母からメールが届いた「転職活動はうまくいっているの」と。
転職活動なんてしてねーよ^^と思い、返信していない。
(※ブラック企業で社畜してたァタシ。次々と人が逃亡する中、表彰され喜んでいた翌週にはなぜか減給を通告され、お局3人とそのボスからいびられイラつく日々を過ごしていたら会社を休めと言われ、たぶんこのままクビ☆←今ココ!!)
母に「会社を辞めたい」と話し、「勝手にしなさい」とため息をつかれたのが二週間前。呆れと、少し腹を立てているような口調だった。
私がしばしば遅い時間まで働き、時には休日出勤もしていることを一番知っているのが母だった。父の仕事はほとんど定時で帰ってこられるものだったので、21時退社ですら驚くような母だ。21時退社なんて早い方だったわ!!!
場合によっては手術が必要な状態であることも、そのために通院することがきついことも、誰より分かってくれていると思っていた。同年代の女の人が、夫と一緒だったり、赤子を抱いて待つ産婦人科に一人で行きたくない。「お母さん、一緒に行ってよおおおおお」と電話で冗談ぽく言ったら、自然と涙が出てきて母の悲しそうな声も伝わった。
なのに、なんだ!?
「転職活動はうまくいっているの」て…もっと言い方あんだろ!!
3年前までは「本当にこのまま東京の人になっちゃうの?;;」と言ってた母と同一人物とは思えないよぉ><
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私の母は、物静かで、教養があり、顔は古風ではあるけれど品があり、肌は白くスタイルが良い、夫を立てる良き妻で、でも、娘に対してはヒステリックな母だ。
ちなみに母の日にはポストカードを送った。岸田劉生のポストカードに52円切手を貼って。
念のため補足しておくと、岸田劉生は「麗子像」という愛娘の肖像画が有名な画家であり、その娘・麗子も画家であったそうな。ポストに投函した後、「あ、父の日に使えば良かったかな…」と思ったけれど、父は典型的な理系人間で、そういった方面に明るくないため、もし父宛てに送っていたら、嫌がらせだと思われたに違いない(岸田劉生の作品は、一見グロテスクなものが多い)。
本当はもっと気のきいた贈り物をしたかったのだけれど、母は私が減給されたことを知っているので、気を遣わせるだろうからやめた。
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「私は絶対に、お母さんみたいな女になりたくない」と家を出て10年以上が過ぎた。今のところ、お母さんみたいな女にはなっていない。
亭主関白な父の身の回りのことを何から何までやり、父が機嫌の悪い時や、子どもでも分かるような理不尽なことを言う時も、反論しない。父と母が喧嘩をしているところをほとんど見たことがない。“喧嘩”なんて出来ない関係なのだ。
成長するにつれ、私は母の、父への態度が憎くてたまらなくなってきた。
結婚前は、地元で有名な進学校から国立大学を卒業し、教育関係の仕事をしていた。そのように外で働く能力のある女性が、何故、ひとりの男のために、しかも汚れた靴下を拾うところからやらなければならないのか。
母は専業主婦のようなかたちで私たちを育ててくれたので、私が大学進学を希望していると知ると、「一度仕事を辞めると、女は学歴や資格があっても、パートタイムでしか働けないの」と口癖のように話した。ちょうど彼女の更年期障害の時期と重なっていたので、時には怒鳴りつけられたほど。
高校では教師が“学歴があれば明るい未来が待っている”と洗脳し、家では母が“学歴や資格があっても、幸せになれるとは限らない”と現実をつきつける。
進学に際しては本当に何度も何度も喧嘩した。(教師からも説得してもらい、受験させてもらえることになると、母は夜食を作ってくれたり、勉強を教えてくれたりと、強力な味方となったのだけれども。)
母は娘である私が思い通りに動かない時、とてもヒステリックになる。
険しい道を行こうとしているのを止めようとする時ならまだしも、“自分が出来なかったこと”を娘がしているのが気に入らないだけでは?と思うような怒り方をされた時はたまったもんじゃない。
そんな母でも、なんだかんだ言って、私のことを大事に思ってくれているのだと信じられるから、家族ってすごい。
大学入試直前の頃、私の部屋のドアをそっと開けて、「勉強はしんどいでしょう?もし、あんな大学に合格したら、このままずっと努力しなきゃいけなくなるのよ。本当にいいのね?」と確かめた時のこと。「代わってあげられなくてごめんね」と涙ぐんだこともあった。
20代半ばだったか、「小学校の文集に“東大に行きたい”って書いてたね。小学生にあんなことを書かせるなんて、私はどういう教育をしてきたんだろう。ごめんね」と謝られたこともあった。
転職に際して、「もう諦めなさい。総合職でバリバリ働くことだけがすべてじゃないんだから。大学を出ても、家庭の事情や病気で働けない人なんて沢山いるんだよ。“せっかく大学を出たのに”という気持ちも分かるけど、何も恥ずかしいことじゃないんだよ」と諭されたことも。「丈夫に産めなくてごめんね」とも。
私は頭が悪いので、そんな母の言葉を無視して、ひどい労働環境に自ら飛び込んでしまった。
これだけ好き放題やっておきながら、「もっとちゃんとお母さんが止めてくれたら良かったのに」と、八つ当たり出来る母をもてて幸せだと思う。
私はお母さんみたいな女に“なりたくない”のではなく、“なれなかった”んだよ。