「「気鋭の論点」」

「悪魔のような実験」が見える化した嫉妬心の正体

世の中、隣の芝生はやはりとても青かった

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2014年6月2日(月)

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 読者のみなさんは研究者という人種についてどのような印象をお持ちであろうか。「より良い社会の実現」という旗印のもと、その実こっそり個人のロマンを追い求めがちな、気楽でハッピーな時間を過ごす近代のヒッピー。もし身の回りに研究者の友人がいたら、その様な印象をお持ちではないだろうか。

 しかし、2012年に米カリフォルニア大学バークレー校のデヴィッド・カード教授らがトップクラスの学術誌「American Economic Review」誌に発表した研究によれば、研究者という職種は常に不幸になり続ける外因的な要因に満ちあふれた不幸な職種であると言える。

 2014年5月8日版の「気鋭の論点」では米ニューヨーク大学の川合慶助教授が出張先での研究報告と、その後の飲み会の効用について言及されていた。助教授が書かれたように、本務校を飛び出して「外の空気」を吸うことはそれ自体刺激的であり、同業者とのアイデア交換は我々研究者の活動の生命線である。しかし先日のコラムで見落とされた点があるとすれば、それは旧知の同僚とのキャッチアップが、常にプラスの効用をもたらすものではないということである。

他人の幸福は自分の不幸

 自分の不幸は、いつだって他人の幸福とともにやってくる。自分の最高の自信と期待を込めた最新の研究をはるかにしのぐ結果が、同業者によって既に得られていたことをその研究旅行で知ってしまったら。あるいは、最近ホームページでの研究業績の更新を怠っていた友人が、飲み会で酔った勢いで未発表の研究が著名ジャーナルに受理される寸前であることを白状してしまったら。その出張の帰路はいかほどにビター・スイートであろうか。

 他人の行動やその結果が、自分の行動や効用に影響を与える作用は広く「社会効用効果」という用語でまとめられる。「隣の芝生は青く見える」という言い古された諺や、モーセの十戒の最後を締めくくる「他人の財産を欲してはならない」という警句は、人間がいかにたやすく、何をするでもなくただ隣人の生活を覗くだけで不幸になりうるかを示している。

 「社会効用」は経済学のみならず心理学や神経科学が扱うテーマでもあり、最近では社会効用を生み出す脳の神経基盤の解明も進んでいる。この様に社会効用の存在は広く一般に認められたものであるものの、我々経済学者が常に心に留めるのは、実証分析で得られた結果が本当に信頼に足るのか、ということである。

 経済学では、社会効用効果の推計は幸福度のデータを用いることが多い。著者の共著者であるアンドリュー・クラーク教授はこの文脈における創始者の1人であり、この様に言うのは甚だ心苦しいが、筆者は幸福度データを用いた大多数の分析の定量的な結果を素直に受け入れることはできない。なぜか。

ライバルと比較することが不幸への第一歩…

 例えば典型的な先行研究例では、(効用の代理変数とされる)幸福度データを被説明変数とし、それを自分の所得水準や各人にとっての「参照相手」と想定されるライバル達の平均所得、及び性別や年齢などの個人属性に回帰する。つまり、自分や競争相手の所得水準の変化や、年齢の変動、性別の違いによって、どのように幸福度が変動するかを分析する。ここでは参照相手の平均所得の項に表れるマイナスの効果が「負の社会効用」、つまり隣の芝生がどの程度青いのか、を示す。


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