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モンゴル・ウルス(思吉成汗 義経説 状況証拠考) 11
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源花というのは、新羅系の下級武士の結社名である。もともと大陸出であった彼らは大陸に戻り、一旗上げたのであると考えることが出来る。
即位して後半生を始める男は、ここで自分の王名と称号を、漢字を使って宣言する。 自分たちの文字を持った今日のモンゴル人は漢字が読めないし、書けない。しかし当時には読み書きできる人が大勢いたのである。 かなりの発掘事例があるらしい。ゴルバンゴル計画で日本人の学者が参加するまで、それらの漢字の多くは解読されていなかったのである。 思吉成汗。 吉成りて、水干を思う、という意味だという説がある。 生き別れた美しい白拍子、静(シズカ)御前に、未だ未練があったのだと。 カンという音を残したのは、判官職にも、未だ未練があったのだろうという。 キレンジャクは故郷に帰りたがっていた。 京の都の、よそよそしい貴族たちの居る、苦難の育ちの故郷にではなく、彼を源氏の御曹司として祭り上げてくれた奥州平泉にである。 その平泉と、華北、満州地域にあった金王朝とは、当時、交易路で繋がっていた可能性が高い。 金きらきんの瓦屋根が示すように、奥州平泉は金が豊富だった。しかし金鉱山は見つかっていない。 彼らエミシは大量の銀を輸出し、金を輸入していたのではないだろうか。 平泉政権が滅びると共に、金との交易路も絶えた。 大陸への亡命者たちが金王朝の存在を知らなかったら、彼らは黒竜江のほとりで金軍に包囲され、早期に討ち死にしていたにちがいない。 |
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