2014-06-03
信義と気分とセックスについて
・あらすじ
http://anond.hatelabo.jp/20130311155911
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simplemind 感情優先という信頼
セックスに必要なのは「約束を守る」(信義)ではなく「その時の気分を大切に」(信頼)。しない約束でも双方やりたいならやればいいし、する約束でも片方の気が変わったら忘れるべき(する約束を盾に迫ったらデートレイプ) 2014/06/02
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simplemind
決定権はどちらにも無い。交渉権は双方にある。約束(信義)より都度交渉権(その時の気分)が優先。片方の気分で片方の気分を侵害してはいけない。お互いに相手の気分を尊重するという暗黙の了解が信頼。てことかなと 2014/06/02
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この文
・あらすじ終わり
「信義」に違反するから通報されるわけですよね。
増田の彼氏が「通報される」とすれば、「信義」に違反したから(契約違反や債務不履行)というより、
その日その時の増田の「気分」を侵害してセックスしようとしたから(強姦未遂)ではないでしょうか?
「セックスする約束」をしてようが「セックスしない約束」をしてようが、
その日その時その瞬間の相手の「気分」を侵害して無理やりセックスしようとしたら強姦未遂になるわけです。
ですから本質的・第一義的な問題は「信義に違反したこと」にあるのではなく「片方の気分を侵害したこと」にあるのではないかと。
「片方の気分を侵害」するからといって「片方の権利を侵害」してはいけない筈ですが、
「性交する権利」よりは「性交しない権利」が優先されるべきでは無いでしょうか?またそのような「約束」が存在すると思うのですが。
安保理に「拒否権」があるように「性交拒否権」を双方に認めるならそれは事実上「拒否に関しては決定権がどちらにもある」ということでは?
そうですね。
私は「片方の気分で片方の気分を侵害してはいけない」と書きましたが、
「増田の彼氏がセックスしたい気分だからといって、増田のセックスしたくない気分を侵害してはいけない」という意味にもなります。
要するに「今あなたとセックスしたくない」という「気分」は絶対的に優先されるべき、ということではないでしょうか?
例えばAVの撮影で、気分が乗らないからと出演者が「性交拒否権」を発動したら契約違反で「制裁」を受けますが、
一方で制作者側も契約を盾に無理やりセックスさせたら「性交拒否権」を無視した強姦罪で「制裁」を受けるわけです。
「信頼」という言葉はこの「制裁」を逃れるために事態を有耶無耶にする道具として使われているという疑いがあります。
私はそういうふうには使ってないつもりですが。
お互いに「この人は私の『気分』を尊重してくれる人だ」と「信頼」するということは、
増田目線で言えば「この人は私の気持ちを無視して無理やりセックスしようとしたりしない」と旅行前に信じることと同義ですから。
というか「明確に拒否」しているのに「暗黙の了解」を参照するというのは後退ではありませんか?
「拒否」に対して求められる応答は「(気分の)尊重」ではなく「(約束の)順守」です
「明確に拒否」されたなら、まずはその「拒否」の理由であるセックスしたくないという「気分」を尊重しなければならない、ということでは?
「明確に賛成」されたら約束などさっさと忘れてよいのだし、「曖昧に拒否」されたらもう少しコミュニケーションしてもいいし。
私が言いたいのは、こういう場合には「約束の順守」に大して意味がないんじゃないか?ということです。
「おいしいご飯食べて気持ち良くお風呂につかって最高の気分」(増田)になって、
一緒に旅行した間に気が変わって「やっぱりセックスしてもいいよ」と思ってるかもしれないじゃないですか?w 可能性はゼロではないw
だから「提案」はしてもいいと思うわけです。「確かに約束した。でも俺はやっぱりセックスしたいんだけど?」って。
問題は、彼氏的には「平和条約を破棄して戦争しませんか?」という「提案」のつもりだったのかもしれないが、
増田からすればそれ自体が「侵略行為」「主権の侵害」としか思えなかった、という話だと思います。
↓以前書いたもの