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03 Jun 2014 12:47

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AKB48を頂点に押し上げた日本の凋落

nippon.com 5月28日(水)15時48分配信

ちょうど2年前、日本の民主党政権の末期のことである。そのころ、とある出版社の編集者をしていた私は、公立大学の学長である著名な政治学者と、人気評論家の社会学者と3人で新しい書籍の企画会議をしていた。テーマは「日本政治の崩壊」。その席上、終わったばかりの女性音楽グループAKB48の「総選挙」(新しい曲を発表するたびにステージでの立ち位置を選挙で決める、このときは2012年6月6日実施)が話題となった。議論は本筋からどんどんずれて行ってなんと「AKB48は日本政治より立派である」という結論に達したのである。さらに書籍の仮タイトルまで『AKB48の政治論』に決まってしまった。この年の年末に本物の総選挙が行われ、政権交代が起き安倍政権が発足したことで、日本政治のパフォーマンスは一転して好転。結局この企画もお蔵入りになってしまった。

暴漢事件で神格化された“スター”の仲間入り

そのAKB48が5月25日、岩手県内で行っていた握手会でのこぎりを持った暴漢に襲われ、メンバー2人、スタッフ1人がけがを負った。

被害にあった方々には気の毒だが、実はメディアに露出している著名人や芸能人が、見ず知らずの人間に狙われて暴行の対象になることは珍しいことではない。ジョン・レノンの殺害はそのもっとも有名な例であろう。日本でも舞台公演中に客席から塩酸をかけられた美空ひばり、コンサート中に観客に鉄パイプで殴られた松田聖子の例をはじめ、小さなトラブルに至っては枚挙にいとまがない。

暴漢の心象風景の中でこれらの「スター」達の存在がどのように肥大化していたかは犯罪心理学の領域なのでコメントのしようもないが、私が興味を引かれるのは、むしろAKB48がこれらきら星のごとき、いまだに神格化されている被害者たちと同格の存在に、ついに成り上がっていたという事実である。というのも、そもそもAKB48はファンにとって身近な存在であることを「売り」にしていたからである。

「成長する姿」がコンセプト

AKB48は、2005年の結成以来、秋葉原というポップカルチャーの街にある専用劇場を拠点にし、普通の女子高生をオーディションで選び、握手会をはじめとしたファンとの直接交流を売り物にした「会いに行けるアイドル」として売り出してきた。総メンバーは今や100人を超え、序列のあるいくつかのグループに分かれている。神格化とは正反対の手法である。そして2008年ごろから、CDの売り上げが爆発的に伸びだした。

評論家の多くは、流行や社会の風潮を先取りした楽曲をその人気の原因として挙げるが、私は違う見方をしている。AKB48は社会構造のカリカルチュアといえる組織をもっている。オーディションでの選抜後も階層構造の組織を自力ではい上がっていかなければならない。新しい楽曲が決まるごとに「総選挙」によってすべての序列が変わるのである。「成長する姿を見せる」がコンセプトにあるというが、そのもくろみが成功しているのだろう。

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最終更新:5月28日(水)15時59分

nippon.com