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転職・求人DODAエンジニア IT/トップ > 転職情報・成功ガイド > 三年予測 > 起業家兼エンジェル投資家 鎌田富久 氏
掲載日:2014.6.2
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三年予測ートップリーダーと考えるエンジニアの未来ー

「粘ればチャンスは訪れる」、時間がかかる技術ベンチャーを支援

起業家兼エンジェル投資家 鎌田富久

1961年生まれ。東京大学情報科学博士課程修了。理学博士。株式会社ACCESSの共同創業者、前CEO。iモードなどのモバイルインターネットの技術革新を牽引。東京大学に在学中の1984年に情報家電・携帯電話向けソフトウェアのベンチャー企業ACCESSを設立し、2001年に東証マザーズに上場、その後、グローバルに事業を展開した。2011年に退任。これまでの経験を活かし、スタートアップを支援するTomyKを設立し、10社ほどをサポート中。


「時間がかかりそうな」企業を選ぶ

2013年11月、「東大発」ロボットベンチャーのSCHAFT(シャフト)が米Googleに買収されたことは、大きな話題となった。このSCHAFTに早い段階から資金援助していたエンジェル投資家が、ACCESS創業者として知られる鎌田富久だ。
まず、スタートアップを支援するため鎌田が設立した会社である「TomyK Ltd.」のサポート先を見てみよう。
TomyK Ltd.が支援してきたベンチャー企業と事業分野(2014年5月)
  • SCHAFT、ヒューマノイドロボット(DARPA主催ロボットコンテストで優勝、
    Googleが買収)
  • Mynd、機械学習によるニュース推薦アプリ
  • Genomedia、ゲノム(遺伝情報)解析
  • Pluto、クラウド型リモコンで家電を遠隔操作
  • アクセルスペース、打ち上げ費用込みで3億円程度と「安価な」超小型人工衛星
  • H2L、電気刺激により人間の手指をコンピュータで制御
  • AgIC、家庭用プリンタで電子回路を作成(Microsoft Innovation Award 2014 最優秀賞受賞)
  • Moff、ウェアラブルなスマートトイ(おもちゃ)
  • WHILL、パーソナルモビリティ(次世代の電動車いす、IVS 2014 Spring Launch Pad優勝)
  • LPixel(エルピクセル)、画像処理・解析、画像不正検出ソフトLP-examを無料公開
分野の幅広さが目に付く。ほとんどが「東京大学発」ベンチャーである。
投資先を選ぶ基準は何だろうか。鎌田は次のように話す。
「『時間がかかりそうなもの』を選んで投資しています。大きな変革を引き起こすにはある程度時間がかかる。10年で10社の成功例が出ればいい。短期間で資金回収できそうな会社は、別のVC(ベンチャーキャピタリスト)を紹介します」
ベンチャー投資家の多くは、数年間で資金回収できそうな企業を見極めて投資する。ところが、鎌田は資金回収できそうな期間が「10年ぐらい」と長い、すなわち投資効率が低い会社をわざわざ選んで投資しているのだ。前述のSCHAFTは創業1年半で買収されたのだが、当初の計画では長期にわたり支援するはずだった。短期間で買収されたことは「予定外だった」という。
なぜ「長期」専門のエンジェル投資家になったのか。技術ベンチャーに対する鎌田の思いを知るために、まずは鎌田自身が歩いてきた道を振り返ってみよう。

学生時代にベンチャーに身を投じる

鎌田は東京大学では博士課程まで進み、コンピュータサイエンスを専攻した。その一方で、学部在学中からビジネスの世界に身を投じた。
1984年、故 荒川亨らとともに「有限会社アクセス」を設立する(のち株式会社ACCESSとなる)。当時を振り返って、こう話す。
「大学院に合格して、入学金と授業料を稼がないといけなかった。アルバイトの中でもプログラミングは割が良い仕事だった。当時は書ける人が少なかったから」。
アルバイト仲間だった荒川らとともに、「会社組織にした方が経費計上もできるし」と会社を設立した。この時代、ベンチャーを起業するのは「普通の学生はまず考えない選択肢だった」。当初は、アルバイトの延長のような考えで始めたという。
最初のヒット製品はプログラミング言語「ACCESS LOGO」だった。当時、パソコン向けプログラミング言語の主流はBASIC言語だったが、「これが使いにくかった」。LOGOはもともとMIT(マサチューセッツ工科大学)で教育向けに考案された言語で、当時アメリカのパソコン雑誌でもよく取り上げられ、新しいプログラミング言語として注目されていた。
このLOGO言語が「まあまあ売れた」ことから、会社の事業について考えるようになった。ソフトウェア事業は部品の仕入れも工場も必要ない。「ソフトウェアのライセンスは、もしかしたらすごくいいビジネスじゃないか」と思い始めた。ソフトウェア製品を研究開発し、ライセンスすることを事業の柱と考えるようになった。

TCP/IPに目を付ける

次の主力製品はネットワークプロトコルのTCP/IPだった。「僕らが学生の頃、DECのミニコンVAXシリーズやSunワークステーションに搭載されていたUNIXやネットワーク環境に触れることができ、これは便利だと感じた」。インターネット商用化に先立つこの時代、TCP/IPはUNIXワークステーション同士のネットワーク構築に用いられる技術として知られていた。これをパソコンをはじめ、家電機器などあらゆる機器に応用しようと考えたのだ。
「当時のパソコンはスタンドアローンで売られていたが、絶対にネットワーク機能が入るという確信があった」。そこでパソコン向けのTCP/IPプロトコルスタックを製品化することにしたのだ。この時期から、「すべての機器をネットにつなぐ」というミッションを掲げた。
だが、このTCP/IPを買ってくれる顧客は、当初はなかなか見つからなかった。早い段階で買ってくれたのは、主に技術に詳しい会社だ。初期に獲得したユーザー企業の中には工作機械のオークマや、電話交換機を製造していた沖電気工業らがいた。「要求が厳しい顧客に鍛えられた。結果的には良かった」。
TCP/IPは「それなりに」売れ出した。ところが、1990年頃に不穏な情報が流れてきた。「Microsoft Windowsが標準でTCP/IPを載せるらしい」というのだ。そうなれば、パソコン向けTCP/IP製品の市場は成立しなくなってしまう。つまり次の主力製品を立ち上げる必要に迫られたのだ。
実際には、Windowsに標準でTCP/IPが搭載されるのは、1994年に国内発売を開始したWindows NT3.1以降、一般ユーザー向け製品に搭載されるのは1995年発売のWindows95以降である。結果から振り返れば数年の猶予はあった。次の主力製品を立ち上げるための試行錯誤が続いた。

次の主力製品を作るために試行錯誤する

次の主力製品について「4つ、考えた」。1番目は「上に行く」こと、すなわちネットワークを前提とするアプリケーション層の製品だ。2番目はネットワークルーター。3番目はネットワークOS。4番目がグループウェア。いずれも、Windowsにネットワーク機能が標準搭載されたなら大きな需要が生じる分野だ。
決断は難しかった。それぞれの選択肢にリソースを分散して投入していた時期もある。エンジニアとしてやりたかったのは、3番目のネットワークOSだ。パソコンによるネットワークが普及すれば、それを束ねるサーバーのOSの需要が高まる。1990年代のネットワークOSは、2010年代のクラウドのような位置づけにあった。実際、NovellのネットワークOS「NetWare」はこの分野で一時大きな勢いを持った。のち、MicrosoftはWindows NTでNetWareの市場を奪っていくことになる。もしネットワークOSの分野に本格進出していたら、これらの強敵と戦うことになっただろう。
他の選択肢にも強敵がいた。2番目のルーター製品の方向に向かえば、米Ciscoらと競争することになっただろう。4番目のグループウェアの方向に進めば、Lotus Notesと戦うことになっただろう。
最終的に下した決断は、1番目の選択肢であるアプリケーション、それも「Webブラウザ」に集中することだった。「時代の要請で勢いがあった」からだ。パソコン向けブラウザは1994年に登場したNetscape Navigatorが猛烈な勢いで普及しつつあった。だが、組み込み向けブラウザには参入の余地がありそうだった。そして何より、組み込み分野は「Microsoftが当面は攻めてこない」分野でもあった。
1990年代中頃の当時、Microsoftが本気で進出した分野で勝ち残ることは非常に難しく、ソフトウェア業界では誰もがMicrosoftを警戒した時代だった。米司法省がMicrosoftを相手取って独禁法訴訟を起こす前の時期である。
組み込み向けブラウザに勝機があると考えた理由は、もう一つある。2014年現在の状況からは想像しにくいかもしれないが、1990年代の日本の家電メーカーにはまだまだ勢いがあった。ACCESSのブラウザは、ワープロ専用機、PDA(Personal Data Assistance、携帯型情報端末)、ゲーム専用機など、日本の家電メーカーが送り出す多種多様な製品に搭載されていったのだ。
そして、ACCESSにとって大きな試練、かつチャンスがやってきたのだ。
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