能面ヅラ美

30代、独身・未婚、一人暮らしで貧乏、友達少なく人見知りで内向的、飲み会苦手で1人好き、マイペースで人付き合い苦手なおひとりさま、能面顔のヅラ美です。

鳥に憧れる私をイタイと思っているのは、誰でもなく自分自身

日曜日、何もする気が起きなくてPCを見つめながらひたすらアイスを食べていた。心はスカスカ、脳は腐ってる。何も考えられないくせに、重くて暗い気持ちだけは自然と湧いてくる。

「仕事に行きたくない」と強く思う。私が怠け者気質のわりに仕事をサボるという事をしないのは、サボったところで気持ちが切り替わるわけではないからだ。その翌日はまた同じ気持ちになるのだから、休んだところでストレス発散にもならない。

ふと窓の外を見ると、物干し竿に鳥が止まっていた。スズメやハトや、ツバメやカラスなんてどこにでもいる。けれど、こうして自宅のベランダで鳥が羽を休めている光景を見たのは初めてかもしれない。

私は動物が好きだ。人よりも動物の方が好きと言っても過言ではない。竿に止まった鳥はなかなか飛び立つ様子が無く、右左にちょこちょこと移動していて可愛らしい。

私は鳥に詳しいわけではないが、この種類を知っている。ハクセキレイだ。時々道端に居るのを見かけるのだが全く警戒心が無く、人との距離がかなり近くなっても逃げようとしない。

一度、向かいからハクセキレイがぴょんぴょんと歩いて(?)きて、私と30cm程の距離ですれ違った時には「こんにちは」「あ、どーも」と挨拶を交わす姿を想像した。

ちなみに、ハクセキレイは野鳥なのだが小さな虫などを食べる鳥なので、人間に追い払われるという経験が無く警戒心が薄れているのだそう。


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自宅近くの水辺にはカモがいる。過去2度ほどカモの一家を見る事が出来た。よくニュースでカモ一家の引越しを警察官が交通整理をしながら見守る映像が流れるが、実際にカモの親子を間近で見たのは初めてだった。

小さな子ガモが親の後を必死に追う姿は、なんとも言えない可愛さがあり心が和む。何時間でも見ていたい。

その水辺には時々1匹のサギがやってくる。まれに水辺の周りの遊歩道の柵に止まっている事もある。体長50~60cm程だろうか。鳴くわけでもウロウロするわけでもなく、ただ止まってじっとしているだけ。

その姿はカモとは違い凛々しくカッコイイのだが、結構近い距離を通らなければいけない時は「急に羽を広げたらどうしよう」と少し怖くなる。が、飛んで行ってしまうと寂しい。

鳥はいいなと思う時がある。もし鳥になれるとしたらスズメがいいな、なんて考える事がある。30代半ばの暇な独身女が「スズメになりたい」なんて考えている姿は傍から見たら"イタイ"だろうね。

こういう事は本来10代が考える事なんだろうね。いい歳して中二病で恥ずかしいね。文字て表すと「w」って感じだね。現実逃避だね。はいはい、気が済むまでのそうしていれば?と思うよね。

うるさい。そんな事はどうでもいい。どーでもいいんだよ。思考が誰かに迷惑をかけているわけじゃない。中二だろうが高二だろうか何だっていい。思考は自由。そんな風に「イタイな、コイツ」と思っているのは、誰でもない私だ。うるさいんだよ私!

「仕事に行きたくない」「辞めたい」と愚痴をこぼしつつ、それでも毎日出勤しているのは、結局のところ自分でその道を選んでいるという事。なぜその道を選んでいるのかと言えば、他の道を歩む勇気も気力も無いからだ。

辞めなければ、決して多くはないがとりあえず家賃と車の税金を払えるだけの収入がある。「自分は社会人として毎日フルタイムで働いている」と、実体の無い世間に対する安堵感と体裁を保てる。職を転々とするのは駄目な人間がする事だという思い込みもある。

今住んでいる場所は地元に帰省するには交通の便がいいし、家賃も安い。だからここから動けない。動けないから通勤範囲も限られる。だからやはり今の仕事は辞められない。

おい私、聞いてる?自分で選んでいるんだよ、この道を。変化しないというのは楽なんだよ。楽な道を自ら選んでいるくせに、不満ばかりでうるさいんだよ。

大切にしたいのは、大嫌いな環境で8時間を我慢して得る収入と体裁なのか?それとも地元にいる親を支える事なのか?それとも鳥を見て微笑んでいる時の自分らしさなのか?

二兎を追うものは一兎をも得ない。全てをまんべんなく上手く得たいと思うと、大事なものを必ず逃す。自分にとって一番大切なものを見極めないと、私はこの先も一生愚痴ばかり言っている未婚オバサンになると思う。


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