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内藤朝雄
「いった」「気持ちいい」人もいるということが他人を強姦する根拠になるかということを考えれば、「感動」「泣けた」が怖がる他人にある行為を強制する根拠になるとする教育的な「あたりまえ」感覚は実に奇妙なものです。学校がこのようなタイプの現実感覚を蔓延させる生態的環境であることが問題です
学校リスク研究所 内田良 12時間
全くその通りで,他競技に比べてリスクが高いこと,あるいは実際に重傷者が出ていても,それをかき消してしまう,教育ムラの組体操幻想。内部の教師たちが,私の記事を読んで,組体操支持を声高に叫ぶのだから,ひどいもんです。
内藤朝雄 12時間
誰も言葉にして意識しないしあまりにおぞましいので意識しづらいのでしょうが、一人一人の人間の価値よりも、それを超えたより高次の集合的生命の顕現・明徴としての「感動」「泣けた」の価値の方が貴いという現実感覚があると思います。だから危険でもやらせたい
学校リスク研究所 内田良 11時間
賛同します。しかも、一人ひとりの価値をそもそも見ようとしない。考慮しようともしない。 学校文化の悪い部分が、組体操に象徴的にあらわれているように感じます。
内藤朝雄 11時間
この学校の教育的な集合的生命感覚の顕現・明徴の形式は、戦争中の国体の顕現・明徴の論理と同形です。組み体操は、いじめと同様、いままで感じられてはいてもはっきりと言葉にできなかった、隠れたローカル秩序の形を発見する絶好の材料にもなっていると思います
内藤朝雄 11時間
福島原発事故の後、一人一人の人間の健康や生命には無頓着で、「食べて応援」「きずな」「がんばれ東北」「がんばれ日本」一辺倒になるような社会基盤が、学校の集団生活で準備される構造が、組み体操をめぐる関係者の振るまいから実に見事に浮き彫りになります。
内藤朝雄 11時間
集団行動をやらせ、一人一人が「まとまる」感動の発露がないと学校の生命が衰退させられるような感じがするから嫌だ。社会は一人一人を超えた生命であり、その高次の生命が各人の低次の命のなかから輝くことが、各人が生き生きと生きることだ。それを教えるのが教育
内藤朝雄 11時間
彼らの潜在意識を解説すると、こんな感じでしょうね。なぜかデュルケムの『宗教生活の原初形態』と戦時中の文部省教学局の『国体の本義』が役にたっています。彼らもこんなふうに言うとびっくりするでしょうが・・・