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モンゴル・ウルス(思吉成汗 義経説 状況証拠考) 7
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モンゴル・ウルスは銀本位制で、斬新な制度を次々と採用し、商人の行き来や多用な文化、宗教に寛大だった。
既製の権威や制度を無視し、合理的で種族や文化に差別の無い帝国経営を行っていたらしい。 キリスト教やイスラム教も、帝国の要職にある人々が個人信仰していたというのである。宗教にはほとんど無頓着というか、まるで今日のわが国民のように寛大である。モンゴルの民は大神テングリを信仰していたのに、である。 その要職にも、モンゴル人だけが就いていたわけではない。優れた人であれば、どんな種族でも高官になれた。かのマルコ・ポーロなども、結構高い地位をもらっていたようである。 これにも、理由があったと思う。 大ハーンの語ったという言葉の中に、次のものがある。 汝は土地の鳥、朕はキレンジャク(渡り鳥)と。 モンゴルの人々にとって、鳥は特別な存在である。もともと鳥トーテムの一族なのかも知れない。横綱も、土俵入りのさいに、鳥のように舞う。 その鳥を語る際に、大ハーンは自ら渡り鳥であると言明しているのである。外国人だと。 征服した土地の種族からかならず妻を出させ、優れた外国の文化を取り入れ、宗教に寛大で、商業も優遇したのであれば、その国家が繁栄しないはずは無い。 彼らの軍隊は当時すでに大砲やロケット弾を持ち、長期遠征が可能で、しかも千キロの距離をあっさりと踏破する機動部隊だった。 日本に襲来した高麗や南宋の海軍も、その時代錯誤のような最新装備を持っていて、単騎で決戦を挑む鎌倉武士が苦しめられたのは有名な話である。 |
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