DOMMUNE収録後のスタジオにて、ホドロフスキー監督とザ・グレート・サスケ氏
「『ホドロフスキーのDOMMUNE』【前編】『ホーリー・マウンテン』で細胞が異形の分裂を遂げるような衝撃を受けた」からの続きですので、前半からお読み下さい。
チリの映画作家アレハンドロ・ホドロフスキー監督(85歳)が4月23日、ライヴ・ストリーミング番組DOMMUNEに出演。映画評論家の滝本誠氏、久保玲子氏、プロレスラーのザ・グレート・サスケ氏、そして美術家/ドラァククイーンのヴィヴィアン佐藤氏とともに登壇。DOMMUNE主宰の宇川直宏氏も加わり、配給のアップリンク代表・浅井隆を司会にトークが行われた。
番組中盤、ホドロフスキー監督が会場に登場すると、まずJON(犬)のオルガン演奏と、メガネ&アンダーウエアのポールダンスによるパフォーマンスが行われた。
【後編】ホドロフスキー監督、DOMMUNEに登場
JON(犬)とメガネ&アンダーウエアによるパフォーマンス
JON(犬)
今の人生を別の角度から見るようになった
(ホドロフスキー監督)
浅井:最初に監督への貢物として、JON(犬)によるオルガン演奏と、メガネ&アンダーウエアによるポールダンスのパフォーマンスを観てもらいました。いかがでしたか?
ホドロフスキー:とても魅力的でよかったと思います。
ヴィヴィアン:私がどうしてこういう生き方をしているのか、なぜこういう人生を歩んでしまっているのか、他の生き方があったんじゃないだろうか。それがいちばんの謎だし、いちばんの不思議なんです。監督のこれまでの作品をずっと観ていると、撮っていないときもずっと続いていると思うんです。大きな四次元とか五次元の作品があって、そういったものに触れると、自分の生き方が間違ってなかったと、すごく癒やされます。チリも行ったこともないし、監督とも世代が違うんだけれど、非常に感動して泣いてしまいました。自分の問題としてこの映画を観ました。
ホドロフスキー:ありがとうございます。
DOMMUNEのスタジオにて 右より、ヴィヴィアン佐藤氏、久保玲子氏、滝本誠氏、通訳の比嘉世津子氏、アレハンドロ・ホドロフスキー監督、ザ・グレート・サスケ氏、浅井隆
久保:2003年にパリのお宅に取材でうかがったときに、お父様やお母様のことは映画のなかにたびたび登場していますが、「チリの時代のことと両親とはもう決別した」、とおっしゃっていたんですけれど、今回はお父様やお母様を映画のなかで生き返らせて再会する、という作品を撮られています。監督は「これまで何度も死んで、生まれ変わっている。新しい生が始まったことが何回かある」とおっしゃったんですけれど、今回の映画も作品を通してまた生まれ変わられたような感じがあるのでしょうか?
ホドロフスキー:もう一度生きる、というよりは、今の人生を別の角度から見るようになった、ということです。両親と絶縁すると、両親の精神からも切り離されます。でも、自分の一族が何を現しているかということはずっと変わっていくのです。そして、内なる人物、自分というものは変わっていきます。それは、タロットと同じです。例えば、始めはあまり好きでないカードとか恐怖を与えるカードでも、研究していくと、そのカード自体が寛容や優しさを示してくれることがあります。ですから、あなたの家族のイメージというのは鏡のようなものです。理解しながら、許しながら、そしてどんな人だったというのを発見していくのです。人間特有の痛みを持ちながらあなたが苦しんだのなら、彼らも苦しんでいる。あなたが価値を持っているのなら、あなたの両親も価値を持っている。なぜかというと、彼らはあなただからです。生き直すというよりは、もう一度作ったということです。
映画『リアリティのダンス』より
滝本:昨日の取材の際に監督に占っていただいてから、あのカードを並べてみて、撮影したんです。それを壁に貼りました。おそらく僕の生きるのはあと4、5年かなという気がするんだけれど、その間それを支えにします。パワフルで、ありがとうございます。
ホドロフスキー:タロットはとても神秘的です。およそ1,000年くらい前に作られたものですけれど、あの絵の中に、まるでお守りのように隠された意味がすべてあります。一枚一枚のカードがヴァイブレーションを持っているわけです。それをあなたの家に貼ると、家が浄化されるということです。
ホドロフスキー:(ザ・グレート・サスケ氏に)先に質問してもいいですか?プロレスはあなたの個人的な職業ですか、それとも人生そのものが闘いだと思いますか?
サスケ:おっしゃる通り、人生自体が闘いだと思います。
ホドロフスキー:そうすると、いつ人生を愛するようになるのでしょうか。
サスケ:すごく難しいですね。それを今探しているのかもしれないです。
ホドロフスキー監督とザ・グレート・サスケ氏
ホドロフスキー:でも可能です。私もいろいろな側面がありました。アートのおかげでとても困難な人生を送っています。メキシコでは刑務所に入れられましたし、ほんとうにうまくいかなかった。でも最終的に、良くなるためにそういうことが起こったと分かりました。ですから、あなたがもし闘いに負けても、それもいいことなのです。どう思いますか?
サスケ:どうして監督は、私が今まで生きてきた人生の中身を全部ご存知なのですか、全部お見通しにされています。
ホドロフスキー:メキシコにはブルー・デモンというとても有名なルチャドール(「プロレスラー」のスペイン語)がいました。でも本当の顔は誰も知りませんでした。いつもマスクをしていました。ほとんど政治的な存在にまでなっていました。でも私を感動させたのは、亡くなったときの写真です。そのときもマスクをしていました。息子が同じマスクで最期のお別れをしにきました。そして息子も父親と同じように闘っています。本当の姿は誰も知りません。あなたはどうですか、マスクを取ったときはどのように感じますか?
サスケ:自分自身じゃないような気がします。
ホドロフスキー:マスクはとても魔法的・魔術的ではありませんか?
サスケ:ですからメキシコ人の多くのルチャドールが被っているのだと思います。(監督とのトークを独占しているので)こんな贅沢な時間を過ごさせていただいてよろしいんでしょうか?!
ホドロフスキー:では、マスクの説明をしていただけますか。黒に赤が入っていて、シンボルがあります。
サスケ:これは日本の伝統の歌舞伎のメーキャップです。
ホドロフスキー:どんな人物ですか?
サスケ:これは歌舞伎のなかでも主人公がする化粧です。
ホドロフスキー:このような姿を見るのがとても嬉しいです。マスクをしたら神ですね。
サスケ:いえいえいえ!
ホドロフスキー:私はとても幸せです。彼女(ヴィヴィアン佐藤氏)も、エンジェルのような髪の毛で、神だと思います。それは別にごまかしているわけではないからです。あなたたちふたりは、それが魂のマニュフェストなのです。マスクというのは、洋服の理想型です。全ての人間性というのをマスクが全部食べてしまう。私はそういうことを人形劇で学びました。人形を動かすと、指だとこうなります(人形劇のように手を動かしながら)「元気ですか?」。私の魂は指に宿ります。この指が私以上に存在感のある人物となるのです。それは、魂の投影と言えます。そしてあなたが誰かを愛するときに、その愛するだれかは、あなたよりもあなたかもしれません。分かりますか?ですから私と私の妻は、彼女は私以上に私です。彼女なしでは生きられません。
パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー:(客席から)私もそうです。
パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー
ホドロフスキー:だからマスクなしでは生きられないと思うし、カツラなしでは生きられないでしょう。
ヴィヴィアン:カツラは私以上に私です。化粧はすればするほど裸になって皮膚を裏返しにする。本来の自分に戻るんです。
ホドロフスキー:そうです。
サスケ:『サンタ・サングレ』でアレナ・コリセオというプロレスの会場が出てきますけれど、プロレスの映画を撮るつもりはないでしょうか?
ホドロフスキー:できればやりたいと思いますよ。
サスケ:ぜひ出させてください!『リアリティのダンス』についてですが、キリストの像がピストルで破壊されたり、南米はカトリックのはずなのに、あの教会はたぶんプロテスタント系だと思うんです。それから図書館でみんなで本を見ているときに、図書館の門にフリーメイソンのマークが大きく掲げてありましたね。監督の宗教的立ち位置というのは何でしょうか?宗教に対する考えを教えてください。
ホドロフスキー:私はどの宗教にも立っていません。どの宗教にも価値があると思いますし、それでもその強さや神秘を超えるのが宗教だと思います。でもその強さというのは、すべての人々のためで、ひとつの宗教のためではないと思います。そしてその力はあなたの中にあります。みなさんの自分の内にその強さがあるのです。(目の前のボトルを指して)このボトルのなかにもその力はあります。ですから、あなたの中にその力があるなら、誰かに癒してもらう必要はないのです。神父もいらないですし、教会もいらない。教会というのはあなたの体で、心臓は神として「ここに私がいる」と脈打っています。私は神を信じてはいません。知っているからです。
サスケ:『エル・トポ』の名ゼリフ、「ソイ・ディオス=私は神だ」、私は17歳の高校生のときに観て、これをずっと今まで唱え続けて生きてきました。これからもそのように生きていきます。ありがとうございます。
ホドロフスキー:私が考えるに、プロレスは誰かを殺すためのものではありません。「私は神だ」「あなたが神だ」ということを示そうと、もしあなたが神を見つけられたら、私はそれにかしづきます。もしあなたが見つけられなければ、私があなたに勝つ。そういう風に私はプロレスを見ます。どうですか?
サスケ:まったくその通りです。全てお見通しですね。
映画『リアリティのダンス』より
ホドロフスキー:素晴らしいことだと思います。いつも革命的であったので、メキシコ中みんなエル・サント(国民的英雄のルチャドールで、「聖人」のスペイン語でもある)が好きで、『サンタ・サングレ』のなかにひとりデ・マス・サンタという登場人物がいます。彼女は両性です。ですからメキシコに対してひとつの挑発をしたのです。サントという男性形はあってもサンタ(スペイン語では男性名詞と女性名詞を明確に分けている)という女性形はないからです。タロットは教皇がいて、女教皇もいます。ですから、サント=聖人もサンタ=女聖人がいていいはずです。ですから私はいつも頭のなかで、イエス・キリストと聖母マリアの喧嘩をイメージしています。あなたはもし聖母マリアと闘わなければいけなくなったとしたらどうしますか?
サスケ:逃げますね。
ホドロフスキー:それはお母さんが怖いということですね。
歳をとるのはとてもいいこと
(ホドロフスキー監督)
久保:2003年にお会いしたときとほとんどお変わりないですね。
ホドロフスキー:少し歯が減りました。ウエストも太りました。腰にインプラントを入れています。いくつかの部分は変わりました。でも内面は同じです。少し外に開けたかなと思います。人生は経験だからです。毎日新しい経験、ひとつの経験が増えていきます。歳をとるということは非常に素晴らしいことだと思っています。ミケランジェロに聞いた人がいました「いつになったらあなたの彫刻は最高だと完成形だと思えるようになるのか」。いちばん高い丘の上に置かれたときか、それを落として転がり落ちて下に落ちて、いくつか欠片が無くなっている。無くなっているものが悪くて、残っているものがいいんだ、という。それは年齢と同じです。
みなさん若さから転がり落ちていきますが、たぶん幻想や間違った考えもどんどん失っていくと思います。社会はこうだと思っていた概念も壊れて落ちていくかもしれません。あなたの中の私という部分も落ちていくかもしれません。最後に残るのが、あなたそのものです。人生というのはいつも何かを追っています。でもあなたが追っている何かは実はあなたは既に持っているのです。つまり犬が自分の尻尾を追いかけているようなものです。ですから、それを追うのを止めればいいのです。そこで前進できるのです。歳をとるのはとてもいいことだと思っています。この経験から何も問題はないということが分かります。困難はあります。それでも困難はあなたをもっと強くするためのものです。ですから、それもいいものなのです。それが私の答えです。
映画『リアリティのダンス』より
久保:実はパリにうかがったときも、タロットの開発についてお話されていて、ご自分でお作りになったタロットを見せていただいて、早速ここのショップで売ってるよと教えてくださったところに行って買って帰ったんです。それを隣にいる滝本さんにプレゼントし、ヴィヴィアンさんに7、8年前に初めてゆっくりお会いしたときも、ゴールデン街でタロットを占ってあげると紹介していただいて、一緒に行ったのが初めてでした。それで今日演奏をしたJON(犬)さんに占ってもらったのです。
ホドロフスキー:タロットがどういうものかよく分かっていらっしゃらない方もいらっしゃると思います。タロットは将来を占うためのもではありません。現在は見えるかもしれません。少し過去も見えるかもしれません。しかしタロットはあなたの意識をもっと開発するためにあるのです。78枚のカードがありますが、一枚一枚何を意味しているのか、たぶんご存知ないと思います。テレビゲームみたいなもので、タロットもどこに押せばどうなるのか探さなければいけないのです。ひとつの部分ではなくて、全体として何なのかということを78枚ぜんぶで見ることができます。とても小さなひとつの印があなたを導いてくれるのです。それが何かということは、あなたが自分で発見しなければなりません。私はそのために20年間かかりました。
初めは部分的に見ていたタロットですが、そのうちにこのタロットを全体として見るようになりました。真ん中に世界のカードがあって、東西南北の方向の4方向に4つの要素がある。小アルカナ(タロットの1組78枚のうち56枚を構成する組)だけ並べたり、大アルカナ(タロットの1組78枚のうち、22枚を構成する、寓意画が描かれたカード)だけ並べたりしていきながら、ある日全体がまるで曼荼羅のように見えて分かったのです。
ですから、タロットというのはバラバラにではなく、楽器ひとつひとつが集まって全体で音楽を奏でるオーケストラのように見ていくと、もっと面白くなると思います。人はいろいろな部分を持っています。例えば考えて話す人、感じて愛する人、欲してそれを持とうとする人。そして闘う人。知性、心、セックス、肉体と4つの部分が全て魂というもので繋がっているのです。知性は考え、心は感じ、セックスは欲し、肉体は行動する。4つの言語が人間には備わっています。しかしその4つは互いには理解できません。ですから意識が知性と話し、感情に対して解釈し、感情が欲望を解釈し、そして欲望が肉体を解釈する。すると突然私の目の前にいる人を理解することができるのです。
タロットは大アルカナが22枚あります。でもそのなかで数字を持たないFOOL=愚者というカード、それはトータルなエネルギーです。そのゼロから最後の世界にまでエネルギーが行くのです。その間の人は全てが世界なのです。エネルギーが世界に向かうのです。並べ方によって、あと20枚のカードが真っ直ぐに進むのか横道に逸れるのかを示してくれます。それは20枚づつ分かれて見ることができます。はじめの10枚はとても明らかです。ふたつめの10枚のセットはとても暗い感じです。初めの10枚というのはまるで手の10本の指のようです。そしてふたつめの10枚は足の指のようで、少し暗いです。このように、タロットは占いの道具ではないのです。
いろんなところに種を撒いていけばいいのです
(ホドロフスキー監督)
ヴィヴィアン:『DUNE』では、登場人物のポールが殺害されたあと、人類の精神となって他人と個人の境界がなくなってしまう、『リアリティのダンス』だとホセさんがそのような役割です。その人物の特殊性について教えてください。
ホドロフスキー:だから『DUNE』でポールが亡くなると、みんながポールになるのです。私の父が拷問されているときに誰がドン・ホセか、それは私の父だ。ではドン・ホセとは誰なんだ。君の父親でもあり、君の息子でもある、つまりドン・ホセは君だ。ドン・ホセは君であり私であり、みんなだ。私はドン・ホセを愛しています。それが全体性というところに辿り着いたときに、あなたがみんなを愛さなくても、愛さないということはただひとつの部分だけ愛すわけにはいかないのです。短いお話があります。ある人が自分の影に恋をしました。いつも自分の影がいちばん長いときに会いたいと、でも影を愛するということは、その人のひとつの部分を愛するということです。それは幻想です。それが全体性になって初めて客観的な愛になるのです。
(観客からの質問):日本では60年代後半から70年代前半にかけて学生運動に影響を受けた前衛映画が撮られましたが、監督は学生運動から影響を受けましたか?
ホドロフスキー:歴史のどのときでもあなたは歴史の影響を受けるのです。1968年のメキシコのトラテロルコの大虐殺のとき、私はメキシコで劇作をしました。1,000人も2,000人も亡くなったという三文化広場を少人数でバスで移動していたとき、道路には何も聞こえなくなっていました。沈黙のなかで私たちは何が起こったのか分かりませんでした。その後に軍のバスや警官たちが私たちを迂回させました。ようやく劇場に着いたときに、恐怖を覚えました。その時に分かったのは、人は動物みたいなものだということ、自分がどう説明していいか分からない感情があるということです。人は眼で見るよりももっと見ることができるし、耳で聞くよりももっと聞けるはずです。私たちの無意識的な認識にはまるで限界がないからです。それが分かるのが、大きな災害や大きな悲劇に出会ったときです。
浅井:最後にDOMMUNEの主宰者の宇川君から監督への質問をお願いします。
宇川:はじめまして、僕は14歳の頃から監督の作品に慣れ親しみ『エル・トポ』さらには『ホーリー・マウンテン』を観て衝撃を受けて、その作品に影響されて現在のようなエクストリームな人生を送っております。そして今までの人生において映像表現やインスタレーション、グラフィック作品をたくさん作ってきたのですが、それを突然すべて断って、ここ4年間まさに『エル・トポ』の穴蔵のような地下世界に篭って、日々ライヴ・ストリーミングを繰り返しております。そして更に様々なアート表現に触れ、たくさんの人やものや作品に影響を受けていま自分はここに立っています。このライヴ・ストリーミングを現在僕はライフワークにし、この行為自体を僕自身はアート表現だと捉え、提唱しています。そして撮影/配信した番組達を、僕は文化遺産だと考え、日々アーカイブとして蓄積しています。これはテクノロジーの発展にともなって、自分がメディアアーティストとして、いま現在、他の仕事を断ち切ってでもやるべき表現だと、使命感を持って取り組んでいますが、例えば映画表現においてもカメラやフィルムそして映写機というエジソン以降発明されたテクノロジーの上に成り立っていると考えられます。けれど、テクノロジーというのは常に消費を前提に存在しています。そんな葛藤を踏まえつつ、僕はテクノロジーをアート表現の味方につけているつもりでいるのです。本当に100年後にもアウラを放ち、普遍的な価値を持った作品を生み出せているのかどうか?たまに自問自答しています。
宇川直宏氏
ホドロフスキー:それで質問はなんですか?
宇川:そこで監督、果たしてアートとは何でしょう?
ホドロフスキー:アートは、光る虫を飲み込んだカエルのようなものだ。
宇川:なんですか!どんな暗喩があるんですか。
ホドロフスキー:カエルは大きな口を持っています。そして暗いところに住んでいます。月が欲しいと月に憧れます。ですからそこにホタルみたいな光る虫がいますね。そうすると光っているがゆえに食べるわけです。そしてそれはまるで光を取りに行こうとするアーティストのように、それを消化します。それでウンコとして光る作品を出すのです。でもそれは月ではありませんが、月のような、謙虚な排出物がアートです。
宇川:ハードコア・ピュアネス・グロウ・シットがアートなんですか。
ホドロフスキー:今あなたがやっていることをもし理解できなくても、それは心配しなくていいと思います。豚がいます。でもその豚をバカにしないでしょう。ですから、消化できないような種をその豚にあげてください。何の役にも立ちません。でも長い時間をかけてウンコが出たら、それが豊かな土壌を作るかもしれない。ですからいろんなところに種を撒いていけばいいのです。分かろうが分かるまいが。
宇川:ありがとうございます!ホドロフスキー監督に拍手を!!
ホドロフスキー:アリガトウ!!
(構成:駒井憲嗣 写真:西岡浩記
2014年4月23日東京・DOMMUNEスタジオにて)
『ホドロフスキーのDUNE』より
『ホドロフスキーのDUNE』
2014年6月14日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開
1975年にホドロフスキーによって企画されるも、撮影を前に頓挫したSF大作、ホドロフスキーの『DUNE』。「映画化不可能」と言われた小説、フランク・ハーバートの「DUNE」を原作に、そうそうたる面子をキャスト・スタッフに配し、莫大な予算と、12時間にも及ぶ上映時間を予定していたというその企画は“映画史上最も有名な実現しなかった映画”と言われ、伝説となっている。本作は、ホドロフスキー版『DUNE』の顛末と、ホドロフスキー、プロデューサーのミシェル・セドゥー、ギーガー、『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフン監督等のインタビュー、膨大なデザイン画や絵コンテなどの資料で綴る、驚愕、爆笑、感涙のドキュメンタリーである。
監督:フランク・パヴィッチ
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン
(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)
配給:アップリンク/パルコ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/
▼『ホドロフスキーのDUNE』予告編
『リアリティのダンス』より
『リアリティのダンス』
2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開
1920年代、軍事政権下のチリ、トコピージャ。幼少のアレハンドロ・ホドロフスキーは、権威的な父と、そして息子を自身の父の生まれ変わりと信じるオペラ歌手の母と暮らしていた。ロシア系ユダヤ人であるアレハンドロは学校でも「みんなと違う」といじめられ、世界と自分のはざまで苦しんでいた……。青い空と黒い砂浜、サーカスに空から降ってくる魚の群れ、青い服に赤い靴。映画の中で家族を再生させ、自身の少年時代と家族への思いを、チリの鮮やかな景色の中で、現実と空想を瑞々しく交差させファンタスティックに描く。
監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演:ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー
音楽:アダン・ホドロフスキー
原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)
原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)
(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)
配給:アップリンク/パルコ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/
(c) "LE SOLEIL FILMS" CHILE・"CAMERA ONE" FRANCE 2013