熱狂的に愛された雑誌
自分と同世代か、その前後あたりの女性読者の方と会った時、しばしばおっしゃって下さるのが、
「オリーブの頃から読んでます」
という一言なのでした。
今の若者が聞けば、「オリーブってなんですか? あのおつまみみたいなやつ?」と思うであろうこの言葉、我々世代は確実にピンと来るはずです。そう、「オリーブ」すなわち『Olive』とは、一九八二年に平凡出版(現マガジンハウス)から創刊された女性誌のこと。そして私は、かつて『オリーブ(以下同)』において連載をしていたのであり、読者の方は私に、「あなたが『オリーブ』で書いていた頃から読んでいますよ」と言って下さるのです。
私は長年エッセイを書く仕事をしており、今までに様々な雑誌に連載をしてきました。が、読者の方々が、かつて連載していた雑誌の名前を出して「読んでました」と言って下さるのは、この『オリーブ』が断然トップの多さ。それほど『オリーブ』は、我々世代にとって印象的で、かつ熱狂的に愛された雑誌だったのです。
そして私は、執筆者であると同時に、『オリーブ』の愛読者でもありました。今でも覚えているのは、「オリーブ」の発売日。月に二回(二〇〇二年の一時休刊時まで。その後、月一回に)、三日と十八日に発売される「オリーブ」を、女子高生であった私はどれほど楽しみにしていたことでしょうか。雑誌の発売日を心待ちにするという気持ちは、あの「オリーブ」との蜜月以降は、感じたことはないものかも。
Dragon Ashの皆さんはかつて、「東京生まれHIP HOP育ち!」と歌っておられましたが、それで言うなら私は「東京生まれオリーブ育ち!」。そんなオリーブ育ちの女性達は日本各地にいるのであり、直接知り合いでなくとも『オリーブ』の同窓気分があるからこそ、
「『オリーブ』の頃から読んでます」
と、今でも言って下さるのだと思うのです。
『オリーブ』は、二○○三年で休刊となりました。この連載は、約二十年間にわたって発刊されたこの雑誌の全盛期がどのようなものであったのかを検証し、それが当時の若い女の子達にどのような影響を与えたのかを振り返ろうというもの。その手始めとして、まずは『オリーブ』の成り立ちから、見てみることにいたしましょう。
『ポパイ増刊』としてスタート
『オリーブ』創刊号は一九八二年の六月に出たのですが、その前の年の十一月には、『POPEYE増刊 Olive』が出ています。今も刊行が続く『POPEYE』は、その五年前、すなわち一九七六年に創刊された「Magazine for City Boys」。スタイリッシュなCity Boys相手であっただけに、ヌードも劇画も載っていない「ライフスタイル・マガジン」だったのであり、当時は七十万部近くを売り上げるという、絶大な人気を誇っていました。
一九八一年、十五歳だった私は、『ポパイ』を愛読していました。男の子向けの雑誌ではあったけれど、とにかく『ポパイ』には時代の勢いと未来の夢が詰まっていたのです。カリフォルニア、スケートボード、サーフィン……といった、お洒落でまぶしい“ライフスタイル”。ファッションからカルチャーまで、おもちゃ箱のようにぎっしり詰まった、細かなコラム。雑誌好きの私は隅々まで『ポパイ』を熟読していたのであり、だからこそ「ポパイ」の増刊として『オリーブ』が出た時は、「おおっ、とうとうポパイの女の子版が!」と、勇んで手に入れました。
平凡出版の若者向け雑誌は、当時はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いを誇っていました。否、「当時」と限定するのは間違いでしょう。一九六四年には『平凡パンチ』を、一九七○年には『an・an』を……と、平凡出版は常に、他に例を見ない格好いい雑誌を創刊させてきました。『平凡パンチ』の後には『週刊プレイボーイ』が、『アンアン』の後には『non-no』がと、それは他社が似たような雑誌を出して後追いをしたくなるような新しさを持っていたのです。
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