トップ > 特集・連載 > 「われら」の憲法 > 記事一覧 > 記事
【「われら」の憲法】9条を憶う (中)星の流れに
◆平和な今のほんの前憲法が施行された年の秋、一九四七年十月に発売された「星の流れに」。二〇〇二年に亡くなった歌手・菊池章子が歌ったブルース調のヒット曲だ。 戦争で家族と家を失った女性が、生きるために夜の街に立つ悲しみの歌。街婦に身を落とさざるを得なかった元従軍看護婦が新聞に送った投書を読み、作詞家の清水みのるが戦争への憤りを込めて書いた歌詞はこう始まる。 ♪星の流れに 身を占って 何処(どこ)をねぐらの 今日の宿 五一年に放送された第一回紅白歌合戦。トップでステージに立った菅原都々子(86)も、清水の曲を歌った一人だ。「星の流れに」は菊池の持ち歌だったが、菅原は当時、歌詞と同じ境遇の女性から身の上話を聞いていた。 楽屋を訪ねてきた若い女性。「兄弟が多く、一人減ると助かるって家を出された。夜の街には立ちたくない」と泣いたが、行き場がなく、またネオン街に戻っていった。 「私自身、戦争中は特攻隊を慰問して、涙をこらえて歌った女です」。九十歳が近づく今もボランティアで福祉施設を訪ねている菅原は「あのころを歌い継がないと…」との思いに駆られている。 昨年暮れの紅白で紅組のトリを務めた高橋真梨子(65)は、戦後生まれの歌手だ。八九年と〇九年に「星の流れに」をカバーしている。 広島出身の被爆二世だが、最初は「戦争の悲しさを直接知らない私が、分かったふりをして歌っていいのか」と迷っていた。その高橋を曲に向かわせたのは、生前、母が話してくれた原爆の体験だ。 爆心地から二キロの地点で被爆した母は、幼かった弟をおぶい、転がる死体を踏んで逃げた。「背中で弟の皮が、ずるっ、ずるっとむけた。そう話す母は悲しそうでした」。原爆の後遺症にも苦しみ、戦争に踏みにじられた歌の主人公の気持ちが「分かる」と言ってこの世を去った。高橋は、慰めようもない母への思いを抱えて「星の流れに」を歌っている。 作詞した清水の故郷・浜松市の空に、自衛隊機のごう音が響く。清水のめい、宮崎孝子(77)は「国のかじ取り役のひと言で、日本の運命が変わる。戦争は嫌です」と眉をひそめた。平和を掲げる憲法九条の解釈を変え、集団的自衛権の行使を認めようとしている現政権に向けた言葉だ。 「戦争があったのは、平和な今の、ほんの少し前なんです」。憲法が施行された年に「星の流れに」を歌った菊池の元マネジャー折戸富美子(75)は「彼女は晩年まで、そう繰り返していました」と振り返る。世の中に対して言いたいことは言う。菊池はそんな歌手だった。 三番まである「星の流れに」の歌詞は、いずれも同じフレーズで終わる。 ♪こんな女に 誰がした それを「こんな国に誰がした」に変えてはいけない。この歌に関わった多くの人が思っている。=敬称略 JASRAC出1405666−401 ◇ご意見は社会部へ この連載や憲法へのご意見をお寄せください。連絡先を明記し、〒460 8511(住所不要)中日新聞社会部へ。ファクスは052(201)4331、メールアドレスはshakai@chunichi.co.jp PR情報
おすすめサイトads by adingo
|