自分は大学をドロップ・アウトした人間だけど、無事に卒業した友人たちは就職して数年が経った。
あと数ヵ月もすれば、ほとんどが
「アラサー」
という呼称で呼ばれるようになる私たち。
photo by Andi Licious
Facebookを開いてみれば、海外に住んでいた時に知り合った友人や、小学校時代の同級生たち数名が、婚約したり籍を入れたり、結婚式を挙げたりしているのをタイムライン上で確認する事が多くなった。
そんなに多いわけでもなく、まだ小さな波が打ち寄せて去って行ったほどだけれど、彼女たちが写った写真を見ていると、
「もう、皆そんな年頃になったんだな~。早いなー。」
としみじみ思うようになった。
そんなおめでたい友人たちとは裏腹に、真逆な現実も私は今年になって知ることになった。
相次ぐ知り合いの不倫や離婚騒動。
様々な色とりどりの幸せを見て、それとほぼ同数の深く暗い現実を知る。
いつぞやは愛を語らい、永遠の愛を誓い合ったはずの二人も、時が経ち別々の道を歩むと決めたとなると、
「ああ、あの時誓った言葉は"嘘"だったんだ。」
そういう感情や発言が出てきてしまうのも自然な流れなのかもしれない。
言葉を発した本人としては、「当時」は本当に相手のことを想い、愛していたからこそ告げた、嘘偽り無い間違いなく本物の「愛のコトバ」。
けれども時が経ち、事情が変わるのと同時にその「愛のコトバ」が「偽りのコトバ」に変化することとなった。
当時はホンモノだったはずの気持もニセモノとして認識されてしまい、当人がどれほどそれを訴えかけても時すでに遅し。相手は、心を固く閉ざしたまま。
「あの時は本当に愛していたんだ。」
という言葉でさえも、冷たくあしらわれて無効と化す。
自分も今まで付き合ってきた男性陣に散々「好きだ」と言っていたけれど、付き合っていた当時その言葉を発した自分の心は、確かに相手を想って告げていたのは事実。
「じゃあ今は?」
と聞かれると、私の心は全く別の誰かに向っていて、今はその人物に対して「好き」という言葉を告げている。もちろん本心から。
もし私が過去の恋人たちに、
「あの言葉は嘘だったんだな?!」
と問われたとして、どれほど私が否定しようとも、相手が嘘だと信じてやまないだろうと思った時は、もう潔く「嘘だった」と認めてしまったほうが楽なのかもしれないと思った。
花の色は うつりにけりな いたづらに
ならぬ
人の心は うつりにけりな いたづらに
だから「愛は時に残酷だ」なんて人々は言うのかもしれない。
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