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モンゴル・ウルス(思吉成汗 義経説 状況証拠考) 17
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モンゴル・ウルスが全くの草原の通商路のみを整備したのであって、海の道、川の道を無視したというのであれば、この異端説は本当の異端で終わる。
しかしモンゴルが目指していたのは海の道の確保なのである。 草原の真っ只中の大都市大都まで、商船が直接入れる大運河を造り上げた。 船の輸送力は、陸路の比ではないのである。 そしてその道が十二分に確保できなかった時、モンゴルの拡張は止まり、没落への道を歩み始めた。 海の民を使っての、日本、ベトナム、インドネシアへの大規模な遠征は、そのことごとくが失敗に終わった。 クビライ・ハーンは確かに英明で決断力に富み、斬新な思想の持ち主だった。 しかし彼はモンゴル・ウルスを支えていた屋台骨の実像を見誤ったのだと思う。 それは大砲や多連装ロケット弾の使用を制限し、伝統の軽弓騎馬利用に拘った事実からもうかがえる。 支配者として伝統を遵守するのは当然のことであろう。 帝国を支えるものは銀や技術や斬新な制度ではなくて、古いモンゴル騎兵の千人隊と、その団結だと信じていたのである。 銀が取り仕切っていることは熟知していたが、帝国を自由に行き来する有象無象の商人たちが、そして大都まで運河で直接に出入りする輸送船団が支えているのだとは思っていなかったのではあるまいか。 ****夏の花 |
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