2014
人口の3分の1が肥満といわれる米国では、フィットネス関連ビジネスが花盛りだ。個々の顧客に合わせて運動や食事のメニューを考案し、指導するパーソナルトレーナーの数もここ10年、増加傾向にある。
パーソナルトレーナーの中には、ハリウッドスターなどのセレブを顧客に抱え、時給300ドル(約3万円)以上を稼いだ上、さらにフィットネスに関連した製品や著書の販売で莫大な収入をあげている成功者もいるが、全体から見れば一握りにすぎない。
ほとんどはフィットネスジムに雇われて働いている従業員であり、2012年の統計によれば、平均年収3万1720ドル(約317万円)、時給15.25ドル(約1500円)に留まっている。雇用環境に対する不満や将来の不安を抱えている人も多いが、独立して自分のジムをもつには多額の資金が必要となる。
そこでeコマースに目を向けるパーソナルトレーナーが増えてきた。ジムに通う時間や金銭的余裕、あるいは勇気のない顧客をターゲットにしたフィットネス講座がインターネット上に続々と誕生し、競争が激化している。
その中にあって、2008年11月に無名の青年がフィットネスを題材にしたブログとして立ち上げ、やがてフィットネスのオンライン講座を販売しはじめた「Nerd Fitness」は、短期間で年間収益50万ドル(約5000万円)に到達した成功事例に入る。
創設者がGoogle本社に招待されて講演を行ったほど、Google社からもそのユニークさで注目されている。
以下では、Nerd Fitnessが競合との差別化に成功し、独自のニッチを確保した要因を追跡してみよう。
Nerd Fitnessの創設者Steve Kamb(以下カム)氏は熱狂的ビデオゲームファン。ゲームとの付き合いは両親から任天堂の家庭用ゲーム機をプレゼントされた1989年のクリスマスの朝にはじまる。少年時代にとりわけ夢中になったのは、『ゼルダの伝説』だった。
大学を卒業し、社会人になってからはオンラインゲームに中毒と言えるほどハマったが、長時間プレイし過ぎたせいで、ある日パソコンのマザーボードが焼けてしまう。すぐに交換して、ゲームに復帰したかったが、そのときの彼はあいにく金欠だった。
茫然自失したカム氏だったが、2次元世界との接続が切れたことは、自分の実生活を見直す機会になる。
「これまでビデオゲームのキャラクターのレベルを上げることに努力を集中してきたが、その間、自分自身のレベルを上げる努力を怠ってきた......」
カム氏はゲームプレイヤーを引退し、ゲームのキャラクターではなく、自分自身の人生の経験値をアップすることを決意する。
それと同時期に、彼の認識を変える出来事がもう1つ起きた。引越しをして新しく通いはじめたジムでパーソナルトレーナーから指導を受けたのだ。
ハリウッド映画からも分かるように、米国社会では、強くたくましいことが男性の理想とされている。米国の高校や大学で数多くの友人に囲まれ、女の子にモテまくり、充実した青春を送れるのは、体育会系男子というのが相場だ。
高校時代、カム氏はバスケットボールチームに入ることを希望したが、選考で落とされた。以来、ヒョロリとした体形に劣等感をもち、16歳からの6年間、筋肉をつけようと、トレーニング関係の雑誌を読み漁り、ジムに通ってトレーニングに熱中した。こうして肉体を鍛えることは彼の生活の一部になったが、6年間でほとんど筋肉量も体重も増加しなかった。
ところが新しく通いはじめたジムのパーソナルトレイナーから、「必要な栄養素とカロリーを摂取していないから筋肉がつかないんだよ」と指摘され、提案された食事のメニューに従ってみたところ、たった5週間で彼の肉体には、以下の写真の左から右へと、目に見える変化が現れたのだ。
筋肉がつかないのは遺伝のせいだと半ばあきらめていたカム氏にとって、この体験は衝撃だった。今までの6年間の苦労は何だったのか?
以来、彼は食事法やモチベーションを維持するための心理学などを含め、フィットネスに関する科学的知識の吸収に努めるようになる。
自分自身を向上しようと努力をはじめたカム氏は、読書にも時間をかけるようになった。この頃読んだ本にティム・フェリス氏のベストセラー『The 4-Hour Workweek』(『「週4時間」だけ働く』)がある。
著者の「先送り人生プランを捨て、『今』をふんだんに生きる」「どんなに小さいことでもいいから、いますぐ最初の一歩を踏み出せ」といった主張に啓発され、起業しようと計画を立てる。
進むべきニッチは迷わずフィットネスの分野に決めた。自身が6年間、筋肉をつけようと間違った努力をして回り道をしたことから、世の中には、フィットネスに関して、自分以上に適切な指導を必要としている人たちがいるはずだと考えたからだ。
慧眼な読者の皆さんはもうお気づきだろうが、Nerd Fitnessのユニークさは、そのサイト名にあるように、ターゲットを「nerd(ナード)」に絞っていることにある。この「nerd」という英語には、「ゲームやコンピューター、SF、テクノロジーなど、特定の趣味や分野に没頭している人」という、日本語の「オタク」と共通する意味がある。
しかし「外見が変」「モテない」「社会性がない」といったニュアンスが強く、「オタク」の上を行く侮蔑語だ。アメリカンフットボールチームのレギュラー選手やチアリーダーがピラミッド構造のトップに君臨する学校生活において、「ナード」はその対極、すなわち「最底辺層」扱いされている。
しかしカム氏はからかいや嘲笑の対象にされがちなナードこそ、自己評価を高め、よりヘルシーで、より生産的なライフスタイルを獲得するためにフィットネスの恩恵を受けるべきだと考え、敢えて「ナード」という言葉をサイト名に入れることに決めた。
これは彼自身が、学生時代、スポーツチームで活躍できる素材と認めてもらえず、体育会系から馬鹿にされるナードの屈辱感を多少なりとも共有してきたからこその発想だろう。また、ゲームやフィットネスにいったんハマると、やたらにのめり込む性格であることからも、彼には自分はナードだという意識があった。
フェリス氏の本を読んだ2日後、彼は早くも起業のために「nerdfitness」のドメインを取得した。
しかしその後の1年間は、ドメインはそのまま放置し、勤めをつづけながら、余暇にフィットネスやビジネスについての学習に努め、American Aerobic Association International(AAAI)のパーソナルトレイナーの資格を取得する。資格はなくてもパーソナルトレイナーを名乗ることは可能だったが、資格を取ることでより自信がもてると思ったのだ。
そして2008年11月、Nerd Fitnessは「ナードのためのフィットネス」をテーマにしたブログとしてスタートする。
ブログを開始してしばらくは週5回のペースで、フィットネスをテーマに新しい記事を投稿することをつづけた。
しかし最初の9カ月間で獲得できた定期購読者はわずか90人。昼間の仕事をつづけながら、週日の毎日必死でネタを考え、記事を書いた割りに、読者の心には響かなかったようだ。
コンテンツを見直してみると、それまでの記事で、読者から評判が良かったのは、『ゼルダの伝説』や『スターウォーズ』などゲームや映画に関する薀蓄を披露し、それに関連づけてフィットネスの重要性や方法を説いた長めの記事だった。
そうした記事を読んだ読者の1人から「偶然ここにたどり着いたけれど、君の記事を読んだおかげで20キロ減量する決意ができた。この1週間で1キロ減ったよ。ありがとう」というメールが届き、サイトの方向性自体は間違っていないと確信した。
一方、他のフィットネスブログにもある一般的な情報だけを提供したり、短い記事に対しては、ほとんど反応がなかった。
それまでは週5回更新することを最優先し、ノルマを果たすために短い記事や動画をリンクするだけの記事も投稿してきたが、更新回数を週2回に減らし、代わりに、ナード要素をたっぷり注入して、長めの記事を書くようにした。
「subscribe to my blog(このブログを定期購読する)」という表現も、「Join the Rebellion(反乱軍に参加する)」に変更した。
これは学校生活において、青春を謳歌する体育会系男子やチアリーダーたちより低い階級に甘んじてきたナードたちに、シェイプアップして世間の低い評価をひっくり返せという呼びかけである。ブログを定期購読すると、反乱軍に加入したことになる。
ちなみにこのロゴはスターウォーズの反乱軍のマーク(以下)を意識して作成した。
さらに、サイトに「The Nerd Fitness Rebellion(Nerd Fitness反乱軍)」というコミュニティページを追加し、ブログの読者同士が交流できるようにした。
こうした変更の結果、2010年の6月には、読者数は2000人に達した。
そこで初めてカム氏はモノを売りはじめることに決める。同時にサイトの運営に専念するために昼間の仕事を思い切って辞め、2010年6月15日のブログで、読者にその報告をし、協力を求めた。
その1カ月後に、フィットネスのオンライン講座の販売を開始すると、予想していた4倍の人が購入してくれた。
現在、このオンライン講座は、男性用と女性用のどちらも入門クラスは59ドル(約6000円)、上級クラスは99ドル(約1万円)で販売されている。
入門クラスは、100を超えるエキササイズのデモと15のワークアウトのルーチンから構成されている。
エキササイズはどれも、ジムに通ったり、高価なトレーニング用の器具を購入せずに、いつでもどこでも自分のペースではじめられることが特徴だ。
上級クラスには、入門クラスの内容に加えて、6週間で理想の体形に近づくための特別なワークアウトメニュー、専用掲示板に参加する権利や食事のレシピや食料を購入するときのカロリーと栄養の早見表などが含まれる。
しかしカム氏自身も認めているが、エキササイズや食事のメニュー自体には、他のフィットネス講座に比べて、際立ってユニークな点はないようだ。
「体重を減らしたい」「脂肪を減らしたい」「筋肉を増加したい」「健康や体力を増進したい」といった希望を適えるために、科学的な研究成果にもとづいて考案された家庭でもできる運動や食事と言ったら、それほどバリエーションの余地はないのかもしれない。
しかしNerd Fitnessでは、ビデオゲームを意識して、細かく目標を設定し、トレーニングと食事のメニューに従うことにより達成感を得られるようにしている点と、ナードという自意識からの連帯感でつながった顧客同士がお互いに励まし合って、段階的にレベルを高めていけるようにしている点が特徴的だ。
この講座を受講して、見事ミッションを達成できた反乱軍の勇者たちの姿をご覧あれ。
サイトで公開されている、ナードたちのこうした変身の様子も、同サイトの売上をアップする力になっていることは間違いない。現在(2014年5月25日)、カム氏が率いる反乱軍に加入している兵士の数は、19万7982人を数える。
「Thrillist」を取り上げた記事の最後で「商品が先か? コンテンツが先か?」という問題を提示したが、Nerd Fitnessはまさにコンテンツを優先し、顧客と仲良くなってから、商品を売り出した事例である。
同サイトが成功した決め手は、フィットネス業界で見過ごされがちな「ナード」をターゲットに選び、さらに、そのターゲットの心に響かせるには、どういうトーンを使ったらよいのか工夫を重ね、独自の語り口を発見したことにある。
Nerd Fitnessのブログでは、週5回の更新から2回に減らして読者が増えたというが、僕のこのブログの場合は逆だった。スタートした当初は週に3~4回の更新だったが、読者数が伸びたのは週5回の更新に切り替えた後である。
つまり一口にブログと言っても、ターゲットとする読者層の性格によって、最適な文体も、更新回数も、記事の長さも違ってくるのだ。
同じジャンルで、ブログランキングの上位にある人気ブログの形式をそっくりコピーしても、同じ成果は得られない。あなたのターゲット層に最適な語り口を、読者とのコミュニケーションを通じて自分で見つけていく地道な努力が大切だ。
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