2014年5月31日23時57分
福岡県立三池工高、神奈川・東海大相模高の野球部監督として全国高校野球選手権を2度制した原貢(はら・みつぐ)さんが5月29日、心不全で死去した。79歳だった。東海大相模高、東海大の監督時代は、プロ野球巨人監督の辰徳さん(55)との「親子鷹(だか)」としても注目を集めた。通夜、葬儀は近く近親者のみで行う。7月14日午前11時から、東京都文京区後楽1の3の61の東京ドームホテルでお別れの会を開く。
31日、プロ野球の巨人が発表した。佐賀県出身。鳥栖工高―立命館大を経て、社会人野球の東洋高圧工業(現三井化学)大牟田でプレーした。三池工高の監督となり、1965年夏の第47回全国高校野球選手権大会でチームを初出場初優勝に導き、石炭不況や労働争議で沈む三池炭鉱の町を勇気づける快挙と言われた。
東海大相模高に監督として招かれ、70年夏の第52回大会で再び日本一に。都道府県の違う2チームを甲子園の頂点に導いた監督は他にいない。74年に辰徳さんが入学すると親子で甲子園に4回出場。75年春に準優勝した。監督として甲子園には春夏計9回出場し、通算17勝7敗。
辰徳さんの東海大進学とともに77年に東海大監督に転任。「野球を通して人を作る」という指導方針で、多くのプロ野球選手やアマチュア指導者を育てた。
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