今回は、「私たちの働き方」をテーマに、あれこれ考えてみたい。
毎日のように報道されているので、みなさんご存じだとは思いますが、「働き方」が変わろうとしている。いや、正確には「働かせ方」が変わると言った方がいいかもしれない。
そう。例の「残業代ゼロ法案」である。
改めて言うまでもなく、問題にされているのは、労働時間規制緩和の対象が一般社員におよぶ可能性が高いこと。民間議員は、「幹部候補」などを対象とするとしており、この案が採用されれば、課長代理などにも適用される。
先月、産業競争力会議が提案した内容への私の意見は、既にこのコラムで書いた。なので、詳しいことはお読みいただきたいのだが(「成果未達は自己責任?」柔軟な働き方をけしかける安倍政権の罪)、以下に、大ざっぱに私が問題だと考える要点をまとめておこう。
1つ目は、「職務内容・達成度・報酬などを明確にした労使双方の契約」としながら、それが達成できなかったときのペナルティーは、「働く人」にしか課せられないこと。ペイ・フォー・パフォーマンスというのであれば、そのパフォーマンスに見合ったペイを算出する能力も欠かせないはずなのに、その議論はほとんど行われていない。
2つ目は、欧米と単純比較するのは危険だということ。二言目には「欧米では……」という話が出るが、欧米では、労働時間規制の適用除外のための具体的ルールが、かなり細かく決められている。しかしながら、今回の改革でそこまで深い議論が行われるのかは、多いに疑問(参考:諸外国のホワイトカラー労働者に係る労働時間規制の適用除外)。
3つ目は、この法案には、「会社」が完全に抜け落ちていること。会社(=company)は、「ともに(com)パン(pains)を食べる仲間」。単に、性能のいい機械の部品を集めるだけで、生産性は向上しない。「そんなの過去の日本企業の幻影だ」とか、「お花畑的発想だ!」との批判もあるが、長期的な視点で会社の生産性というものを考えた時、「個」の成果だけに着目することには、個人的に反対なのだ。
新しい働き方の模索はするべきだが……
というわけで、今回の産業競争力会議が提案した内容には不満だらけなのだが、何も頭ごなしに“新しい働き方”に反対しているわけじゃない。
労働の成果と時間は、必ずしも比例するものではないので、成果で評価される制度があってもいいと、正直思っている。
例えば、メチャクチャ集中して17時までに仕事を終わらせた人より、ダラダラ夜遅くまでやった人の賃金の方が高くなるのは、あまりに不条理。「家に帰ってもやることないんで……」とか、「いやぁ〜、夜になって会社に人がいなくならないと、集中できないですよね」などと言って残業をする人たちに、残業代を払っていては会社だってもたない。
「残業すると夜食代が出るんで、給料日近くなると残業するんですよ」 なんてことを平気で言われて、驚いたこともあった。
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