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 東京電力福島第一原発の事故に首相補佐官として対処し、吉田昌郎(まさお)所長との連絡役を務めた細野豪志氏が朝日新聞のインタビューに応じた。

 細野氏は事故から3年が経過し「記憶の限界に来ている。そろそろ話さなければいけない」と考えていた矢先に「吉田調書」報道が出て、証言を決心したという。

 細野氏との一問一答は次の通り。(肩書は原則当時)

■「チャイナシンドローム」発言

――これが『吉田調書』です。

《『吉田調書』を読む》

細野「結局、うまくいかないんですね」

――はい。

細野「『完全に露出している』という自覚はあったんだ……」

――夕方ぐらいから、状況としては緊迫さが顕在化してくるという感じです。

細野「いや、この、我々が自覚してたのは、建屋が吹き飛ぶのは極めて深刻なんだけれども、そのことによって燃料が完全に露出するわけではないので、チェルノブイリ級という話にはならないと。ただ、本当に損傷してしまうと、チャイナシンドロームを含めてそうなんですけど、現場で作業が続けられなくなるのではないかということを恐れていた。もちろんその、福島の人たちのことというのはあったが、それを防ぐためにも現場でがんばってもらわなければいけないので、その環境を維持できるのかぎりぎりの場面であるという自覚はあった。やっぱり、これを読んでいると、吉田所長も同じことを懸念している」

(建屋=ここでは原子炉を覆うコンクリート製の建物、チェルノブイリ=旧ソ連で1986年に起きた原発事故、チャイナシンドローム=原発事故を主題にした米映画の題名)

――細野さんは、吉田さんが最初の電話で「チャイナシンドローム」という言葉を使ったという記憶はありますか。

細野「私の電話には、なかったと思うんですよ。『ミニマムにして』と、このことを確かに言ってたかも知れない。わきに出て電話したんですよね。たぶんね。そんな感じもしました。そんな雰囲気も伝わってきました」

(ミニマムにして=ここでは作業員の数を最少にして)

――電話の向こうもざわざわしていたんですね。

細野「ざわざわしてたんですけど、でも想像していたようではなく、わりと落ち着いてはしゃべっておられたんで。うん……。でもこれは私、武藤さんと、いや武藤さんはこのとき本店だ、武黒さんじゃないですもんね」

(武藤=武藤栄・東電原子力担当副社長、武黒=武黒一郎・東電フェロー)

――武藤さんは吉田さんからの電話を受ける時間はないです。

細野「それは映像をみてないと分かんないですね。ポンプが動き出したのが?」

――19時54分です。

細野「このあとすぐに動き出したか、動き出すという兆候があったか、もしくは燃料がガス欠だと分かって、すぐにかけてきたんじゃないかと思います。こんな後じゃないと思う。その前後で外している中で、ガス欠だと分かってすぐかけてきたと思う」

(ガス欠=消防車が燃料切れとなりポンプが働かなくなった)

――理由がわかったのですね。

細野「だからそこで『水が入る』って、吉田さんは確信したのかもしれない。だから本当に短い時間だったんですよ」

――吉田さんは調書で「東日本壊滅」という言葉も使っています。

細野「うん、これはですから、あとで、近藤委員長に頼んだシミュレーションもこういう話」

(近藤=近藤駿介・原子力委員会委員長)

――ガス欠だと分かったのが午後6時28分。そのあと、かけられたんですね。

細野「そう、そうですね、そうかもしれませんね。『怒り狂って』……」