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広島、長崎への原爆投下からまもなく69年。被害者と国との争いを一刻も早…
広島、長崎への原爆投下からまもなく69年。被害者と国との争いを一刻も早く終わらせたい。動くべきは国である。
国の被爆者健康手帳を持つ人が今年、20万人を割り込む見通しだ。最近は年8千人超のペースで減り、ピークだった80年代のほぼ半分になった。
注意したいのは、手帳を持つ人が原爆被害者のすべてではないということだ。家族への偏見を恐れて手帳を取らない人や、被爆体験を裏付ける証人が見つからずに手帳を取れない人も少なくない。
広島郊外で「黒い雨」を浴びた人や長崎周辺の国の指定地域外にいた「被爆体験者」も、手帳所持者と同等の援護を訴えているが、国は拒んだままだ。
手帳を持つ被爆者たちも11年前から原爆症認定をめぐる裁判を相次いで起こした。行政訴訟では異例なことに、国はほとんど負けた。厚生労働省は昨年12月、認定基準を一部改めたが、その後もすでに3回、国側敗訴の判決が出ている。
もう一度考えてみたい。原爆に遭った人たちが、最も願っていることはなんだろうか。
1956年に結成された日本原水爆被害者団体協議会は、核兵器による被害を再び繰り返さないことを目標とし、核兵器廃絶と被爆者援護を運動の二つの柱にしてきた。
原爆症認定訴訟は「援護を手厚く」という要求とみられがちだが、それだけではない。
被爆者は、戦争を起こした日本政府が原爆被害の実態を正しく認め、被害者に償うことが、悲劇を繰り返さないための第一歩になる、と訴えてきた。
だが厚労省は、救済対象を放射線による健康被害にほぼ限定した。浴びた線量が低いとみられる人たちが病気になっても、原爆症となかなか認めない。こうした線引きが被爆者援護法の趣旨に反するという司法判断が続いても、姿勢を改めようとしない。
「死に絶えるのを待っているのか」という被爆者らの憤りの声に安倍政権は向き合ってほしい。国の責任を認め、争いに幕を引くべきだ。まずは認定基準の抜本改定である。
国際社会では核兵器の非人道性が注目されている。非人道性を身をもって知る被爆者と、被爆国がわだかまりなく共に歩めれば、核兵器廃絶に向け、このうえない力になるはずだ。
安倍首相はこの夏も被爆地を訪れることになろう。通り一遍の対話では意味がない。被爆者らの真の願いに耳を傾け、ただちに行動をとってもらいたい。
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