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grave of zombie

2014-05-28

AKB48はレイプファンタジーではないかという疑問に対する宇野常寛の応答

まあ馬鹿騒ぎに乗じてこんな真似をするのも下品だけど、多くの人が未だに根に持っているらしいし、おもしろいので燃料を投下しておこう。


以下、日本文化の論点p.144-p.145で、峯岸坊主事件を引いてAKB48のレイプファンタジー性に対して、宇野が応答した箇所。

僕自身も、かつて一部のキャラクター文化論の、この現実を隠蔽しようとする傾向を批判したことがあります。「僕たち/私たち商品化される女性/男性の存在に自覚的で、そのうえで罪の意識とともにその商品を消費している」といった類の言説が、何か建設的なものを生むとは考えられないのです。これは単にそう主張している人間が、周囲に対して自己正当化をアピールする効果しかない。彼/彼女はその商品を決して手放すことはなく、むしろ「自分は罪の意識をもっている」と周囲にアピールすることでその免罪符を得ることになるからです。したがって、僕はアイドルについての性の商品化と切り離して考えることはできないかと考えます。そしてそのうえで、商品化される商品の性の中に、資本主義ダイナミズムを逆手に取ってそのあり方を拡大し、解放していく可能性を考えるべきだと考えます。個人的なことになるますが、僕がAKB48に批評的な関心を抱いたのはその可能性を感じたからにほかなりません。ポップカルチャーにおける性の商品化については、「自分はその性暴力に自覚的である」という自意識をいくら訴えても、そうした行為はむしろ自己反省のポーズを取ることで批判を回避する防衛としか機能しない。それよりも、むしろ多様な消費のかたちを肯定し、推進することで、多様なセクシャリティの表現を獲得する戦略を僕は考えたい。

「僕自身も、かつて一部のキャラクター文化論の、この現実を隠蔽しようとする傾向を批判したことがあります」というのは、明らかにレイプファンタジーのことを指しているわけだが、それに対して泣きゲー的なレイプファンタジーとAKB48との相違を次のように説明している。

「僕はアイドルについての性の商品化と切り離して考えることはできないかと考えます。そしてそのうえで、商品化される商品の性の中に、資本主義ダイナミズムを逆手に取ってそのあり方を拡大し、解放していく可能性を考えるべきだと考えます。(中略)ポップカルチャーにおける性の商品化については、「自分はその性暴力に自覚的である」という自意識をいくら訴えても、そうした行為はむしろ自己反省のポーズを取ることで批判を回避する防衛としか機能しない。それよりも、むしろ多様な消費のかたちを肯定し、推進することで、多様なセクシャリティの表現を獲得する戦略を僕は考えたい」

いや、そりゃAKBが老若男女からLGBTまで多様な層からウケているのはたしかなんだろうけど、でもアイドルである以上、男の子の性的な願望と眼差しから自由になれるわけないじゃん。というか、AKBから性的な欲望を自由にさせる“資本主義ダイナミズム”と“多様な消費のかたち”って、具体的にはどういうことなんだろう?最近のアイドルグループって、あまりバラエティでヨゴレ仕事をやらない感じだし、逆にそれによってある種の「少女性」が強化されちゃっている気もするんだよね。あのとんねるずでさえ指原に気を使っている感じだし。秋元康とんねるずという苦楽を共にしてきた戦友ですら、AKBを自由に弄れないというか、そういうのから守らているっぽいんだよね。

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