2014年6月1日日曜日

あるマルクス経済学者のプロパガンダ(7)

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マルクス経済学者の松尾匡氏の連載の続き『ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2』で、ケインズ経済学が賃金や価格の硬直性を問題とする説から、流動性の罠による実質利子率の高止まりに移っていき、流動性の罠からの脱出方法としてインフレ目標政策が提案されていると紹介している。しかし用語の使い方が妥当なのか気になるし、関連するデータをしっかり確認しているのかは疑問が残る。また、小野理論をイメージして説明するとあるのだが、当の小野氏の著作『貨幣経済の動学理論』では起きないと明記されていることが主張されている。

1. 予想形成は自己実現的なのか?

連載全体に関わってくる重要な部分なのだが、予想形成について問題があるように思える。「現代的なケインズ理論は、人々のデフレ予想が一人歩きして人々を縛ってしまっている事態として、平成不況の日本経済を説明した」とあるが、そのような議論になっている具体的なモデルは存在しないのでは無いであろうか。

松尾氏は「一番よく検討しているのは小野さんのモデル」としている。しかし、小野理論は「貨幣の限界効用の非飽和」を仮定したら(新古典派の意味での)定常状態に達さない可能性が出てくると言う議論なのだが、インフレ期待に該当する変数は無い。むしろ「インフレ経路は実現不可能である」とあるし、そもそも人々の予想価格は全ての要素から計算されるので、「デフレ予想が一人歩き」なんてしない。なお第9章で貨幣的拡張政策は不況のときは有効と議論しているが、これはインフレ予想ではなくて、実際にインフレを引き起こしている。

インフレ予想が高くなれば小野理論では価格調整速度が早くなると思ったのかも知れないが、小野モデルを見ると将来の貨幣的拡張を予想しても価格調整速度は維持されているようだし、第5章での議論では価格調整速度の上昇がデフレ率を引き上げ、かえって不況を悪化させるとしている。第8章では「貨幣の限界効用の非飽和」があれば、価格調整速度が速くても、定常状態に達する経路が唯一の均衡経路である新古典派経済モデルと同じにならないと説明があり、インフレ予想が問題解決すると言う松尾氏の議論との食い違いは大きい。

無論、小野理論だけが全てではない。しかし大半の場合はテイラー・ルールで定式化される中央銀行の行動パターンから予想形成されているように思えるので、予想が自己実現されるような表現が妥当かは疑わしい。少なくとも松尾理論として数理モデルが提示されなければ、このような議論が可能なのか判然としない。

関連したところだが、「複数均衡」も注意して扱うべきだと思う。自己実現的であればそうは違和感は無いのだが、テイラー・ルールが変化したときに均衡が変化するようなモデルは、複数均衡とは言わないであろう。デフレ脱却のためのインフレ目標政策の提案の例としてKrugman(1998)が言及されていたが、それが複数均衡モデルだなんては書いていない。それを緻密化したEggertsson and Woodford(2003)を見ても、plural equilibriumと言う文字は見つからない。

2. 物理的時間と物価調整のスムーズさ

「モノやサービスが売れ残ったら物価が時間を通じてゆっくり下がる」小野モデルに関して『このモデルで価格が動くときの時間単位は、「年」だという限定は数学的には何もないです。「秒」だと読んでも問題はありません。とてもスムーズな価格下落を描写しているともとれるのです。』とあるのだが、誤解なのでは無いであろうか。小野理論で有限の価格調整速度が提示されるとき、1秒で価格未調整な部分があれば、1年でも価格未調整になっているように思える。小野理論で言うスムーズな価格調整とは、消費量と生産量の比に影響されず価格調整が行われると言うことであろう。

3. ジャンプ変数と動学変数

「ジャンプ変数」と「動学変数」が対義語ように使われているのだが、「動学変数」が「需給の不均衡を受けて物価が動くプロセス自体が、人々によって予想される」と説明されており、この説明だと「ジャンプ変数」かつ「動学変数」が成立してしまうので、用語定義と使い方に混乱が見られる。ジャンプ変数は過去に関係なく決定できる変数なので、将来予想に応じて決定されても構わないはずだ。

例えば世代重複モデルを使って貨幣価値(=物価)を定めると、人々の将来予想を反映する動学変数かつ瞬間的に値が変わるジャンプ変数となる。価格硬直性を入れたら非ジャンプ変数になると思うが、松尾氏の定義する動学変数では必ず非ジャンプ変数なわけでは無いはずだ。動学変数の説明に問題がある可能性がある。そもそも動学変数が、あまり聞かない用語な気もしなくもないが。

4. 実物の単位労働コストの推移も確認すべき

理論から逸れた部分も一つ指摘しておきたい。賃金が下がったと言うのが通説なのは否定しないが、賃金や価格の硬直性を議論しているのだから、一度ぐらいはしっかりデータを確認しても良いところであろう。「物価や賃金が下がっても一向に景気はよくならず、かえって悪化していった」とあるのだが、実質の単位労働コストの推移をしっかり確認してから書いて欲しい。時間外手当や賞与が減ったから賃金が激減したかのように見えるが、労働時間も減っていたりするし、物価下落の影響もある(関連記事:日本の賃金水準の変化を確認する)。

5. 数理モデルの“再解釈”は慎重に

ある経済モデルを、論文に書かれた解釈以外で解釈してはいけないとは思わない。しかし、モデルと整合的な解釈を行わないといけないわけで、再解釈は慎重に行うべきであろう。

また、つまみ食いは避けるべきな気がする。Krugman(1998)でインフレ目標政策が提唱してあり、それが「リフレーション政策」だと言うような説明があるが、Krugman(1998)で通貨供給量の拡大は否定的に記述されている事を無視している。量的拡大を否定しているりふれ派は少数だと理解しているのだが、松尾氏の見解は異なるのであろうか。

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