1931(昭和6)年の満州事変から45年の太平洋戦争終結までの長い戦時体制下、新聞は国民の敵愾(てきがい)心をあおり、戦争を「聖戦」と美化し続けた。言論統制時代に「やむなく」という面もあったが、営利のため進んで戦争熱を演出していた事実がある。弾圧を受けた被害者というよりも、「軍部とともに日本を亡国に導いた共犯」との厳しい批判もある。
「新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪する…
戦争熱、新聞、熱風の日本史、高見順、保阪正康、半藤一利、不都合な真実、朝日新聞、近衛文麿、毎日新聞