大逆事件:管野すが 伏せ字の肉声…「特別法廷陳述」書簡

毎日新聞 2014年06月02日 15時00分(最終更新 06月02日 15時06分)

 明治天皇暗殺を企てたとして1910(明治43)年の大逆事件で死刑に処せられた幸徳秋水ら12人のうち、唯一の女性で幸徳と同居していた管野(かんの)すが(1881〜1911)が、大審院(現在の最高裁)の特別法廷で陳述した内容を伝える書簡が見つかった。天皇制を痛烈に批判しており、一部は伏せ字になっている。事件を研究している山泉進・明治大教授は「天皇批判が不敬罪に問われる時代であり、残っていたのは驚きだ」と評価している。

 衆院議員などを務めた岡山県倉敷市出身の田辺為三郎が同年12月、同郷の元貴族院議員、野崎武吉郎に宛てたもので、太田健一・山陽学園大名誉教授が野崎家の文書を調査中に見つけた。1日10人に限定して傍聴が許可されたことを受け、管野の陳述を直接聞くなどした「大澤」という弁護士から田辺が聞いた内容として記され、読後に焼却するよう求めている。

 「陛下トハ何ノ称呼カ。ソンナモノガ特別ニ尊敬サルヽ人間ノアルハヅナシ、不自然ナル政治ヲスル公僕○○アルヲ知ルノミ」

 「○○ハ人格トシテモ尊敬スベキ紳士ト思ヘドモ、其地位ガ代表者タル以上ハ善キ人デモ之ヲ○○セザルベカラズとか申候由」

 管野はこう陳述し、国家を破壊すべきだと主張。一つ目の伏せ字は「御名」のルビがあることから明治天皇「睦仁」とみられる。山泉教授は二つ目について「睦仁」「天子」「元首」など、三つ目は主君や父を殺す意味の「弑逆(しぎゃく)」や「暗殺」と推測している。

 大逆事件では、社会主義者の宮下太吉らが爆発物を作った疑いで逮捕されたことを端緒に全国各地の社会主義者や無政府主義者ら数百人が検挙され、26人が大逆罪で起訴された。当時の第2次桂太郎内閣には幸徳らをスケープゴートにした思想弾圧の意図があり、首謀者とされた幸徳の関与はなかったとされる。

 基本的に非公開だった裁判の記録は見つかっておらず、被告の陳述は弁護人らの手記で一部伝わるのみで直接的な天皇制批判の記録は他にないという。【小林一彦】

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