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モンゴル・ウルス(思吉成汗 義経説 状況証拠考) 12
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彼らは大勢力を誇る金王朝の詳細について熟知していた。
だから豊かな河口を避けて延々と遡り、人煙まばらな草原地域にまで落ち延びたのである。 河川の経路も知っていたはずである。 そもそも判官の周辺には、その生い立ち初期から大勢の、特に奥州系商人が群がって居た。 判官は、田を耕す農民だけでなく、大金や大量の物資を動かす商人たちこそが、国の力の源であることを知っていたからである。彼らの力無しに、武力だけで国土を制圧することはできないことを熟知していた。 九朗判官は戦術の大天才であっただけでなく、もっと大きな戦略家でもあったということである。 商人たちも、判官が失脚した時、自分たちの商売が終わったことを悟ったにちがいない。 判官には深入りして投資しすぎていたし、今後のことを考えると、お先真っ暗だったのだろう。 商人たちが、寄ってたかって判官一行の行き先を決め、再起可能な土地へと導いた可能性が高い。 その集団は少人数だったのだろうか。 そうは思わない。 むしろ奥州エミシ、エゾの、総力を上げての大長征、つまり民族をあげての総退却だったのだと思う。 それが直接に平泉の弱体化、没落、滅亡につながり、北海道ではエゾの、立ち直れないほどの勢力衰退を招いたのである。 *** 夏のシックステイーンキャンドル |
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