東京レター
東京で暮らす外国人たちが、手紙スタイルでつづる「東京生活」
【社会】いつか来た道 危惧 砂川事件17日に再審請求
在日米軍の合憲性が争われた砂川事件で有罪となった元被告三人と遺族一人が十七日、判決確定から五十年ぶりに裁判のやり直しを求める再審請求を行う。その一人、椎野徳蔵さん(82)=神奈川県茅ケ崎市=は戦時中、空襲により目の前で祖父らを殺された。砂川事件の最高裁判決を曲解して集団的自衛権を論じた安倍政権に憤りと危機感を抱き、静かに語る。「国が過ちを繰り返さないように、知らせるべきことを知らせたい」 (阿部博行) 「あそこに基地の柵があった…。懐かしいですね」。先月二十一日、米軍立川基地があった東京都立川市砂川町を事件以降初めて訪れた。 一九五七年七月。基地の滑走路拡張計画に反対する農家を、労働組合と学生団体が支援していた。椎野さんは国鉄労働組合(国労)新橋支部の青年部長を務め「農地を奪う米軍は許せない」と駆けつけたが、既に有刺鉄線を張り渡した基地の柵は倒され、労働者と学生が基地内になだれ込んでいた。 およそ二カ月後、二十三人が逮捕され、現場で撮影された映像などを基に椎野さんら七人が、日米安保条約に基づく刑事特別法違反の罪で法廷に立たされた。 東京地裁の伊達秋雄裁判長は五九年三月、「駐留米軍は憲法九条に違反」として全員を無罪とした。しかし、高裁を飛び越す「跳躍上告」が行われ、最高裁大法廷はわずか九カ月後、米軍駐留は合憲として一審判決を破棄。差し戻し審で七人は罰金二千円の逆転有罪判決を受け、六三年に確定した。 ところが二〇〇八年以降に機密指定が解除された米公文書で、新事実が明らかになった。日米安保改定を翌年に控え、米側が日本政府に早期決着を働きかけ、当時の田中耕太郎最高裁長官が駐日米大使らと非公式に会談。一審判決を破棄する見通しを伝えていた。 再審請求は、学生のリーダーだった土屋源太郎さん(79)=静岡市=が呼びかけ、九州大名誉教授の武藤軍一郎さん(79)=福岡県、昨年他界した元川崎市議の坂田茂さんの長女和子さんも参加する。「憲法三七条で保障された公平な裁判を受ける権利が田中長官によって侵害されたのだから、最高裁判決は取り消されるべきだ」と訴え、有罪の確定判決を帳消しにする「免訴」を請求する。 椎野さんは体調が万全でないが「命のある限り、思うことをやろう」と再審請求への参加を決意した。安倍政権が、この最高裁判決の一部分を根拠に持ち出し、なりふり構わず集団的自衛権の行使容認に突き進もうとしていることに危機感を募らせたからだ。 終戦直前の四五年八月五日、椎野さんは米軍機による空襲の機銃掃射で、自宅が蜂の巣のように穴だらけとなり、目の前で祖父と叔父を失った。徴兵された別の叔父と親戚の男性の二人は、マニラ湾などの戦闘で帰らぬ人となった。 「日本は戦争で国民を痛めつけ、海外の人たちを殺し苦しめた。『痛恨の責任』が、安倍首相からは感じられない。国民が真実を知り、しっかりしなければ」 <砂川事件> 1957年7月8日、米軍立川基地の滑走路拡張に伴い、基地内に接収していた農地を、強制的に使用するための測量に、農家と支援の労働組合員、大学生らが抗議。基地の柵を押し倒し、大勢がなだれ込む形で、数メートル先に置かれた有刺鉄線のバリケードまで立ち入った。後に23人が逮捕され、7人が日米安保条約に基づく刑事特別法違反罪で起訴された。 PR情報
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