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モンゴル・ウルス(思吉成汗 義経説 状況証拠考) 1
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昔から義経についての伝説は数多い。特にマユツバ・トンデモ説として、ジンギスカンと同一人であるという説がある。(チンギスハーンといわないところがミソ)
この説は結構面白く、しかも状況証拠が豊富なので、小生も3割程度は信じかかっている。 絵物語などで有名な、京の五条で弁慶と渡り合った幼名牛若丸は、後に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となって鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の異母兄弟、言うまでも無く清和天皇ゆかりの、源氏の御曹司である。 幼くして父を失い、逃亡の果てに捕まって敵方平氏に預けられ、鞍馬の僧坊で修行し、苦難を乗り越え、源氏を復興して勝利に導く立役者となったので、古来より庶民に人気が高い。 判官びいき、という言葉もあるほどである。 彼が九朗と呼ばれるのは、清和天皇ゆかりの、源氏の相続人、第9王子であったからである。 また判官というのは、現代風に言うなら最高裁判所の長官ということで、宮中における彼の官職である。命取りとなったのも、この判官職に、彼が拘ったからであるのだが。 チンギス・ハーンは幼名テムジン。 一説によると、父エスゲイ・バートルがテムジン・ウゲを征服した年に生まれたので、そう名づけたという。彼も王子なのである。 このハーンという称号が、カンとなったりハーンとなったりするので、ごろあわせでハーン・カンだと言うわけである。 ごろあわせに何の意味も見出さない人には無意味な称号である。 但し、チンギス・ハーン以前に、ハーンやカンという王を示す称号が一般的だったかどうかということになると、これはむしろ怪しい。 後日、先代や、先先代の称号を遡って拵え挙げた可能性もあるのである。 古い時代の匈奴などの王は、中国では単于(ゼンウ)という称号を付けるのだが、当時自分たちでどういう称号を使っていたのかは定かではない。ナントカ・カンというのはモンゴル系や、その王統を継いだチベット系に多いが、もっぱらジンギス・カン以後なのではあるまいか。 *** イヌサフラン *** |
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