世界ナゼそこに?日本人SP「秘境の島国スリランカ&ドミニカで暮らす日本人」 2014.05.19

あ〜ついに一本釣りのこれ。
頑張れ。
危ないこけちゃった。
スリランカに行くには意外にも直行便がありました。
そうして着いたのがインドの右下に位置する小さな島国それゆえ人口密度も日本とほぼ同じくらいの国なんです。
そんなスリランカでいきなりすごいっすよ!なんと商店街の中になぜか象の大群が。
ゆうゆうと我が物顔で闊歩しています。
しかもこちらのお店の前を通るときは店スレスレ。
そしてこの象たちの行き先は商店街を越えた先にある川でした。
実はこの近くに象の飼育施設がありタダで象が見られるなんてちょっと羨ましいですね。
結構4〜5人…5〜6人か。
実はこの棒の上に座ったおじさんたちはその名もこれはスリランカの伝統的な漁法。
足を直接海水につけないことで魚たちが警戒せずに寄ってくるためよく釣れるんだとか。
でもちょっとお尻が痛そう。
こんなの釣れるんだ。
え〜っ!次々と魚を釣り上げていく漁師さんたち。
と思っていたら…。
お昼前なのにもう漁が終わってしまったようです。
という漁師さんたちの今日の獲れ高を見せてもらおうとしたところ…。
なんとポケットから無造作に魚を取り出しました。
さてここで本題。
いったいどんな人物なのか?その日本人が住む街は最大の街コロンボから南に200kmも離れた辺境の地。
日本人が住んでいるという辺境の街ゴールに到着この街に住む日本人妻とはどんな人物なのか。
早速なんと親切なこの人がマサコさんという日本人を電話で呼んでくれるといいます。
この赤い三輪タクシーに本当に日本人が乗っているのか?
(スタッフ)ご主人様。
はいそうです。
タクシーの運転手さんと間違えてしまったこちらの方がタクシーとして使われることが多いオート三輪車を自家用車として使っていたんですね。
そしてこの2人には子どもたちが…。
ママ抱っこ!サハンです。
サハン君です。
(スタッフ)4歳ですか。
はい。
娘の璃楽です。
こんな大きな娘さんがいるのならかなりと思いきや…。
聞けば雅子さんは16年前の最初の結婚で長女の璃楽ちゃんを出産。
離婚後璃楽ちゃんを引き取り6年前に再婚して2人の子どもが生まれ現在一家5人でここスリランカに暮らしているそうです。
一見幸せそうに見える雅子さん。
しかし雅子さんは長年ある病を患っているといいます。
その病とは…。
難病…。
それが雅子さんが今も抱えている病の名前。
11歳のときに発症して以来これまでも急に頭皮が腫れ今後も突然健康に見える今でも完治はしていません。
またいつ発症し自由が奪われるのか。
まったくわからない状態だといいます。
雅子さんの朝は子どもたちを起こすことから始まります。
しかしなかなか起きないのでまずは4歳の長男ルワン君がこれがいちばん効率的なんだとか。
(スタッフ)なかなか目が覚めないんですね。
作っているのは器用に弁当箱に詰めていきます。
そして子どもたちを学校まで車で送るのが毎日の日課。
学校に到着。
すると長女の璃楽ちゃん着いてすぐに友人たちから熱い挨拶。
すっかりとけ込んでいますね。
野菜の品揃えは日本とほとんど同じ。
スリランカは降水量が多いためどの野菜も日本の半額程度のお値段。
安いのでついつい買いすぎちゃうこともしばしばあるんだとか。
それでも20種類買ってもわずか700円で済むのが物価の安いスリランカのいいところ。
そして帰宅後すぐに雅子さんは買ってきたばかりの野菜や果物で早速このジュースが学校から帰ってきた子どもたちに大人気。
トマトにイチゴパイナップルをメインに使った栄養たっぷりの家族5人でこのジュースを飲むのが日課。
そのこだわりは…。
毎日のように作るジュースやお菓子はすべて健康に配慮したものばかりなんだそう。
そう一見健康そうに見えますが彼女は今もところで夫のサマンさん今日1日ずっと雅子さんと一緒にいましたが仕事のほうは何をやっているんでしょうか?これまでの2年間雅子さんの貯金を切り崩して生活してきましたがそれももう残りあとわずか。
それどころか…。
そもそも今のこの経済的ピンチはこの話になるとふだんは幸せそうに見えた雅子さん夫婦ですがいったいそしてそもそもいったいナゼ雅子さんは深刻な難病を抱えながらもこのスリランカの奥地に来ることになったのか?その裏には何かを得るために何かを失った…。
その涙には驚きの悲しい理由が…。
あのとても幸せそうな家族の映像を長いこと見せられて…。
正直ついていけないです…。
この展開ないよね。
はい。
ていうこともあるかも…。
難病を抱えながらなぜかスリランカに嫁ぎ3人の子どもを育てている日本人妻。
しかしそもそもいったいナゼ雅子さんは深刻な難病を抱えながらこのスリランカの奥地に来ることになったのか?その裏には何かを得るために何かを失った…。
おとなしいけれど芯の強い女の子でした。
そのぶん母親は彼女をかわいがり雅子さんはいつしかお母さん子に。
しかしそんなかわいらしい少女がまだ11歳だったとき突如とんでもない不幸が襲いかかったのです。
それはある日の朝のことでした。
更に…。
足に力が入らず立つことさえできなくなってしまったのです。
すぐにお母さんとともに病院へ。
診断は難病神経伝導に異常が起こり放っておけば…。
他にも髪が抜け落ちるなど体のいたるところに異常が発生。
動くこともままならない状態が続き小学校の高学年から中学にかけては何度も何度も同じ苦しみが襲ってくるのがこの病気の恐ろしい特徴。
それでも卒業直前でまた病状が悪化し入院。
結局どこにも就職もできずアルバイトをして過ごすことに…。
しかしそのアルバイト先でその1年後24歳のときにはその人物と結婚を誓い合うまでの間柄に。
これで結婚式を間近に控え再び新婚とは名ばかりのしかしそんななかでやっと朗報が…。
新しい命を宿したのです。
信じられない言葉でした。
しかし彼女の決断は…。
そのとき雅子さんが下した決断が思わぬ悲劇をまねくことになったのです。
雅子さんが新しい命を身ごもったとき医師から…。
と非情なまでの宣告を受けてしまいました。
そのとき下した彼女の決断は…。
これまでしかし体に宿したそんな彼女の気持を理解し応援してくれたのがお母さん。
出産がうまくいくようにと子宝を授かった愛娘のためできることすべてを母がしてくれたのです。
更に夫の支えもあり彼女はそれが長女の璃楽ちゃんでした。
しかし出産後再び病状が悪化。
家から一歩も出ることができなくなり夫に負担ばかりをかける毎日に。
それが精神的にも耐えられなくなっていったといいます。
その後は病気を抱えながらシングルマザーとして子育てに励む日々。
体調が悪くなり仕事ができなくなったときは実家の援助でなんとかしのぐ生活でした。
そう強く思うようになった雅子さんに思わぬその始まりはある日街を歩いていたときにふと目についたアーユルヴェーダという見慣れない看板がきっかけでした。
日本でアーユルヴェーダといえば額や体にオイルをたらすエステのようなイメージですが本場のインドやスリランカでは長い年月をかけて完成された体にしみこませることで体質を改善していこうという東洋の医学。
この伝統医療に取り組んだ雅子さん。
すると…。
そしてその効果にのめりこんでいった雅子さんはある決意を固めたのです。
そう雅子さんは子どものためにもただその一心でした。
ところが勉強漬けの苦しい日々のなかでも再びなにかにつけてその人物こそ雅子さんが通っていた学校で職員として働いていた現在のご主人雅子さんが研修を終え日本に帰国すると…。
その情熱に心を動かされやがて雅子さんもやがて立て続けに2人の子宝にも恵まれました。
そんななかこれまで難病に苦しめられ続けてきた雅子さんに芽生えたある想い。
それは…。
そんな思いから一家は意を決し雅子さんは早速日本で貯めた貯金をはたき言葉がわからないためそして建築資金としてところがこのあと雅子さんを信じられない悲劇が襲ったのです。
えぇ!?医療施設建設のためところがここから大金とともに急にいなくなってしまったのです。
えっ?なしのつぶて。
雅子さんは異国の地でどうすることもできませんでした。
実はその頃夫のサマンさんは…。
陣頭指揮を執っていた夫のサマンさんがいなくなった結果大工たちも来なくなりそのまま2か月が経ちそう雅子さんが思い始めた頃事件が…。
ある日のこと。
突然帰ってきた夫のサマンさん。
しかしその目的はなんとお金でした。
残り少ない生活費をも彼女から奪い去っていった夫。
その後もお金がなくなるたびに家に現れ金を持ち出しては雲隠れ。
悪夢のような日々が半年も続いた結果…。
しかし…。
実はこのときお母さんにある不幸が。
それは…。
なんと最愛の振り返れば病院まで抱きかかえるように運び込んでくれ全国から薬を取り寄せ励まし続けてくれました。
そんな最愛の人のお母さんが余命1か月の宣告を受けて以来雅子さんは感謝の気持を込めてひたすらお母さんの看病に必死にあたりました。
それでもお母さんはついに帰らぬ人に。
しかしこのお母さんの死と今夫婦が一緒に暮らしていることはどうつながっていくのでしょうか?実はその後雅子さんは土地と建築途中の施設を売りに出し子どもを3人連れて隣町のゴールに引っ越していました。
夫抜きで子どもたちと親子4人で再出発することにしたのです。
ところが引っ越ししてまだまもない頃。
また夫のサマンさんが現れました。
お金が尽きて悪い仲間も離れやっと目が覚めたという夫はやり直したいと何度も懇願。
そんなとき目に留まったのがそこに書かれていたのは…。
それ以来子どものことを考えサマンさんも今では妻の体を気遣いあらゆる家事を自発的にやってくれるようになりました。
現在は夫婦力を合わせてカフェを開きなんとか家族5人幸せに暮らしていきたいと再び前を向き頑張り始めたばかり。
遠いスリランカに難病による度重なる困難にも決して屈せず何度も前を向きたくましく生きる1人の日本人妻がいました。
続いてのナゼそこに?日本人は…。
ドミニカ共和国へは直行便がないため…。
更にそこから南東へ4時間のフライト。
(一同)イエーイ!やってきたのはなんともラテンなノリの漂うカリブ海の島国陽気でとても明るく多くのドミニカ人は非常にフレンドリーです。
ラテンの陽気さと美しいビーチを求めて世界中から観光客の訪れるリゾート地です。
しかしよく見ると子どもたちはビーチでも体をゴシゴシ。
更にあちらこちらで本物の海水をゴクゴク一気飲み!辛くないんでしょうか?やはりハワイやグアムとは趣が異なるよう。
聞き込みを開始しようとしたまさにそのとき!これはいったい?急いで駆け寄ってみると…。
スリを働いたドロボウがすでに警察によって逮捕されたところでした。
実はドミニカ共和国はビーチなどのリゾート観光による収入もあって現在カリブ海諸国第2位の経済大国。
しかし一歩庶民の方々が住む下町に入ると…。
そこには周辺国から貧困者の流入などもありまだまだ激しい貧富の格差が残っています。
そもそも人柄のよいドミニカ人。
多くの労働者たちは真面目に働いているもののあまりの貧しさゆえにドロボウに手を染める者もまだまだ後を絶ちません。
それゆえ取材でカメラを向けても…。
果たしてこんな貧しい一面もあるその日本人がいるというのは秘境ドミニカのなかでも更に奥地にあるハラバコアなる地域。
秘境中の秘境ハラバコアへはバスで首都サントドミンゴからひたすら北上。
はるかなる中央山脈を越えた更に向こう側。
荒野を走ること2時間。
そしてついに…。
やってきたのは島国ドミニカの内陸部に位置し周囲を山に囲まれたハラバコアという小さな秘境の街。
果たしてこんな日本の裏側の…。
早速調査開始!まず街なかを歩いていると…。
なんとこんなところに日本の鳥居?いったいなぜこんな日本の裏側の異国の地に日本の鳥居があるのか?なんとこのあたり一帯にはしかし今ではところが!早速教えられた場所に行ってみると…。
確かに大きな家が。
更に…。
家の表札には確かにアルファベットで「HIDAKA」の文字。
早速お宅へ。
なんでもお二人はこのドミニカで出会って結婚したそうなんですが…。
その後ようやくお家の中へ。
そんな日高さんの家の中には懐かしい足踏みミシンや更にお風呂は五右衛門風呂とまるで古きよき昭和の日本のようなものがゴロゴロ。
(スタッフ)これなんですか?五右衛門風呂?これは五右衛門風呂ですよ。
しかし逆に随分日本とは趣の異なるものも。
そう一見のどかに見えてもドミニカ共和国は日本とは比較にならないくらい泥棒が多い国なんです。
隙を見せたら負け。
物でもなんでも油断した瞬間に盗まれてしまうんだそうです。
実際それゆえドミニカの家はほとんどが柵だらけ。
ベランダも2階もほとんど柵に囲まれまるで檻の中に住んでいるようです。
どの家も泥棒対策として番犬を飼っているのが普通。
それくらい泥棒が多いんだとか。
更に武昭さん屋上で何やら双眼鏡を取り出したのですが…。
あのね…。
霞がかかっとるような…。
なんですか?やっぱほら!あちらの山いっぱいもうあれが…。
まだ行きますけどね。
今日は霞がかっとる。
ずいぶん熱心に別荘を観察する武昭さんですがいったいあの別荘がどうしたというのでしょうか?夜のほうがよく見えるね。
僕がいつも言うんですよ。
ドミニカ共和国では今麻薬も社会問題化しているんだそうです。
しかし日高さんはなんと武昭さん更に…。
孫がおるからね。
なんと武昭さん初対面の我々の前でいきなり涙ぐんでしまいました。
聞けば武昭さん朝食後の日高さんご夫婦すると…。
現れたのは日高さんの長男秀昭さん49歳。
更に…。
こちらがほら名前は?ちょっとハニカミ屋さんのこちらが日高さんの上のお孫さん日高家は長男一家と同居するなんとも賑やかな6人家族。
生粋の薩摩隼人な日高さん。
家庭のあり方には一家言あるようで…。
でしたがひとたび孫を前にすると…。
「ぽっぽっぽはとぽっぽ」「豆がほしいかそらやるぞ」お散歩に行くときも仕事のときもかたときもお孫さんと離れません。
一方妻のミヨコさんは今から食料品の買い出しに出かけるというのでついていくことに。
ミヨコさんがやってきたのは…。
なにやら野菜がたくさん並んでいる場所。
やってきたのはこの街で一番大きい野菜市場。
野菜はすべて重さをはかりグラム単位で値段が決まります。
野菜市場には日本でもおなじみの野菜がたくさん。
これなら結構住みやすいかも…と思いきや意外な事実が。
そうドミニカ人は基本的に肉食文化。
実は今市場に並ぶこれらの野菜はかつてこのハラバコアにいた日本人たちが伝えたもの。
ハラバコアだけでなくドミニカに野菜を食べる文化を広めたのはかつてこの地にいた日本人だったといいます。
ドミニカ人に野菜を食べる文化を伝えたのは本当にかつてここにいた日本人だったようです。
そしてミヨコさんが今日買った野菜はこちら。
日本でもおなじみの野菜がたくさん。
どれも激安です。
と思いきやミヨコさんはなぜか庭へ。
そして…。
そこにあったのは薪?いったい薪で何をしようというのか?向かった先には…。
なんとも大きな鍋。
そして鍋の横にあった材料は豆のようですが…。
そうなんと日高さんのお宅豆腐を定期的に手作りしているんだとか。
ドミニカには豆腐など売っていないため夫婦2人で手作りするしかないんだそう。
昔このあたりに住んでいた人からもらった機械でまずは大豆をつぶして液体状にしていきます。
それを先ほどの薪でおよそ1時間じっくり煮込んでいきます。
そして…。
そして煮えた大豆汁を1滴も残らずよく絞りとり。
できあがった豆乳にニガリの代用品を投入。
豆腐の原料と液体を分離させていきます。
そしてこれを型どり用の箱に流し込み…。
そしていよいよ…。
こちらが日高家自家製の豆腐。
そしていよいよやっとのことでミヨコさん本日買った野菜をまずはたんざく切りに。
そして更に水で溶いた小麦粉。
いったい何を作るのか?今度は野菜を油に投入。
なるほどこれは…。
そう今日のメニューは日本と変わらぬ野菜の天ぷら。
そして夕食が完成。
更に先ほど作った豆腐が入ったみそ汁も食卓に並びます。
ドミニカで食べる天ぷらお味はいかがでしょうか?こちらのおみそ汁豆腐だけでなくなんとみそまで自家製。
日本の反対側で1杯のみそ汁を飲むということは本当に大変なことなんです。
3歳の孫真理ちゃんはおばあちゃんの手作り豆腐が大好物。
おいしいねって言いなさい。
ちょっと待って手をそこにやらないの。
しかしいったい日高さんはなぜこんな和食を食べるのも大変な異国の地ドミニカに来ることになったのか?日高さん今から仕事場に向かうそう。
日高さん重そうな荷物を1人で運搬。
とても71歳とは思えません。
そして…。
向かった先は…。
よ〜く見ると向こうのほうに…。
そう日高さんの現在のお仕事は牧畜業。
先ほどの重い荷物は牛のエサ。
牧場に置いておくと泥棒に盗まれるので毎日日高さんが運ばなきゃならないんだそう。
大変です。
するとなにやら赤い旗を持った人が登場。
これはいったい?赤い旗を持った人にたくさんの牛が群れをなして近寄ってきました。
えっ!?牛を移動?確かに牛は牧場から出て道路に。
赤い旗を持った人が先導して30頭もの牛がどんどん移動していきます。
普通の民家の前を牛の大群が通過。
そしてその後ろにはなんと牛渋滞が発生!その後も牛の群れは道路をひたすら疾走。
住宅街にさしかかるとあちらこちらで街中の番犬が興奮して吠えまくり!それにつられて牛も興奮状態に…。
本当に興奮しちゃいましたね。
こうして牛たちはおよそ2キロ目的地までマラソン。
いったいなぜこんなことをするのか?なんと牧草地が少なくて草が足りないため別の牧草地まで定期的に牛を移動しなければならないんだとか。
しかし日高さんの牧草地が少なくこんな苦労をしなければならないのには…と言う日高さん。
過去に何があったというのでしょうか?一方その頃日高家はここ30年間ずっと共働きなんだそう。
やってきたのはなにやらお店のようなところですが…。
看板には「HIDAKA」の文字。
そうここは日高さんの奥さんが経営する実は妻のミヨコさんはただの主婦ではなくこの店を切り盛りするやり手女社長という顔も持っていたのです。
奥さんいわく旦那さんじゃ甘すぎて商売にならないんだそう。
ミヨコさんの一番重要なお仕事はお金の管理。
こちらのドミニカ人店員たち。
優しくて陽気なナイスガイなんですがやはり完全には信用できないそう。
そして更にそうドミニカ人はツケが大好き。
給料を前借りしてまでなんでもツケで払う人がとても多いんだそう。
そのためツケをしているお客さんに電話で支払いの催促をするのもミヨコさんの大事な仕事。
しかし待てど暮らせど一向に本人が出てきません。
ジョセリンジョセリン!ジョセリン。
呼びかけてみますが完全に居留守を使っています。
ミヨコさん粘って支払うよう説得しますが相手はカメラがいるから出て行きたくないと言い訳をしかたくなに支払いを拒否。
しかし…。
苦労が絶えないように見えるドミニカでの暮らし。
しかしそもそもいったいなぜ日高さん夫婦はこんなドミニカ共和国に来ることになったのか?そこには何かを得るために何かを失った…。
そもそもなぜ日高さんは何もかもが日本と異なるドミニカ共和国に来ることになったのか。
日本の裏側灼熱の国ドミニカに暮らす日高さん。
しかしそもそもいったいなぜ日高さん夫婦はこんなドミニカ共和国に来ることになったのか?そして…。
その裏には何かを得るために何かを失った…。
1942年第二次世界大戦のさなか日高さんはしかし日高さんがまだ15歳だったときいきなりとんでもない人生のいたずらに見舞われたのです。
なんと父が突如そう言いだしたのです。
戦後敗戦国となった日本は植民地を失いその影響もあり日本では600万人を超す失業者が発生し社会問題に。
そして日高さんの父恒安さんも台湾からの引き揚げ者だったのです。
それが…。
昭和32年春。
南米の新天地に新しいふるさとを求めてよりよい生活を切り開こうと望む人々にとって今日はその鹿島立ちの日。
政府は中南米に位置するブラジルやパラグアイなどを日本よさようなら。
それには深い訳が…。
そうキーワードはシラス。
鹿児島の大地はシラスと呼ばれるそれゆえ当時日本のなかでも有数の貧しい県でした。
日高さんのお父さんはそんな状況を打開すべく一念発起。
いつまでもシラスを宿命と諦めていてよいのだろうか?特に鹿児島の人が多かったというドミニカへの移住者たちは皆新天地での成功を夢見て心を弾ませていたといいます。
もちろん若き日の日高さんもその一人でした。
しかし日高さん16歳のとき。
いざドミニカに着いてみると…。
(スタッフ)地獄の一丁目?そうです。
なんとドミニカは地獄だったというのです。
いったいどういうことなのか?それがわかる場所があるというのでついていってみると…。
やって来たのはそこには日系移民のなかでもドミニカに移住した人たちだけが味わったとんでもない悲劇の物語が隠されていたのです。
かつてのドミニカを地獄と呼ぶいったいどういうことなのか?それがわかる場所があるというのでついていってみると…。
やって来たのはお墓でしょうか…。
ここは?
(スタッフ)これ全部日本人のお墓ですか?そうそう。
そうここはかつてこの地にいたという日本人たちが眠っている墓地でした。
ハァ…。
お墓を前に黙祷を捧げる日高さん。
実はそれには訳が。
この…上じゃないかな遺骨は。
(スタッフ)毒でなんですか?自殺というそういうのが頭に…。
更に…。
中にはこの地で亡くなった人たちの写真が。
多くの日本人が日本の反対側この灼熱のドミニカで命を落としたそうです。
これこそが日高さんの言う地獄の正体。
いったいなぜこんなことに…。
実は中米や南米への移住者に対し実際ブラジルなど多くの国ではその約束がちゃんと守られ移住者たちは広大な農地で大規模農業を行いすべてではありませんが成功した人もなかにはいたといいます。
しかしここ日本人に割り当てられたすべての土地にいわば小作農の立場に据え置かれたのです。
しかもその与えられた土地は約束を大幅に下回る非常に小さい土地だったうえに…。
あまりにもつらすぎる毎日。
その結果そして…。
開拓の夢破れた中米ドミニカの移民20所帯100人がうらぶれた姿で暮れ迫る横浜港に帰ってきました。
埠頭は出発のときとは打って変わった寂しい出迎え。
移民たちは騙されたと涙ながらの対面です。
1960年代ドミニカから多くの日本人が離脱してしかし…。
日高さんたちのように船代すら工面できず帰国できなかった人々はその後も度重なる干ばつなどに苦しめられました。
その当時の苦しさを歌った替え歌がこちら。
そんな苦境の中でも日高さんはすると生活も次第になんとか安定。
そしてようやくそれが妻ミヨコさんとの出会い。
彼女もまた鹿児島からのドミニカ移民でした。
日高さんによれば奥さんの奥さんによれば日高さんのひと目惚れにより2人は結婚。
今までにない幸せを噛みしめていました。
しかし1961年…。
するとその後ドミニカは…。
国内の治安は著しく悪化。
そしてそんな環境のなかトルヒーヨ大統領暗殺は日本人移住者に更なる試練を与えることになっていくのです。
そう治安の悪化に乗じて日本人に略奪行為を働く一部のドミニカ人が出現。
ドミニカに残っていた多くの日本人が悩まされたといいます。
しかし武昭さんは他人では思いもよらない究極の策でこの問題を解決。
果たして日高さんが火をつけるような激しいドロボウに立ち向かうためにとった驚きの奇策の正体とは?日本の裏側灼熱の国ドミニカ共和国で暮らす今から50年ほど前日高さんは治安の悪化に乗じて略奪行為を働く一部のドミニカ人のドロボウたちに悩まされていました。
そのとき日高さんは他人では思いもよらない究極の策でこの問題を解決それは…。
まさに毒をもって毒を制す。
こうした奇策で日高さんは地元のドミニカ人たちと次第に仲よくなっていったのです。
確かに日高さんが街なかを歩いていると…。
なんと老若男女とわずハラバコアの多くの人々が日高さんと仕事をするようになり次第にドミニカ人も日高さんのことを受け入れていったのです。
そうすることですべての仕事がうまくいく。
これこそが日本とはまったく異なるここドミニカで日高さんが成功し生き残ることができた秘密だったのです。
そう日高さんは感謝を述べます。
しかし更にもうひとりもっと感謝を述べたい人がいるそうです。
これマミーにやるの。
マミー!はいは〜い!はいはいこれは…。
誰からですか?旦那からですよ。
ありがとう!
(スタッフ)嬉しいですか?そう実は日高さんが花をあげたこの日はバレンタインデー。
ドミニカのバレンタインは日本とは真逆。
薩摩隼人の日高さん。
今まで花をあげたことなんて一度もなかったそうなんですがもうすぐ金婚式ということで花を買うことにしたんだとか。
振り返れば干ばつに襲われたり作物が不作だったときミヨコさんは夫の武昭さんに気づかれないようこっそり自分の着物を処分して生活費にあててくれたりもしたんだとか。
まさに昭和の女のしかし武昭さんそんな妻に対しちゃんとお礼をしたことは一度もなかったんだそう。
涙が出ます。
嬉し涙です。
日本の裏側ドミニカの秘境ハラバコア。
そこに歴史に翻弄されながらも夫婦の愛で苦難を乗り越え未来の世代へと幸せな家庭を受け継ぐひと組の日本人夫婦がいました。
いやホントそうですね。
ここでですね高橋さんと賀来さんからお知らせがあるということで。
6月1日から27日まで東京明治座で『細雪』という舞台が上演されます。
今まで1,400回も上演が続けられております。
昭和初期の大阪船場を舞台にして日本のいいところ桜とかお着物とか…。
きれいな舞台。
2014/05/19(月) 20:00〜21:54
テレビ大阪1
世界ナゼそこに?日本人SP「秘境の島国スリランカ&ドミニカで暮らす日本人」[字]

秘境の島国で暮らす日本人特集。難病を抱えながらスリランカに嫁いだ日本人妻が!カリブ海秘境ドミニカには自らを棄民と呼ぶ日本人夫婦がいた!涙なしに語れない過去とは?

詳細情報
番組内容
ナゼそんなところに日本人が?世界で活躍する知られざる日本人をご紹介。今回は秘境の島国で暮らす日本人2時間SP。
◆インド洋に浮かぶスリランカに、幼少期からの難病を抱えながら嫁いだ日本人女性がいた!3人の子供を育てる生活に密着!幸せそうに見える一家からは想像もつかない衝撃の過去とは?
番組内容2
◆カリブ海の秘境ドミニカ共和国には、自らを棄民と呼ぶ日本人夫婦がいた!過去に一体何があったのか?もう50年以上になるというドミニカでの夫婦生活に密着!涙なしには語れない壮絶人生、その裏側には波瀾万丈の人生ドラマがあったのです。
出演者
【MC】
ユースケ・サンタマリア、杉崎美香
【ゲスト】
高橋惠子、賀来千香子、岡田圭右(ますだおかだ)、小島瑠璃子、たかのてるこ
番組概要
◆「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝」は世界の果てで暮らす、知られざる日本人の活躍に密着!そこから元気や勇気をもらい、日本人としての誇りが持てるドキュメントバラエティ!
ホームページ

http://www.tv-tokyo.co.jp/nazesoko/

ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい

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