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モンゴル・ウルス(思吉成汗 義経説 状況証拠考) 10
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彼は豪壮な寝殿造りの邸宅を作らせたと言われている。
質素なゲルは、好みではなかったのである。 しかし孫の時代には、その木造建築物は跡形も無かった。また、支配層の人々は、もはや煮た羊の肉しか食わなかった。いや、これは草原の支配層となったモン・ゴルの人々全てがそうであっただろう。 彼らは惨めな下層民であった頃の川べりの暮らしを忘れた。自分たちの独自の文字や英雄譚のみならず高度な技術や学問を持ち、世界の半分に君臨する支配種族となっていった。 ラシードの修史の中に、旗揚げしたモンゴルが台頭する重要な戦いが載っている。 十三翼の戦いで、モンゴルは草原地域の主導権を握り、多数の部族を従えて覇者となったと言われている。 従えた部族からは妻を出させ、その兵士たちも、モンゴルの軍事組織に組み込んでいったのである。 実は、十三湊の戦いというのが本州の最北端であった。九朗判官は、ここでその一生を終えたことになっている。 |
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