関西あたりに旅行しようと思いつつ、まだ全く計画を立てられていない。
日程は?いくらかかるだろう?一人で大丈夫かなあ?(昨日、近所で道に迷った)
もし新幹線で行くとしたら、くるりの「ワールズエンド・スーパーノヴァ」を聴こう。
そういえば新幹線にはもう2年乗っていない。
むかし、『ジョゼと虎と魚たち』という映画を観た。
ええっと、2003年12月13日に。
どうしてこの映画を観たいと思ったのか、今では思い出せないけれど、楽しみなあまり初日舞台挨拶にまで行った。渋谷のシネクイント。
その日は、主演の妻夫木聡さんのお誕生日で、サプライズのバースデーケーキが出てきたので、こうして日付まで覚えている。
性描写も多い映画なので、きっとあの時の私には刺激が強かったと思う。それも含めて印象に残っている映画だ。
主題歌はくるりの『ハイウェイ』。その映画がきっかけで、くるりを知った。
映画の帰り道、一緒に行った男の子から、サントラCDをもらった。
CDは実家にあるけれど、曲は今もiPodに入っている。
(10年も前の映画で、原作にいたっては30年前のものだけれども、以下ネタバレあり。)
足が不自由なため、ほとんど外出したことがないジョゼと、大学生の恒夫。
(“ジョゼ”というのは、サガンの小説の登場人物で、ジョゼの本当の名前はクミコ)
ひょんなことから出会い、惹かれ合っていく二人の、恋の始まりから終わりまで。
恒夫に連れられて外出が増え、空の青さや草花の鮮やかさ、きっと空気の味にすら、キラキラと感動する様子は愛くるしい。
2人がしばらく会わないあいだ、ジョゼと二人で暮らしていた祖母が亡くなり、心配してやってきた恒夫に、ジョゼは強がってみせる。「近所の気色悪いおっさんにお乳触らせて、ゴミ出し手伝ってもらってんねん。」と平然と話すジョゼをたしなめる恒夫に、「福祉の人が来るのは昼や。朝の回収には間に合わへんがな」何も分かっていない、何も出来ない奴は「帰れ」と。
帰ろうとする恒夫に、「『帰れ』って言われて帰る奴は、はよ帰れ」と、涙を流すシーンはぐっとくる。
「この映画は、恋愛そのもの」と主演の妻夫木聡さんが評すとおり、終盤の、次第に冷めていく恒夫と、それを察するジョゼの表情や言動には胸を締め付けられるものがある。
当時の私は、まだまともに“恋愛”をしたことがなくて(それまでの恋は、プラスチックのビーズで出来たネックレスのようなもの。それでも十分、綺麗だと思うけれど)、誰かを想って懐かしくなるというよりは、あの映画を観て、ひとつ大きな恋愛を終えた気分になった。
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20代の半ば、好きな男の子とデートの途中、新宿の紀伊国屋書店に行った。
なんだか手持無沙汰で、「ああ、そうだ、読みたい本があるんです」と探したのが、サガンの『一年ののち』だった。
"いつかあなたはあの男を愛さなくなるだろう"とベルナールは静かに言った、"そして、いつかぼくもまたあなたを愛さなくなるだろう"
「われわれはまたもや孤独になる、それでも同じことなのだ。そこに、また流れ去った一年の月日があるだけなのだ……」
"ええ、わかってるわ"とジョゼが言った。
新宿の紀伊国屋書店に『一年ののち』は無かった。彼はしばらく、「サガンの本ありましたか?」と気にしてくれた。その彼と、『ジョゼと虎と魚たち』のような恋愛をした。
映画の終わり、恒夫と別れたジョゼは、電動車椅子を使うようになり、より逞しくなったように描写されていた。恒夫の見せてくれた光の世界から、再び深い深い海の底に戻ることについて「それもまた良しや」と言ったけれど、あの後、ジョゼはどうなったのだろう?と、ふと思った。