『Journalism』6・7月号の朝日新聞、奥山記者の文章(「福島原発事故 発表と報道を検証する」(2011年3月11~17日、現場では何が起きていたのか/東電原発事故の現実と認識、その報道、そしてギャップ))に対して、感想を書く書くといいながら、書いていませんでした。
感想の根拠を示さず書いたところでどうしようもないと思い、政府・国会・民間・東電の事故調査報告書や、当時の会見、報道をちまちま調べていたのですが、それぞれが膨大で、次々と情報が増えて行く中、完璧な感想を書くのは不可能と感じ、「暫定版」として、不完全ながらここに<批判的>感想を書いていくことにします。
なので、個々に、もし当方の勘違いがあれば、指摘して下されば幸いです。(コメント欄も開けることにします)
(なにより、私より知見のある方が、より良いジャーナリズムの為にも、徹底的に奥山記者の文章を検証される事を望んでいます。)
ただ、根拠を後回しにすれば、『Journalism』6・7月号の朝日新聞、奥山記者の文章を読んだ感想は、正直に言えば「頭から最後まで酷い文章だなぁ」でした、そして(資料に当たる事の出来ない一般人はともかく)プロのジャーナリストの人達がこの文章を賞賛しているのを見て、正直腰が抜け、「まさに反動により日本のジャーナリズムは終わってしまっている」との感想を、残念ながら持ちました。
具体的に私の感想を列挙すれば次の通りです。
(1.~書き終わってる物は、それぞれ感想の具体的根拠が書かれた文章へとリンクで飛べます)
1.1号機の非常用復水器(イソコン=IC)について長々と書いてるが、事故発生当時の例えば2011年の3~4月の東電会見等で、非常用復水器(IC)について(作動の可否はともかく)話題になっていたか? そもそも11年3月11~12日で大騒ぎだったのは、1号タービン建屋での放射線の上昇と、格納容器の圧力上昇によるベントの話でしょ?
2.朝日新聞は、11年3月31日の時点で、バッテリー停止後(=給水停止後)の2~数時間でメルトダウンが開始し、バッテリー停止後(=給水停止後)の3~数時間で圧力容器下部の破損まで行く事を知っていたが、なぜそれに触れていない?
3.2号機の隔離時冷却系(RCIC)が「動いていたが停止」(6月号p.75)と報道し、事態を「過大評価報道」(7月号p.82)した、と大層に書いてあるが、11年3月11日の21:54に2号機の水位が2Lと確認され(政府11日23時30分発表)、東電も12日の午前4時発表で「隔離時冷却系の運転状態が確認」と発表されているから、隔離時冷却系(RCIC)の動作確認が、たかだか3月12日の朝刊に間に合わなかったって話だけじゃないの?
4.2号機の圧力容器の圧力(炉圧)が、11年3月14日に7.403MPa→0.63MPaに激減している理由は、「原子炉の逃がし安全弁」(SR弁)を開け「あえて圧力を下げようとしたもの」(7月号p.89)と断言しているが、果たしてそう言い切れるのか? 仮にそうだとしても、SR弁を開けた理由に触れず、後に格納容器圧力、サプレッションチェンバーの圧力が大気圧に近づいた事を問題視していないのはなぜ?
5.4号機の水素爆発の原因は「プールではない」と断言しているが、そう言い切れるのか? そして2号機の異音、及び4号機の水素爆発のあった11年3月15日に、構内の放射線量が急激に増大しているが、なぜこの理由やこの事に触れないのか?
6.この報道検証の文章で、「(11年3月)14日、原発から30キロ圏内には立ち入らないよう本社から指示された」(矢崎 朝日新聞 福島総局長(当時))の、朝日新聞本社による記者撤退指示について触れられていないのはなぜなのか?
7.政府・国会の事故調査報告書において、保安院や東電の「炉心溶融」(メルトダウン)→「燃料の損傷」についての説明の変遷が指摘され、「このような広報が、その後、事故状況について、保安院が事実を隠そうとしているのではないかとの疑念を与えた原因となった」(政府事故調p.276~)、「公表内容の信頼性を低下させ、無用な憶測を招く一因となった。」(国会事故調・最終報告書)、と公表姿勢が断罪されているが、この信頼を低下させた公表に沿った<発表報道>への反省が全く無いのはなぜか?
8.3号機の水素爆発の煙の色が「黒煙」か「白煙」かは、「人によって知覚の内容は異なっていた」(6月号p.79)と、個人的には噴出す主張がなされているが、普通に1号機の水素爆発(白)との比較で「黒」と判断して書いてるだけじゃないの? そんな事より、3号機の爆発の映像が一時使用出来なかった事について、なぜ朝日の記者が触れない?
9.ブローアウトパネルが2号機以外に開かず、1、3、4号機の建屋が水素爆発する原因になったが、その原因の解明をツィッター上でも盛んに行われたが、例えばこの重要な指摘に対する報道が無かったことに対する反省が無いのはなぜか?
10.(初動との断りはあるが)「読者に知らせるべきであるのは、やはり発表の内容なのではないか」(7月号p.94)と書かれていて驚愕 報道で必要なのは、様々な専門家を中心とした、多様な立場からの事象(発表)に対する分析では? まだ<発表報道>に対する反省が成されないのかと思ったが、それ以上にこの奥山記者の文章を評価するジャーナリストが沢山にいることに腰が抜け、今、不正確な煽りと、それに対する反動の内ゲバがジャーナリストの中で起こり、本来指摘すべき対象に対してジャーナリズムの目が向いていない目も当てられないような現象が起こっている
ざっと今回の奥山記者の文章を読んだ感想を、僭越ながら上げると以上のようになります。
その感想の根拠を、具体的にこの後、書いて行こうと思います‥(感想としては尽きていますが、つづきます)
→(つづき)『Journalism』6・7月号の朝日新聞、奥山記者の文章に対する、批判的感想 1(暫定版)
感想の根拠を示さず書いたところでどうしようもないと思い、政府・国会・民間・東電の事故調査報告書や、当時の会見、報道をちまちま調べていたのですが、それぞれが膨大で、次々と情報が増えて行く中、完璧な感想を書くのは不可能と感じ、「暫定版」として、不完全ながらここに<批判的>感想を書いていくことにします。
なので、個々に、もし当方の勘違いがあれば、指摘して下されば幸いです。(コメント欄も開けることにします)
(なにより、私より知見のある方が、より良いジャーナリズムの為にも、徹底的に奥山記者の文章を検証される事を望んでいます。)
ただ、根拠を後回しにすれば、『Journalism』6・7月号の朝日新聞、奥山記者の文章を読んだ感想は、正直に言えば「頭から最後まで酷い文章だなぁ」でした、そして(資料に当たる事の出来ない一般人はともかく)プロのジャーナリストの人達がこの文章を賞賛しているのを見て、正直腰が抜け、「まさに反動により日本のジャーナリズムは終わってしまっている」との感想を、残念ながら持ちました。
具体的に私の感想を列挙すれば次の通りです。
(1.~書き終わってる物は、それぞれ感想の具体的根拠が書かれた文章へとリンクで飛べます)
1.1号機の非常用復水器(イソコン=IC)について長々と書いてるが、事故発生当時の例えば2011年の3~4月の東電会見等で、非常用復水器(IC)について(作動の可否はともかく)話題になっていたか? そもそも11年3月11~12日で大騒ぎだったのは、1号タービン建屋での放射線の上昇と、格納容器の圧力上昇によるベントの話でしょ?
2.朝日新聞は、11年3月31日の時点で、バッテリー停止後(=給水停止後)の2~数時間でメルトダウンが開始し、バッテリー停止後(=給水停止後)の3~数時間で圧力容器下部の破損まで行く事を知っていたが、なぜそれに触れていない?
3.2号機の隔離時冷却系(RCIC)が「動いていたが停止」(6月号p.75)と報道し、事態を「過大評価報道」(7月号p.82)した、と大層に書いてあるが、11年3月11日の21:54に2号機の水位が2Lと確認され(政府11日23時30分発表)、東電も12日の午前4時発表で「隔離時冷却系の運転状態が確認」と発表されているから、隔離時冷却系(RCIC)の動作確認が、たかだか3月12日の朝刊に間に合わなかったって話だけじゃないの?
4.2号機の圧力容器の圧力(炉圧)が、11年3月14日に7.403MPa→0.63MPaに激減している理由は、「原子炉の逃がし安全弁」(SR弁)を開け「あえて圧力を下げようとしたもの」(7月号p.89)と断言しているが、果たしてそう言い切れるのか? 仮にそうだとしても、SR弁を開けた理由に触れず、後に格納容器圧力、サプレッションチェンバーの圧力が大気圧に近づいた事を問題視していないのはなぜ?
5.4号機の水素爆発の原因は「プールではない」と断言しているが、そう言い切れるのか? そして2号機の異音、及び4号機の水素爆発のあった11年3月15日に、構内の放射線量が急激に増大しているが、なぜこの理由やこの事に触れないのか?
6.この報道検証の文章で、「(11年3月)14日、原発から30キロ圏内には立ち入らないよう本社から指示された」(矢崎 朝日新聞 福島総局長(当時))の、朝日新聞本社による記者撤退指示について触れられていないのはなぜなのか?
7.政府・国会の事故調査報告書において、保安院や東電の「炉心溶融」(メルトダウン)→「燃料の損傷」についての説明の変遷が指摘され、「このような広報が、その後、事故状況について、保安院が事実を隠そうとしているのではないかとの疑念を与えた原因となった」(政府事故調p.276~)、「公表内容の信頼性を低下させ、無用な憶測を招く一因となった。」(国会事故調・最終報告書)、と公表姿勢が断罪されているが、この信頼を低下させた公表に沿った<発表報道>への反省が全く無いのはなぜか?
8.3号機の水素爆発の煙の色が「黒煙」か「白煙」かは、「人によって知覚の内容は異なっていた」(6月号p.79)と、個人的には噴出す主張がなされているが、普通に1号機の水素爆発(白)との比較で「黒」と判断して書いてるだけじゃないの? そんな事より、3号機の爆発の映像が一時使用出来なかった事について、なぜ朝日の記者が触れない?
9.ブローアウトパネルが2号機以外に開かず、1、3、4号機の建屋が水素爆発する原因になったが、その原因の解明をツィッター上でも盛んに行われたが、例えばこの重要な指摘に対する報道が無かったことに対する反省が無いのはなぜか?
10.(初動との断りはあるが)「読者に知らせるべきであるのは、やはり発表の内容なのではないか」(7月号p.94)と書かれていて驚愕 報道で必要なのは、様々な専門家を中心とした、多様な立場からの事象(発表)に対する分析では? まだ<発表報道>に対する反省が成されないのかと思ったが、それ以上にこの奥山記者の文章を評価するジャーナリストが沢山にいることに腰が抜け、今、不正確な煽りと、それに対する反動の内ゲバがジャーナリストの中で起こり、本来指摘すべき対象に対してジャーナリズムの目が向いていない目も当てられないような現象が起こっている
ざっと今回の奥山記者の文章を読んだ感想を、僭越ながら上げると以上のようになります。
その感想の根拠を、具体的にこの後、書いて行こうと思います‥(感想としては尽きていますが、つづきます)
→(つづき)『Journalism』6・7月号の朝日新聞、奥山記者の文章に対する、批判的感想 1(暫定版)