価値のない話

思考の隔離部屋。「主食はサブカル・オカズは文学・オカルトはデザート」

人権って何だろうという話

 夏ですね。あちぃです。個人的にもふもふしているほうが好きなので夏は好きだけど苦手です。

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 で、人権の話。ハーネス問題を見ていて、「ハーネスダメ派」の理由が「人権侵害」というところで「そもそも人権ってなんじゃい」と思ったわけです。法学とか哲学とかそういうアカデミックな視点ではなく、軽く「人権とは?」について書いてみます。

 

 まず、「人類は自由に生きる権利がある」というところが大切です。でも皆が皆好き勝手に生きてはうまく社会が成立しません。そこである程度自由を縛るものが必要になります。それが法律だったり、経済だったりします。いくら自由にしていいとは言っても、人を傷つけたいから暴力をふるうとか、贅沢をしたいからモノを盗んだり値段を不当に吊り上げたりしてはいけないのです。それは「他人の自由を侵害する」行為であると見なされているわけです。

 

 他人の自由を侵害する行為はたくさんあります。「お前はこれしかしてはいけない」と命令したり、容姿を不当にけなしたり、賃金に釣り合わない仕事をさせたり、広義の上では「他人の自由に対してケチをつけている」と言っても過言ではありません。でも、それは大人の世界だから言えることで子供の世界ではどうでしょう。

 

 個人的に子供には子供の権利があると思いますが、それは大人の権利とはまた別の物だと思います。子供には責任能力がありません。つまり後先を考えずに行動をしてしまうおそれがあるので、自由を制限しようという考えがあります。日本では義務教育中は婚姻ができません。選挙権もなければ運転免許もとれません。これも「自由を制限する」という意味で人権侵害にあたるかというと、そうでもありません。適切な制限として世の中で認められています。物理的に拘束されていなくても、どこかへ行くときは必ず保護者同伴だったり学校行事であったとしても保護者の同意が必要だったりします。小学校で「子供だけで学区外に出ることは禁止」という決まりがあった人も多いのではないでしょうか。これも立派な制限です。

 

 子供にハーネス問題に戻ってくると、ハーネスもそういった「制限された自由」のひとつのような気がします。本当に就学前の子供はどこに行くかわかりません。興味のあるものを見つけると後先を考えずに飛び出していきます。その結果交通事故にあったり、迷子になって犯罪に巻き込まれたりなど多大なリスクが考えられます。後先が考えられるようになればハーネスなどいらないのです。必要だからハーネスを付けているのです。エライ人にはそれがわからんのです。

 

 物理的に拘束しているから人権侵害、とは簡単に言えますが精神的に拘束されている人はどうなるでしょう。「あなたは親の介護のために生まれてきたのよ」とか「家のためにお婿をもらわないと結婚してはいけない」とか「誰が育ててやったと思っているんだ、親のために尽くすのが子の礼儀だろ」などなど、毎日自由に生きることを制限されている成人もたくさんいます。自分で考える力がある人を拘束するのは人権侵害にあたると思われますが、世の中まだそれに気が付いていない人が多いです。

 

 犬に首輪をつけるのは、犬に責任能力がないからです。同様に子供も責任能力ができるまでは何らかの手段を講じないといけないのです。個人的に「やたらと権利や自由を歌う奴は他人の自由を尊重しない」という経験則を持っているので、まずは「他人の自由を侵害しない子供を育てる」くらいのことはしてほしいですね。学校の通信簿に「にぎやかで楽しいです」と書かれていたけど実は「落ち着きがなくうるさいです」という意味だった、みたいな感じで幼児期に「子供の自由を尊重します」という台詞は「面倒くさいので躾放棄しています」くらいにならないかな。もちろん義務教育終了くらいである程度自由にさせるのは大事なことですけどね。

 

 

 そうそう、このブログが10万PV越えました。大体某ワードでバズっただけなんですけど、継続更新始めてからやっぱり見てくださるようになったので、「とりあえず続ける」スタンスで行こうと思います。でもやっぱりぐだぐだと書いていくので無理して閲覧しなくてもいいです。