅に祈祷したという事実を示しなさい!
そして、其れが出来ないのであれば「史実と違う」という説教を取り消しなさい! よろしいか。

逃げるなよ。お前。
 

無答のアベヒへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月23日(水)16時53分28秒 i60-34-195-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >世間体も考えて、破折なんてやめたほうがいい。指導なんて上から目線になるのでやりたくない・・
>などという発想はすべて「人本」、つまり自分本位の我見にすぎません。

そーか。ならば、創価学会員として、正々堂々、法華の慢に於いて身延日向の黒カラスを破折しなさい。
此の者、日蓮大聖人をして『聖人が末法の御本仏だというのなら、その証拠を出せ! そんな証拠もない
のに聖人を本仏とするのは、まさに「イワシの頭」を信じると同じ事だ!』などと、云っておる。

してお前はどーか。お前も同類であろうが!

ったく、そんな奴が、世間体を考えて破折しないのは、自分本位の我見にすぎない、などと。

お前はバカなのか。

しかし、いつも思う事だが、お前の書き散らかす文章には、まったく血が通っておらん。
あれやこれやと人様のブログを覗(のぞ)いては、無機質に評論しておる。哀。
お前は、パソコンに文章を入力するロボットであるのか。

哀笑。ったく、ロボットがバカでは、話にも成らんぞ。糞笑。

思うに、お前の様な者は、其の頚(くび)刎ねられても、其の両指はパソコンのキーボードを打ち続けるので
あろう。

無答ロボット。
白切ロボット。

よいか。テメェーが言った事には責任を持ちなさい。
本より、テメェーが言った事に責任を持つとは、其の言った事に対して質問があった場合は、不答の条件が
ない限り必ず回答して、その正当を述べる、という事である。お前には其れが全く無い。
本より、バカなロボットであるから、そういう事にも気が付かないのであろう。哀。

此に重ねて言おう。

お前が連日、富士ボーで書いている文章には、正義を顕揚する覇気も、不正義を呵責する義憤も、そして、
怒りも、喜びも、悲しみも、まったく感じられない、其れこそ無表情なロボットが、単に文字を打ち込んで
いる様な無機質な文章である。尚、此の事は、当方のみが思っている事ではあるまい。皆もそう思っている
筈である。気が付かないのはお前だけである。

ったく、可哀想な奴であるよな。哀。

兎も角! 創価学会員であるならば、

『こちら側の主題はたったひとつ。日蓮大聖人、または日興上人が「日蓮が末法の御本仏」だと示している
御書はありますか?』

などと、馬鹿な質問をするものではない。よろしいか!

して、お前が「これは馬鹿な質問ではありません」と云うのであれば、

『日蓮大聖人が末法の御本仏である、との文証が示せない、とは、創価学会を含めての事か。
して、含まれている、というならば、何で創価学会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰いでおるのだ』

との詰問に答えるべきである。

ったく、自らの愚問に対して、その正当を示せない、など、当たり前すぎて面白くもない。

所詮はバカが為せる業(わざ)という事か。哀笑。

よいか。

今後、碌な返答も寄こせぬ癖して、人様の文言について、一々批評するでない。

お前の様な「ロボット」に、其の様な資格はない。
 

陰性アベヒへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月20日(日)16時51分51秒 i60-34-195-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >おやおや、設置者からルール違反の行為をおこなって、使用権を譲渡された「破邪の蘭室」に馳せ参じ
>ないのが、よほど気に入らないようです(失笑)

哀笑。別にルール違反などしておらん。その証拠として、今現在、こうやって有料掲示板を運営しておる。

哀笑。アベヒよ。そんな事は、お前にとって何の関係もない事だろう。今更話を逸らすでない。

>一人っきりのタコツボのような掲示板の中で「釣りに乗ってくれないよう~」とごまめの歯ぎしりをして
>いないで、こちらに出向けばよいのに。

哀笑。当方の釣り針に、雑魚のお前が喰いつかないのを嘆いているのではない。

陰性臆病魚のお前が、何の返答も寄こす事なく、ただ無機質にベラベラと文句を並べる、其の愚かしい姿に
嘆いているのである。して、今回に於いて、当室に来て答えろ、などとは一言も云ってはおらん。
唯、お前が富士ボーで答えれば、其れで済む事である。

尚、言って置くが、当方が他板に下向しないのは、管理人は当掲示板の責務を全うし、他板に対して投稿
するを慎む、の主義を遵守するものであり、此れは管理人と成って以来、守って来た主義である。

して、お前などは、掲示板を堅守する管理人にも非ず、見れば、あっちこっちに投稿して、しかも一日中
投稿している由。ならば、そんな暇なお前に対して『こっちに来て投稿しなさい』とは、応に当方からの
正当な言い分ではないか。ったく、当たり前の事を言わすでない。

>こちら側の主題はたったひとつ。
>日蓮大聖人、または日興上人が「日蓮が末法の御本仏」だと示している御書はありますか?

こちら側だと? 小笑。其れは身延カラスの宿坊を入れての事か。

莫迦者!

黒カラスは、己(おの)が所属する宗派教団を親告せず、その尊信する本尊も教義も明示しない、まったく
得体不明の黒カラスである! 果たして、そんな者をして「こちら側」とは一体何か。

して、創価学会員のお前が『日蓮大聖人、または日興上人が「日蓮が末法の御本仏」だと示している御書は
ありますか?』と云う。だから、対論する前に『日蓮大聖人が末法の御本仏である、との文証が示せない、
とは、創価学会を含めての事か。して、含まれている、というならば、何で創価学会は、日蓮大聖人を末法
の御本仏と仰いでおるのだ』と訊いているのである。よいか。これは相互に於いて、同じ土俵に上って相撲
を取る、という、まったく正当な対論の法則である。よいか。お前が創価学会員であるから尋ねているので
ある。速やかに答えなさい。

尚、上記に重複するが、昨日に課した宿題への回答も、迅(はや)く寄こしなさい。

再掲する。

●宿題 其の一

釈迦本仏の黒カラスが、創価学会の根本義に対して、

『これは学問ではなく、鰯(イワシ)の頭も信心なので、所詮(日蓮聖人が末法の御本仏というのは)
信仰上の話であり、その宗派内、会内で納得されていることならば、ウソでもOKなのです』

と言っている事に、間違いないか。

●宿題 其の二

フェイクに於いて、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、
また「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、
御守本尊をカードにして販売している謗法の山である』【 第1406号(13.08.22 発行分)】

との記述は間違っているのか。

果たして、正しいのは黒カラスか、それともフェイクか。

●宿題 其の三

日蓮正宗が創価学会の教学を批判するに、原本の有無を問題にして批判したとは、どういう事か。
その具体例を述べよ。

●宿題 其の四

日蓮大聖人が末法の御本仏である、との文証が示せない、とは、創価学会を含めての事か。
して、含まれている、というならば、何で創価学会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰いでおるのだ。
其の根拠を示せ。


>答えられないものだから、論点ずらしの質問を重ねて「おぢさんは負けていませんよ」という演出は
>見苦しい。

哀。論点などずらしておらんよ。すべてお前の弁に対しての詰問である。
加えて、日蓮非本仏論は、黒カラスの疑難であり、其れに対する回答は、黒カラスが当室の規則を遵守する
事を以って為されるものである。よいか、答えられない、のではなく、当室の規則に於いて答えないだけで
ある。当に「管理人」とは、そういう事を指して云うのである。

お前は、事の流れというものをよく理解しなさい。

さて、アベヒよ。もう、つべこべはよい。

迅(はや)く宿題に答えなさい。
 

再告

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月20日(日)14時01分49秒 i60-34-195-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  当破邪の蘭室は、富士門流の正統たる富士大石寺の教義を以って、全邪宗教、並びに現代の一凶たる池田
創価学会に対して、其の邪義を責めるを主とするものである。

仍って、其れに対し反駁を為そうとする者は、当然の事として自身が所属する宗派教団を先ずは親告し、
又、其の自身に於いて所属する宗派教団の教義、並びに本尊の正義を顕揚して、其の反駁の正当を明確に
しなければならない。本より其れこそが法論・対論の原則である。

従って、無宗教者・無神論者による批判は投稿許可の対象外となる。

本より、法論とは、互いの宗派教団の教義・本尊の正当を決するものであり、又、だからこそ、其の親告が
重要となるのである。

又、自身が所属する宗派教団の教義に違背する者は、自ずと他宗教義に対する批判の資格を失うのであり、
此は法論以前の、道義の問題である。

以上、当室に対して反駁を加えんとする者は、須らく上記の内容を遵守すべし。
 

身延カラスの宿坊へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月20日(日)03時08分32秒 i60-34-195-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  哀笑。なんだ、陰性アベヒの助け船か。哀。

呆怒。カラスよ。何度も言わすでない。

お前は、当室の規則に違反して投稿しておる。

当方と論じたいのであれば、当室の規則に従って投稿しなさい。(何回も同じ事を言わせるな!)

ったく、何度も何度も同じ事を言われて、未だ理解しようとしない。

お前は莫迦なのか。

本より、法華経に文上など無い、などと言っている阿呆に、何を言っても解からんか。鼻笑。

兎も角、当方と対峙したいのであれば、当室の規則に従って投稿しなさい。

よろしいか。

尚、次回の投稿に於いて、其の実行が無い場合は、順次、投稿文を削除する。

黒カラスよ。そろそろ其の黒いケツの穴を見せてもよいのではないか。

兎も角、次回の投稿に期待しよう。

しかし、これが最後である。

よいな。
 

(無題)

 投稿者:宿坊  投稿日:2014年 4月19日(土)22時18分26秒 153.120.25.103
返信・引用
  興師は多くの真筆本尊に「本門寺安置」と記されていますが、

だったら『本門戒壇の大御本尊』はどうなるの!

…… などと野暮なことは尋ねないで。

上代には存在しない、後世に創作された板本尊・数百年後に大石寺にもたされたニセの『二箇相承』、

大石寺が生き残りをかけて作り上げたニセ『日興跡条々事』・『唯授一人嫡々血脈相承』

文献学的には「偽書」であったり「偽書に近い真偽未決」となっていても、その日蓮正宗派内で信徒、信仰増進に益するのであれば、

その「日蓮正宗派内という一つの信仰世界の中で、日蓮聖人が顕されたもの」とされても構わないわけです。

何度も言いますがこれは学問ではなく、信仰上の話です。

後世の人が日蓮聖人を求めて、後世に創作された板本尊に読経・唱題をし胸中で対話、信の一字をもって書かれた書

という位置付、その宗派内で納得されていることならば、文献学的には「ニセもの」でもOKなのです。

鰯の頭も信心からで、大石寺にある鰯の頭(オカルト 御肉牙)も同じですよ!


原殿御返事には、

『日蓮聖人の御法門は、三界衆生のためには釈迦如来こそ初発心の本師にておはしまし候』

『日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来』

興師並びに御伝土代を顕された方、上代の六老僧・弟子檀那は、

大聖人を御本仏だと言っていたのですか!

お月さん 文証をお願いします。
 

臆心のアベヒへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月19日(土)15時16分37秒 i60-34-195-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お主、いつまで惚(とぼ)けておるのか。哀。

考えてみれば、当方からの詰問に対して、お前は今の今まで一切返答を寄こした事がないよな。

其の癖して、ベラベラと富士ボーで文句を言う。哀。

何なのだ、お前は。

ったく、惚けるものではない。

其れにしても、

>所詮「日蓮大聖人こそが末法の御本仏である」と示された文証が示せない事実はひっくり返せません。

などと…哀笑。

つまり、何だ。創価学会に於いては、日蓮大聖人が末法の御本仏である、と示された文証はないが、
『イワシの頭も信心なので、組織内であればウソでもOK』の精神で、日蓮大聖人を御本仏と仰いで
おるのか。

尚、創価学会員に於いて、日蓮大聖人が末法の御本仏である、との御教示を、種々の御書に於いて
領解出来ない、というのは、当に創価学会員からして下の下の会員であり、そんな者に創価教学を
語る資格など万分の一も無いのである。哀。

其れにしてもアベヒよ。日蓮大聖人が末法の御本仏である、との文証が示せない、とは、創価学会を
含めての事か。して、含まれている、というならば、何で創価学会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と
仰いでおるのだ。

お前は其れに答えなさい。

小笑。とは言っても、お前は逃げまくって答えないであろう。この不埒者めが。
ったく、情けない奴である。糞笑。

>日顕宗門徒の絶対的「末法の御本仏」のとらえ方こそが、時々に一人づつにしか内証が
>相伝されないという法主本仏論の根幹になっているという大邪法を破折しているという
>事実から目をそらせようと躍起になっている大月天管理人。

先ず、言って置くが『日顕宗』という宗派はない。馬鹿な事をいつまでもほざくものではない。

其れにしても、(日蓮正宗が)日蓮大聖人を御本仏と仰ぐのは、御歴代上人を御本仏とする為のものであり、
その誤りを破折するために、敢えて(黒カラスやお前が)日蓮大聖人が御本仏という文証を出せ、と言って
いる事実に目を背(そむ)けて躍起になっている大月天、とは恐れ入った。哀。

お前は阿呆か。哀笑。

法主が御本仏とな。お前、その事で当方と対するか。ならばこっちへ来い!

叩きのめしてやろう。

尚、黒カラスが言っている「釈迦が御本仏」と言っておるのは、別に法主が御本仏である、という事に
対して言っているのではない。此奴(こやつ)の言っている事は、その信条からして、お釈迦様を末法の
御本仏と仰いでいるのである。つまりは、日向身延の回し者という事である。

お前は、そーゆー簡単な事も見抜けないで、よくもまぁ、ベラベラと文句を言うものよ。哀。

さて、宿題は溜まる一方であるぞ!

本日も亦(また)増えた。

お前の為にまとめてやろう。


●宿題 其の一

釈迦本仏の黒カラスが、創価学会の根本義に対して、

『これは学問ではなく、鰯(イワシ)の頭も信心なので、所詮(日蓮聖人が末法の御本仏というのは)
信仰上の話であり、その宗派内、会内で納得されていることならば、ウソでもOKなのです』

と言っている事に、間違いないか。


●宿題 其の二

フェイクに於いて、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、
また「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、
御守本尊をカードにして販売している謗法の山である』【 第1406号(13.08.22 発行分)】

との記述は間違っているのか。

果たして、正しいのは黒カラスか、それともフェイクか。


●宿題 其の三

日蓮正宗が創価学会の教学を批判するに、原本の有無を問題にして批判したとは、どういう事か。
その具体例を述べよ。


●宿題 其の四

日蓮大聖人が末法の御本仏である、との文証が示せない、とは、創価学会を含めての事か。
して、含まれている、というならば、何で創価学会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰いでおるのだ。
其の根拠を示せ。


其れにしてもアベヒよ。

お前は、本当に情けない奴であるよな。

この俺がもし、当時の男子部に立ち還り、お前の様な部員を預かったならば、大叱責して、その根性を叩き
直してやったろうに。

本より、お前などは、当方が見抜いたとおり、Cクラスの会員であろうから、そーやって、ベラベラと
適当な事を言っているのであろう。ったく、どーしようもない奴である。

一体、お前の所属する地区の幹部は、何をやっておるのだ。

尚、言って置くが、宗内及び会内に於いて、自由闊達な意見の交換による教学研鑽とは、日蓮大聖人が
末法の御本仏である、という根本教義から逸脱する事をもって成るものではない。本より、自由意見の
交換の下に、日蓮正宗信徒、及び創価学会員が、日蓮大聖人が久遠元初本因凡夫の御本仏である事を疑々
するは、これ大謗法である、という事を心肝に置かなければならない。

して、其の信条に対して『思考停止』と揶揄するは、これ信仰心の破棄であり、当にお前は、其の一歩を
踏み出さんとしているのである。

よいか、黒カラスに絆(ほだ)されて、身延の一員に成り果てるではないぞ。

創価に身を置くとも、その心が身延ならば、其(そ)は身延信者と同じくするものである。

ったく、こんな初歩的な事を言わせおって。

其れではアベヒよ。

宿題を迅(はや)くやりなさい。

外で遊ぶのは、其れからの事である。
 

アベヒへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月18日(金)18時38分16秒 i60-34-195-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >仏法義において原本の有無にこだわってきたのが日蓮正宗だし、創価学会への教学的批判もほとんどが
>元(原本)の有無じゃないか。

はて、日蓮正宗が創価学会の教学を批判するに、原本の有無を問題にして批判したとは、どういう事か。
その具体例を述べなさい。

尚、貴様には宿題が残っておる。

判っておろう。

これで8回目である。

では再詰する。

創価学会員として答えなさい

釈迦本仏の黒カラスが、創価学会の根本義に対して云く、

『これは学問ではなく、鰯(イワシ)の頭も信心なので、所詮(日蓮聖人が末法の御本仏というのは)
信仰上の話です』

『その宗派内、会内で納得されていることならば、ウソでもOKなのです』

フェイクに云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、
また「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、
御守本尊をカードにして販売している謗法の山である』【 第1406号(13.08.22 発行分)】

果たして、どっちが正しいのだ。

黒カラスか、それともフェイクか。

逃げずに答えなさい。

尚、当方は今より外出し、帰宅は御前様となる。

したがって、貴様の珍答を叱るのは明日となる。

兎も角、返答を寄こしなさい。

よろしいか。
 

再詰問

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月18日(金)16時48分3秒 i60-34-195-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、久しぶりの投稿となったが、今、南朝鮮(韓国)では、旅客船の沈没事故が発生し、修学旅行で乗船
していた高校生300人余を含む475人の内、179人が救助されたものの、これまでに修学旅行生など
26人の死亡が確認され、未だ270人の安否が分かっていない、という。

ニュースを観るに、日本政府は、南朝鮮からの要請があれば、いつでも自衛隊の掃海艇を用意し、ダイバーも
派遣する、と打診している様であるが、未だ、其の要請はない様である。ある行方不明者の家族の一人は、
そのインタビューに於いて『30時間が経とうとしているのに何の措置も取られないなら、救助システムが
整っている日本に助けを要請してもいいのではないか』と述べたが、最早、この様な時に、国家の面目など
必要ないであろう。本より、我が国は、過日の銃弾のみならず、救助艇でもダイバーでも、隣国の為であれば、
いつでも用意し、速やかに派遣するものである。

兎も角、一刻も早い救助を敢行し、未だ安否の判らぬ若者の命が一人でも多く救われる様、此に強く祈りたい。

さて覩(み)るに、蝗蟲会員(創価学会に身を置きながら、その教義に信伏せず、大聖人は末法の御本仏ではない、
と言って憚らない痴れ者。加えて、身延の黒カラスから、イワシの頭の信心と揶揄されても、それを尊敬して
しまう莫迦者)からの回答が無いようである。鼻笑。

尚、此奴らの言い分として、真蹟のない御書(此奴らからして偽書)を採用して教義と為すのは、あくまでも
学会員として信心に資するからである、などと言っている様であるが、バカな事を言うものではない。

よいか聞け。

仏法義に於いて、原本の有無などは二の次であって、要は、そこに示される文義が何(いか)に正義であるのか、
という判釈こそが重要なのであり、又、其れだからこそ、写本を含めて成る相伝の意義こそが重要となるので
ある。本より、信心に資するとは、その内容が正義であるから信心に資するのであって、そこに真蹟原本の
有無を挟み込むは、これ邪義と疑判するから原本の有無を持ち出すのである。つまり、信心に資するとは、
そこに示さる内容を正義と判じ、其れを実践する事であり、その信心に於いて、原本の存在は余事となるの
である。本より、原本の有無が内容の正邪に直結しない事などは、余程の馬鹿でないかぎり、容易に判断出来
るであろう。

哀…。ったく、偽書を引用して教義とするのは、信心の糧としてするものだ、などと。哀笑。

よいか! 信心の糧にする、とは、そこに教示される内容が正義であるから、信心の糧とするのであろうが!

つまり、それは偽書ではなく、義書として拝すべき、という事であろうが!

ならば、其の原本がどーの、所在がどーの、とガヤガヤ騒ぐものではない!

よいか、結論を言えば、創価学会員に於いて、信心に資すると言いながら、その採用する御書の真蹟に固執
する者は、須らく詭弁者であり、両舌の徒輩であり、元から当方が断言しているように、こういう連中こそが
獅子身中の蝗蟲なのである。お前らこそは、恥というものを知るべきである。

尚、文献学だ、書誌学だ、などと偉そうに言っておるが、そんなものは、単なる一辺の学術であり、其れを
構成する半分は、想像・推察の重ね刷りであり、そんなものに現(うつつ)を抜かす連中こそ、信心のかけらも
無い、単なる『小学者』である、という事を知るべきである。

重ねて文献馬鹿には、その限界を申しておこう。

本より、原本が無い、という事を以って、元からして書かれていなかったと断定するには問題がある。
つまり実際に書かれてはいたが、其の後、紛失や破棄や盗難によって、その原本が失われていた可能性も
ある訳である。今にして無い、とは、元から無い、という意味の他に、本は有ったが、其の後に無くなった、
という事でも、今にして無い、と判断されるのである。つまり、それこそは、原本の有無に於ける真偽の
未決であり、この結論こそが文献学の限界となるのである。

本より、創価学会員でありながら、真蹟の有無に固執し、日蓮大聖人を末法の御本仏と尊信せず、釈迦本仏の
身延教義に傾倒する者共は、須らく邪宗に魂を売っている売教奴であり、こういう文献亡者の連中に、正宗の
本尊・教義についてモノを云う資格などは、億万分の一にも無いのである。

フェイクに云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、
また「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、
御守本尊をカードにして販売している謗法の山である』【 第1406号(13.08.22 発行分)】

して、釈迦本仏の黒カラスが、創価学会の根本義に対して云く、

『これは学問ではなく、鰯(イワシ)の頭も信心なので、所詮(日蓮聖人が末法の御本仏というのは)
信仰上の話です。その宗派内、会内で納得されていることならば、ウソでもOKなのです』

其れを受けて蝗蟲会員が云く、

『(その)教学に対する透徹した理解の深さには羨望の念を深めている』と。

呆笑。ったく、創価学会員の信心を指して『イワシの頭』と揶揄しているカラスに対して、
「教学に対する透徹した理解の深さ」などと、バカな事を言っている中華マゾ男。

そして『創価学会をバカにし御本尊様をないがしろにする仏敵から目を背け』と言いながら、
黒カラスさまぁ~、と自ら仏敵にすり寄る、軟弱陰性男。

ったく、どっちが正しいのだ!

黒カラスか、それともフェイクか!

よいか、これは、文書の出処の問題ではない。両者の言い分、その内容のどちらが正義であるか、の問題で
ある! 当にこれこそ、原本の所在有無よりも、そこに示さる内容こそが大事、という詰問である!

醜い黒カラスが正しいか、其れとも怪文書が正しいか!

蝗蟲の馬鹿どもは、須らく答えなさい!
 

宿坊だと。

 投稿者:なつかしい  投稿日:2014年 4月 5日(土)10時57分53秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  ヤツも地に堕ちたもんだ、

身延に宗旨替えか、

釈迦本仏、、、ねえ、

あまりに依語不依義で文献に固執した所為か、身延と同類の読み方しかできなくなったか、
 

沖浦へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 3月28日(金)12時16分48秒 i118-19-14-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  おお! 雪中老人の沖浦ではないか。

久しぶりよのぉ。

哀。其れにしても、何だ、その挨拶の仕方は。哀笑。

「ぶつかり稽古しな!!」

随分、懐かしいフレーズではないか。

もう、七、八年近くになるか。

しかし、其の間、当方はお主に胸を貸し、ぶつかり稽古をさせては来たが、お主はいつも跳ね返されて、
其の、異様な老人マッチョと、後頭部にちょいと付いたポニーテールを砂まみれにしながら、踠(もが)
いていたのである。

よろしいか。回答に窮する、とは、実に其の態をして云うのである。

「ぶつかり稽古しな!!」

哀笑。其れこそはこっちのセリフである。

否。

お主の場合には、「尻もち稽古しな!!」と云うべきか。小笑。

ところで、磨き粉の商いは進んでおるのか。

まぁ、頑張りなさい。

 

管理人さん、お久でございます

 投稿者:沖浦克治  投稿日:2014年 3月28日(金)07時29分5秒 softbank126116020011.bbtec.net
返信・引用
   ぶつかり稽古しな!!  

富士宮ボーイ管理人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 3月27日(木)07時53分45秒 i118-19-14-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  突然にて失礼致します。

貴板は、時折拝見させて頂いております。

又、其の様な中で、貴板に常駐している、阿部日ケ~ン(院政)に対しては、当室から種々呵責詰問し、
又、阿部日ケ~ン(院政)本人も、貴板に於いて、当方を批判をしているのでありますが、其れらすべてが
無回答を重ねての批判であれば、当方として、最早、此の者に対する詰問の決着はすでに付いていると
此に確信するものであります。しかし、其の因は管理人殿の監督に帰するものではなく、ただ、阿部日
ケ~ン(院政)自身の無学による横着が原因であると、此に断を下すものであります。

さて、其の阿部日ケ~ン(院政)が、他板に於いて管理人殿のコメントを転記しております。

云く、

>学会員同士の泥試合となっていると言わざるを得ません。
>以前も言いましたが、この掲示板の発祥は破邪顕正でした。
>悪を悪、魔を魔と見破るための掲示板が、同志対立掲示板となったり、同志批判や組織批判
>掲示板となっては、管理人として黙ってられません。

と。

本より、悪を悪、魔を魔と看破する為の掲示板が、いつの間にやら、会員同士の対立の掲示板となり、
其れこそ、日蓮正宗に対する破邪顕正どころか、同志による怨嫉の現場を監督する羽目となり、其れら
喧騒を仲裁するに至るなどは、管理人として実に不愉快であり、又、不本意な事でもありまょう。

そうとなれば管理人殿。

まこと不躾(ぶしつけ)な申し様でありますが、今こそ、貴掲示板の原点に立ち還っては如何でしょうか。
つまりは管理人殿が仰せの「破邪顕正」の原点に立ち戻る、という事であります。

言うまでも無く、邪を破すには正義を以って為さねばなりません。

して、創価学会の正義とは、まさしく日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、三大秘法の大御本尊を尊信し、
日寛上人の御教示を信学しながら、歴代会長の指導を胸に、日々戦って往く事でありましょう。

ならば、其の戦いに於いて、一番の悪とするは、日蓮大聖人を御本仏と仰がず、釈迦を末法の本仏とし、
延いては、その釈迦本仏を以って一尊四士の本尊にせんとする、創価学会員に於ける悪魔の所業であり、
先ずは其れを看破し、そして破折叱責する事こそが、貴掲示板の原点(破邪顕正)に立ち戻る、第一歩では
ないでしょうか。

果たして、日蓮正宗の教義を批判するに、其の主体たる創価学会員が、日蓮大聖人を御本仏と仰がずに、
釈迦を本仏として崇めるなど、其れこそ、自教団の根本義に違背する者が、一体何の仏法正義を以って、
日蓮正宗の教義を批判できるのか、と、此に強く思うものであります。

当方の申す事、間違っておりましょうや。

してもし、間違っていない、とのお思いであれば、御貴殿が運営する富士宮ボーイに投稿するメンバーに
於いて、実に創価学会員として、その教義に信順し、その正信を以って破邪顕正に励まんとする同志こそを、
大切にすべきではないでしょうか。

して見れば、まことに失礼ではありますが、管理人殿の掲示板には、創価学会員でありながら、宿坊と
いう身延教義の信奉者を尊敬し、又は、其れらの邪義を批判もせず、理屈をつけて容認している者が二名
居ります。勿論、その時々の投稿者であれば、別段、煩(うるさ)く云う必要もないでしょう。しかし、
其れらの者は、貴掲示板の常駐者なのであります。しかも、其れらの常駐者が、創価学会の教義に信順して
いる投稿者をアク禁にすべく、御貴殿に働きかけているのであります。実に、是れこそが問題でありましょう。

果たして、日蓮大聖人を本仏と仰がず、そんなものはイワシの頭、と侮蔑する人間を尊敬する学会員こそ、
悪であり、魔であり、組織に巣食う、獅子身中の蟲であり、又、だからこそ、真っ当な信心をしている
学会員を、貴掲示板から排除せんとしているのであります。

管理人殿。

此の儘では、富士宮ボーイは、身中の蝗蟲が巣食う、己義自滅の掲示板となりましょう。

どうか、一日も早く、其れら根本義に違背する蝗蟲会員こそを排除し、真正たる創価学会員の名の下に、
正々堂々、日蓮正宗の法義に対して挑(いど)まれん事を、切に望むものであります。


                                 御無礼の段、平に御容赦

                                    大月天 拝 
 

おい! アベヒよ!

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 3月26日(水)17時10分7秒 i118-19-14-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >すみません。 マグマグ殿や私が「学会員である」と豪語した事があったでしょうか?
>学会員さん相手に、創価学会での指導や教学をベースにすることは、しょっちゅう ありますが
>それは私が「学会員である」ことを間接的に証明していることには なりません。

これは何なのだ!

ふざけておるのか!
 

マゴマゴ君へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 3月26日(水)16時59分56秒 i118-19-14-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  小笑。

帰って見れば、マゴマゴ君が、日本国と支那の迫(はざま)、いや、どっぷりと支那の毒に漬かりながら、
何やらブツブツと呟(つぶや)いておる。哀笑。

>何だか時代劇がかった物言いで、生まれた時からの強信者のような感じを受けるが、全然違う。

哀笑。そーか。全然違うか。小笑。しかしな、マゴマゴ君。残念だか其れは大ハズレである。

当方は、学会二世として、少年部の時から強信であった。無論、お主など足元にも及ばん程にである。

よいか、中途半端な会員のくせして、生意気な事を言うものではない。

>(ここで)宿坊様に対する応援演説を。
>氏は逆説的な論法を設けておられる。戒壇大本尊がニセモノだったとすると、大聖人は一体何を
>残されたのか。文底の発想を用いずに、日蓮仏法の何が正しいと証明出来るのか等々

何、釈迦本仏の身延宿坊を応援するとな。哀。

何、宿坊は逆説的な論法で、釈迦を末法の本仏としている、とな。

しかも、文底という「発想」を用いずに、とな。

哀笑。果たして文底を用いずに、日蓮大聖人の仏法義の何を証明すると云うのだ。

お主、そこまで脳髄を腐らせて身延宿坊の太鼓持ちに成り果てるか。哀。

何? 宿坊様だと? なんだ、お主もアベヒと同じく、腐れ会員の輩(ともがら)であるのか。哀。

言って置くが、宿坊が言っている事は、本心である。又、本心でない事を、論法に須(もち)いるは、
単なる批判者の態である。して、お主は宿坊の主張を逆説と言った。つまり、宿坊は、その本心、
つまり、その信ずる所に於いては、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、戒壇の大御本尊を尊信して
おるが、実の処(ところ)日蓮仏法の何が正しいか、其れらを証明する為に、敢えて釈迦本仏論を
ぶちまけている、と云うのか。

小笑。おいおい、お主の目ん玉は、支那の毒気にやられて、もはや盲目の其れではないのか。哀。

よいか。身延の黒カラスが言っている事は、本心なのである。

ったく、そんな事も判らんで、宿坊様を応援します、などと。哀。

言って置くが、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一尊四士を本尊とせず、応に御本尊のみを以って
尊拝する事こそが、創価学会の根本義である。お主は其れに違背するというのか。釈迦本仏の宿坊を
応援するとは、応にそういう事であろうが。この恥知らずめ。

ったく、其のような身中の蝗蟲が、人様の信心についてモノを申すなど、百万年早いぞ。呆笑。

>で、最近、宿坊様に対する非難があったが、ことほど左様にお月さんは無残なものと、どうして
>普通に理解出来ないのか。例えば、先ほど書いた「教観相対」。仮に身延からのものだったとしても、
>反撃出来ないのがお月さんなのだ、爆笑。

おいおい、「爆笑」は、お主の其の中華頭であるぞ。笑。

果たして、宿坊の逆説論(文底を用いない)に於ける教観の相対とは、一体、どーゆー相対なのか。

お主は其れを申してみよ。哀笑。

何? 反撃だと?

哀。

よいか、聞きなさい。当室の規則に従わず、あれこれと投稿者名を変えながら、串を使って投稿し、自身が
所属する宗派教団、及び、其の尊信する本尊と教義をも隠匿して、ただ、批判を繰り返しているのが宿坊
なのであって、又、だからこそ当室として規則の厳守を何回も求めて来たのである。しかし宿坊は其れを
何度も無視し、今以って荒らし投稿を重ねているのである。

よいか。黒カラスの宿坊が、当室の規則に従って投稿すれば、いつでも法論は開始されるのである。
本より、法論とは、其々が所属する宗派教団の本尊及び其の教義の正義を宣べ、以って互いに其の正邪を
論じ決するものである。したがって、自身が所属する教団の本尊、及びその教義を隠匿し、ただ相手の
尊信する本尊と教義について批判し中傷するなどは、其れこそ法論の資格は得られないのであり、まして、
自身が所属する教団の教義に違背しながら、相手の宗義を批判するなどは、これ全く法論以前の道義の問題
であると、此に一蹴するものである。

よいか、マゴマゴ君。そういう道理こそを先ずは理解しなさい。

然るに、お主らマゴマゴ&アベヒの「創価違背の蝗蟲コンビ」が常駐している富士宮ボーイなどは、
その論戦に於いて、その投稿資格を設ける事なく、単に内容が気に入らない、というだけで投稿者を
アク禁にしているのではないか。言って置くが、お主らコンビより、よほど学会員として正論を述べて
いる投稿者を排除するなどは、其れこそ「反撃できない蝗蟲コンビの爆笑行為」と成るのではないか。哀。

>では、どうして私がこれほど(宿坊様を)持ち上げるのか。答えは簡単。
>やはり過去のことで、ア法華との対論に一時ご一緒させて頂いたことがある。
>文献的知識の広さ、教学に対する透徹した理解の深さは、ア法華らが太刀打ち出来るものでない。

おお、そーか。お主は、宿坊と同行して、法華講員と対論したのであるか。
つまり、本人を知っている、という事であるよな。ならば、その醜男(ぶおとこ)に言いなさい。

自身が創価学会員である事を、正々堂々、串を使わずに宣言しなさい、と!

>そう言ったことで私は今でも氏を支持し、時々だが掲示板を拝見しては羨望の念を深めている。
>学会員か学会員でないか? ずーっと以前から氏を存じ上げている者からすると、何でそんなことが
>今問題になるのか、逆に可笑しくなる。マグマグo(*^▽^*)o~♪

阿呆! 創価学会員として釈迦を本仏とするのか、否か、実に其れこそが重要であるから、黒カラスの
所属を問題にしているのではないか! 大丈夫か? その支那頭。

>例えば、先ほど書いた「教観相対」。仮に身延からのものだったとしても、

何? 仮に身延からのものだったとしても、だと? 鼻笑。仮にも何も、其れこそは邪流身延の俄教義で
あろう。果たして、本迹の相対に迷う一致派の身延が、寿量品に於いて其の教観を判ずる事など出来よう
筈もない。つまり、そういう真似事が出来る、という事は、其れこそは勝劣派から取り入れた改造教学と
いう事であり、つまりは、一致派の旗を振りながら、勝劣派の優位を認め、破廉恥にも其の勝義を逆輸入
して寿量品の判釈を行っている、という事である。ったく、其れでは中共支那と同じ手口ではないか。呆怒。

兎も角、お主は、此れを読みなさい。

日寛上人に曰く『問う当流の諸師・他門の学者、皆第三の教相を以て即ち第三の法門と名づく、然るに
今種脱相対を以て名づけて第三の法門と為す、此の義前代に未だ聞かず、若し明文無くんば誰か之を信ず
べけんや』と。

よいか、此の問いは、身延派の宿坊が言っている事と同じである。つまりは、師弟の遠近不遠近を以って
第三の法門とするものである。

而して日寛上人が曰く『答う、第三の教相のごときは仍(なお)天台の法門にして日蓮が法門に非ず、
応に知るべし。彼の天台の第一第二は通じて当流(富士大石寺)の第一に属し、彼の第三の教相は則ち
当流の第二に属するなり』と。

仍って曰く『更に種脱相対の一種を加えて以て第三と為す、故に日蓮が法門と云うなり』と。

つまり、本門寿量品に於ける教相と観心の判釈は、須らく文底下種の法理を以って完遂するものであり、
要は、その寿量文底に沈められた大法が如何なるものであるかが、最も重要となるのである。
つまり、日寛上人が述ぶる種脱相対こそは、実に教観の判釈をも包含しているという事である。

よいか。是れこそが日寛上人に於ける種脱相対の真価であり、日蓮正宗の奥義である。

其れをして、恩師・戸田先生が云く、

『日寛上人ほど正しく精密に、しかも忠実に、大聖人の御書をお読みになった方は、いないのである』と。

重ねて、破門後の池田創価学会が宣言して云く、

『広宣流布を深く願い「大聖人直結」「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人』と。

して、其の日寛上人が御教示する処(ところ)の、日蓮大聖人本仏義について、彼のフェイクが云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また「板本尊
偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊をカードにして販売して
いる謗法の山である』と。

爾して、お主が尊敬する黒カラスの宿坊が云く、

『日蓮正宗内、又は創価学会内でその信徒及び会員の信仰増進に益するところがあれば、その
「宗派内、会内という一つの世界の中では、ウソでも信仰上は日蓮のもの」とされても結構な
わけです』

『これは学問ではなく、鰯(イワシ)の頭も信心なので、所詮(日蓮聖人が末法の御本仏というのは)
信仰上の話です』

『その宗派内、会内で納得されていることならば、ウソでもOKなのです』

哀笑。

中華頭のマゴマゴ君。

黒カラスは、お主らの事を、イワシの頭の信心、と言っておるぞ。

しかも、歴代の会長指導、及び学会の教義をウソと断じ、日蓮大聖人を御本仏と仰ぐは、イワシの頭を
信じる事と同じだ、と侮蔑しておる。

お主、これでも逆説とボケをかますか!

果たして、アベヒ(陰性)は当方の詰問から逃げ回っておる。哀。

となれば、身延の宿坊を尊敬してやまないお主に詰問するしかあるまいて。

此に問おう。

釈迦本仏の宿坊が、創価学会の根本義に対して云く、

『これは学問ではなく、鰯(イワシ)の頭も信心なので、所詮(日蓮聖人が末法の御本仏というのは)
信仰上の話です』

『その宗派内、会内で納得されていることならば、ウソでもOKなのです』

フェイクに云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、
また「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、
御守本尊をカードにして販売している謗法の山である』【 第1406号(13.08.22 発行分)】

果たして、どっちが正しいのだ。

宿坊か、それともフェイクか。

真正なる学会員であれば、いとも簡単な二者択一であろう。

速やかに答えるべし!
 

アベヒ(陰性)へ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 3月25日(火)17時06分42秒 i118-19-14-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >秋晴れさんは、富士宮ボーイ掲示板でアク禁者ecoちゃんのメタファー調学会批判に
>与同する有様です。

>誹謗中傷の大月天管理人への破折は不完全かつ、あいまい。
>宿坊殿に対しては敵意丸出し。
>こちらの投稿者さんにも不審がられています。


おいおい、いつまで白を切っておるのだ。

何? 学会批判に与同だと?

だから! 応に其の事について、貴様に詰問しているのではないか!

果たして、貴様は、学会批判に与同しておるのか、おらんのか。

当に其の事についての詰問なのである!

よいか! 貴様などに、城者をして城を破るだの、獅子身中の虫だのと、人様に言える資格などはない!

其れは何故か! 其れは貴様自身が、城を破る人間か、城に巣食う蝗蟲か、つまりは、其の教団組織の
根本義に弓を引く人間であるのか、否か、という詰問に対して、白を切り、逃げ回り、其の返答に窮して
いるからである! ったく、そんなだらしのない人間が、同志に対して『学会批判に与同』などと!

お前の根性は腐っておるのか!!

再詰する! これで7度目である!

創価学会員として答えよ!

釈迦本仏の宿坊が、創価学会の根本義に対して云く、

『これは学問ではなく、鰯(イワシ)の頭も信心なので、所詮(日蓮聖人が末法の御本仏というのは)
信仰上の話です』

『その宗派内、会内で納得されていることならば、ウソでもOKなのです』

フェイクに云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、
また「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、
御守本尊をカードにして販売している謗法の山である』【 第1406号(13.08.22 発行分)】

果たして、どっちが正しいのだ!

宿坊か、それともフェイクか!

速やかに答えよ!
 

南朝鮮(韓国)よ、ハーグでよいのか。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 3月23日(日)15時01分34秒 i118-19-14-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  報道に云く、

『韓国の朴槿恵パククネ大統領は、米国が提案しているオランダ・ハーグでの24、25日の
核安全サミットに合わせた日米韓首脳会談の受け入れを最終決断した』(2014年3月21日付)

其れにしても、オランダ・ハーグで南朝鮮が会談するとは、何も皮肉な話よのぉ。

ハーグと云えば、勿論、ハーグ密使事件が思い出されよう。

是れこそは、日韓協定に調印した高宗(大韓帝国皇帝)が、その当事国の大日本国に内緒で、
オランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送り『調印したのは本音じゃなくて、
実は大日本帝国に強制されてやった事なんだ』と、調印に反対した側近の意見を退けて、自らが調印
した事を棚に上げ、被害者よろしく国際社会に対して、自国の復権を求めたが、ロシアをはじめ、
米国、英国、フランス、ドイツ、そして開催国であるオランダからも拒否されて、その目的を達成
することが出来なかった、という「告げ口外交」ならぬ「告げ口事件」の事である。

勿論、それら密使の行動は、各国から帝国に通報されて、明るみに出でしまったのであるが、
この事件を契機にして、より一層、朝鮮の協定に対する信義が帝国から疑われ、次回(第三次)の
日韓協約へと進んでいくのである。尚、この事件に於いて、当の高宗は「僕は知らない」と惚けた
のであるが、その後、側近の首相や官僚たちの責任追及により、高宗は退位したのである。

果たして、皇帝のいなくなった大韓帝国はどーなるのか。其れでなくともだらしない国であったのに。
本より、これらの事を契機として、遂に我が帝国に併合されるに至ったのである。

よろしいか。これは侵略ではないのである。

因みに、高宗が密使を送って、其の不満を述べた「日韓保護条約」の第一条には、次の条文が記され
ている。

第1条:日本国政府は今後外務省により韓国の外交を監理指揮するため、日本の外交代表者と領事は
外国にいる韓国人とその利益を保護しなくてはならない。

何度でも言おう。これは侵略ではない。

果たして、今回のハーグ会談。

クネ女史は、曾(かつ)てハーグが、密使事件の舞台であった、という事を知っているのであろうか。
いや、思い出したくない事件と言えよう。

曾(かつ)て国際社会から拒否されたハーグで、今度は渋々受け入れて我が国と会談に臨むクネ女史。

さても彼の高宗が如く、後に成って「本当は嫌だったのよ~」などと言うものではないぞ。

国家の意思表示は、須らく公言・公動にこそ顕われるのである。

クネクネ動くものではない。
 

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