徹子の部屋 2014.05.22

中でも特別客室は1車両が1室になっていてプライベートバルコニーや世界的にも珍しいバスタブ付きのバスルームまで備えられています。
運行は1泊2日か2泊3日で京阪神から瀬戸内海沿岸や日本海側を巡る観光専用列車となります。
JR西日本では3年後の春のデビュ
(黒柳)『徹子の部屋』でございます。
今日は昔からのお友達で大変面白い方でいらっしゃるんですけど最近めっきりなんかルックスが見たとこジェントルマンっていう感じ。
昔すごい生活してらしたそうですけど大竹まことさん今日のお客様です。
でなんと!今日がお誕生日なんですってね。
ああ…。
65歳ですって?はい…はい。
お誕生日でいらっしゃるんですって皆様。
おめでたいですね。
さあ今日のお客様大竹まことさん。
65歳のお誕生日でいらっしゃるそうなので私めったにそういうのしないんですけどプレゼントしようかなと思ってねちょっと…。
あなたがお気に召すかどうかわからないんですけどこれ長いものだったらおわかりでしょう何が入ってるか。
ただね…。
ネクタイですか?そうです。
こういう色のものをあなたがねお着けになるかどうかわかんないんですけど絶対紺とかそういうのにすれば間違いないと思ったんですけど違うのにしてみましたんでちょっとご覧いただいて。
プレゼントです。
お誕生日65歳のお誕生日です。
うわー…。
こういうのをこの方がおやりになるかどうかわかんない。
ただねお似合いだろうと思ったんです何かの時に。
今日はちょっとにぎやかにしてみようと思う時に。
上等なものでございますのでちょっとやっていただいても?おかしい?笑ってるから…。
なんでおかしい?あの…大好きな柄で。
本当?これ本当ですか?無理してんじゃ…。
無理してんじゃ…「大好きな柄で」って。
ぜひ本番中に…最後にはこのネクタイになっていようと思っています。
いいですいいです。
でも本当にお使いいただければ何かの折に。
いやいやいやもう…。
今日何かさ若い女の子に会うだとかさなんかそういうような時にちょっとやっていただいたらどんなもんかなっていうふうに思うんですけど。
おかしいですか?ピンクって。
いや…いやいやそうじゃないんですけどね。
こんな年になってテレビでね誕生日なんかをこんなことやっていただけるなんて若い時には思ってもいませんでしたからね。
若い時…お誕生日とかそういうのを一切しない…人のお誕生日もしないようにしてたんですって?はい。
あの…大きい声じゃ言えないんですけど私あの…あまりいい生活してなかったものですから。
ごめんなさいね笑って。
いや笑わないでください。
あの…結構色んな…ま…前に申し上げましたけどヒモだったような…。
そうそう。
ヒモもやってらしたって。
それの時にね誕生日はねダメなんですよ。
そうそう。
大変鬼門。
鬼門でしょ。
色んな事情があってそれからあんまり好きじゃなくなったという。
ですからお誕生日とか何とかっていうと「仕事だから行かなきゃ」っていうふうにマネジャーに仕事を…。
何?何?それはしゃべりましたけどここで言う話じゃないでしょ?だってそれは…。
いけないの?言っちゃ。
そういうふうにしている人いっぱいいると思うわでも私。
急にね「仕事だから」って言う人いるもの何かの時に。
「仕事だから行かなくちゃ」って。
ああいう人はね仕事入れてもらえるようにしてるんだと思いますよ。
あっそうですか。
だからあなたがそうしてらしたからって別に珍しいことじゃないですよ。
今日はこれは裁判でも何でもないですよね?普通の招かれたトークで…。
そうですよそれでいい。
いつものようにしていただければいいの。
ありがとうございます。
それで私驚いたんですけどあなたの息子さんがいつの間にかマネジャーになっていた。
はい。
そこまでは僕も知ってたんですけどお笑い事務所のマネジャーやってるんですけども。
知らないうちに勝手にテレビ出たりなんかして息子が。
そうなんですってね。
大竹マネジャーっていう人がテレビに出たらですね…面白いんですってねその方がなんかね。
音楽やったりなんかする…。
何ていうのこういう…ギター弾いたりとかなんか。
派手に歌ったりピアノ弾いたりしてたっていうのがわかってちょっとびっくりしたんですけども。
そしたらあなたのそれが息子さんでしたってね。
そうですね…はい。
誰か有名人のなんか…芸人の人のマネジャーしてるって。
今ザキヤマさんっていうんですか?ザキヤマ…山崎さんの。
ザキヤマさんのマネジャー。
やらせていただいてるみたいですね。
でも息子さんは割と…30すぎで生まれた息子さんなんですって?なんか。
三十いくつ…5ぐらいでしたかね。
そうですか。
じゃあ可愛がって育てたの?フッ…。
やだお願いフフフッ。
どうしたの?可愛がって…まあ…どうですかね。
まああの…当時僕その辺の頃は細かい仕事たくさんしてたんですよ。
テレビのお仕事の。
でまあ…常滑川まことっていう別の名前でもテレビに出てたりしてね。
ケツとか出してたテレビでね生放送で。
一回ね見たことあるすごかったの。
その時代にある日うちに帰ったら玄関のところで息子がケツ出して待ってたんですよ。
5歳か6歳でしたかね後ろ向いてねこうやって。
後ろ向いてこうやってケツだけ出して笑わせようと思ったのかなんか。
それでまあ色んな商売が子供に影響するんだなってその時思いましたけど。
でもこの頃はやってらっしゃらないからね。
でもあなたはあれですよね色んな人生あったと思いますけどもあなたのお母様はあなたのことをとってもきちんと育てようとなすったって。
教育ママは教育ママだったんですけどね。
でもきちんと育てようとしてくれたんですけどもきちんとは育たなかったんですよね。
フフフ…。
それはまあ育たなかったんだけど。
お子さんの時にきちんとなんか…。
お父様はサラリーマンでらしたのね。
そんなにおしゃべりになる方じゃないんだけどお母様はよくおしゃべりになる方だったんですか?はい。
そうですねだから…おふくろはもうあれですね僕見ててわかるように口から先に生まれたようなずーっと…。
去年亡くなったんですけど。
あっそうなの。
それまでもうずーっと…。
お茶の先生やってたんですけど。
お母様?はいはい。
弟子でも何でも口から先に。
でそのおふくろ見ててああもうやっぱりなんか同じ…。
DNA?ええ思ってましたね。
でもなんか小学生に上がる時はちゃんとセーターもこういうの着て…なんとかしてリュックサック…ランドセルかそういうのしょってって写真がちゃんと残るようなきちっとさせるようなお母様でいらしたんですって?はい。
あの…小学校4年の時にですね髪の毛をポマードで七三に分けられてですね白いセーター着て当時誰もが履いてなかった革靴の長靴みたいなの履いてねそれで学校通わされてましたね。
いいとこの坊ちゃんみたいに?いいとこの坊ちゃんみたいに。
普通のサラリーマンの子なんですけどそういうふうになんか…。
でもお母様そうしたかったんでしょ?見えも多少あったと思いますけどそんなふうに育てられましたね。
でもそれで大学にあなたお入りになろうとしたでしょ?はい。
入ろうとしたんですけどもあの…入らずに。
なん…この…まあ入らなかったのにはねまあ勉強もできなかったんですけども…。
高校の時にね一人女の子が亡くなりましてね。
あっそう…。
高校時代にはい。
それでその子が高校3年の…12月の25日に僕にカードをくれたんですよ。
クリスマスの?クリスマスのカードを頂いたんです。
その子が1月の25日に亡くなるんですね。
でそれの時にね…なんか「すぐ死んじゃうんだ」みたいなことを思ったんですかね。
それでなんか…そのあと受験になるわけですけど。
なんか…勉強もちろんできないんですよ。
その子は病気で死んだの?その方はそうです。
病気で…亡くなったんですけどもね。
そのことかなんかわかんないけどそれからやっぱりなんかちょっとこう…何ていうのかな。
ちょっと虚無的な感じに…若い時には。
でもそういうちょっとデリケートな青年…少年?少年だったんでしょうきっと。
なんかさだってそんなクリスマスのカードをくれた人がもう1か月後には死んじゃうなんてね…。
そんなことって…。
僕も思ってなかったんで…びっくりしちゃってね。
できたらもうちょっと仲良くなるかもしれないみたいなとこもあったんですか?うーんまあ…席は近かったですね僕の席と。
座ってる席とか可愛いね座ってる席が近かったってね。
大人になるとそういうのないじゃない。
でも学校の時ってお席が近かったからとかね隣だったからとか前だったからとかそういうのね…。
覚えてますね。
夏になると目の前の女の子がねブラウスになるんですよ。
それである日それがね真後ろの席座ってたら真っ黒いブラジャーしてたのが映ってね。
本当に?はい。
いやー!ってものすごいびっくりして。
そりゃびっくりしますね。
どういうことだったんでしょう。
どういうことだったんでしょう。
でも当時は女の子たちもそういうのがちょっとオシャレなことだったんじゃないですかね。
でもそんなの後ろで見てたらさ…。
お母様去年亡くなったって仰ったけど何歳で?92歳です。
あっそう…。
もう…うちで葬式やったんですけどもね実家の狭いうちでやったんですけども。
亡くなるまでは…1週間前までは元気だったんで。
あっそう。
はい。
急にだったんで。
とってもなんかお葬式をやってみて…。
これで両親がいなくなったわけですけど。
そうするとなんか不思議なもんですけど人生なんて考えちゃいますよねちょっとね。
はいそうですね。
若い時はね僕はやんちゃだったから今ここでこんなお話なんかね想像もできないですね今ここで話してることが…。
どっかのチンピラになってたんじゃないかなと思ってましたけど。
ちょっとVTRなんですけどこれはね最初に『徹子の部屋』においでくだすった時ね34歳…38歳か。
その時に来てくださった時になんかお話ししてらっしゃるの。
なんかね貧しかった頃のお話だと思いますけど。
ちょっとご覧ください。
「本当は舞台の俳優さんでいらっしゃるんでしょ?」「僕とか風間杜夫とかですね市毛良枝かな?」「あのあたり…養成所にいたんですね」「養成所だったんですよね」「風間杜夫さんと一緒に暮らしてたっていうとあれですけど同じ…下宿してたの?一緒のところに」「そうです。
あのね一緒にねもうすごい生活をしてた」「何畳ぐらいのところに2人でいらしたの?」すごい…途中からこいつこんなリラックスするんだ。
「大体いつも俺と風間と2人だったんですけどね」「いや結構広かったですよ」「8畳か10畳ぐらい奥の部屋があってその手前に4畳半があってその横に2人一緒に入れるお風呂があってですね」「変な言い方ですけど…変な言い方ですけど」「普通そういうとこってお風呂って狭いでしょ?」「一人で入ってこのくらいでいっぱいになる」「そこのお風呂こっからねこのくらいまであるの」「へえー洋風呂?」「洋風呂っていうんじゃなくて温泉みたいになってるの。
風呂がでかいの」「変わってる…」「水入れるのに2時間かかる」「もう靴脱いでるからお入りくださいませどうぞ」「お風呂こうやって入るんです。
こういうふうに入る」「もう一人こっちに入ってんです。
風間か誰か」「あっ本当に?そういう関係にはならなかったんですか…?」「どういう関係になるの?」「一緒にお風呂入ったり…」「ならない。
そんな…」何ですか?こいつは。
最初真面目だったのにあっという間に…。
何だこいつは。
うわー!面白いと思いません?初めてお出になった時ですよ。
でもとにかくああいう生活してらして相当やってたんだけどそのうちに風間杜夫さんが売れて誰が売れてってどんどん売れていって。
でもその頃あなたあれでしょおそば配ったりするような仕事…。
銀座の出前持ちですよその頃。
出前持ち?はい出前持ち。
風間もね売れるちょっと前までは一緒にやってたんです。
今うちの事務所の社長さんやってもらってる人もね一緒に出前持ち…。
でこれね出前持ち仲間が全部で16名ぐらいいるんですよ。
16名ぐらいいる?はい。
16名ぐらいいてこれが今年1回…風間も来ますけど集まって年1回忘年会やったりゴルフ大会やったりマージャン大会…。
昔あの頃面白かったねって?今でもやってるんです。
あっそうなの。
いいですよねそういうのってね。
私大好きよ。
そういうふうにしてみんなが…昔の何かやった時の仲間が集まるのって。
でもね集まるとねやっぱしケンカになるんですよこれが。
なんで?いやなんだかわかんないけどやっぱ気心が知れ合ってるから好きなこと言っちゃうんですよね。
でもその時の銀座のキャバレーやなんかにラーメンを運んだりする時の入れ物がなんかいい入れ物だったんですって?すごく。
割ったら大変みたいな。
益子焼のねすごい…一人で6個持つと重たくてしょうがないんですよね。
だから風間と2人でね持ってくわけ。
そこは本当にいいお店で僕たちみたいな劇団が2つ入ってたの。
八騎人っていうのとそれから僕たち表現劇場っていうんですけど。
でそこが全員出前持ちの…行くんですよ。
それで僕は銀座で…お酒も飲めないし銀座で飲んでたわけでもないんだけど。
銀座のお店…森ビルの何とかに何があるとかJUNKOはここにあるだとか全部知ってんですよ。
出前でみんな回ってるもんだから。
だからピロポはどこにあるとかっていうのも聞かれても…。
ものすごい銀座で遊んでたみたいに思われてんですけどそうじゃなくて出前持ちで…。
輪島とエレベーターが一緒になって。
輪島さんお相撲の?お相撲の輪島さん。
「銀座の出前持ちはオシャレだね」とか言われたりね。
そうなのへえー。
酔ったアイ・ジョージさんに店の中で抱きつかれたり。
あっそう。
遊んでたんだみんな。
あなた方運んでたんだ。
でもあれでしょ風間さんの奥さんっていうのはあなたが紹介してあげたんだって?はい。
当時バイトばっかし転々としててそこになんか風間が来ててそれで…そうですね学芸大学の喫茶店の…。
随分場所が急に…学芸大学?はい。
中野坂上でバイトしてた時はうちの斉木しげるの女房もそこにいてそれも私が紹介しました。
本当に?これシティボーイズの皆さんですけどもそれでその…なんか風間杜夫さんの奥さんはあなたがバイトしてたところにいた女の人なの?そうです女の子でね。
可愛かったんですけどね。
でもそれなんで人に紹介したの?もうあなたは決まってたの?その時自分の奥さんは。
お察しのとおりで。
私はちょっともう手いっぱいだったもんですから。
手いっぱいっていうのも…。
手いっぱいだからうん。
じゃあもう紹介するしかない?いやそういうような…。
そういう意味でもないんですけど。
でもせっかくだからね風間さんにいい奥さんを紹介したほうがいいかなって思って。
とにかくそれでだんだん…さっきすごく貧乏なお風呂は大きいんだけどそこにいた時だんだん風間さんも出て誰も出ていって結局残った3人でもってシティボーイズ作ったんですって?風間が売れてね3人でまだ僕らコントやってた…。
コントで売れなかったんですけど。
風間杜夫が『蒲田行進曲』…。
その前に『娘たちの四季』っていうのであいつ売れるんですけどね。
『蒲田行進曲』っていうのをね僕ら新宿で…。
ビルの上のビアガールのショーに出てた帰りに…。
フフフ…。
ビアガールのショーっていうのがあるの?そこに出て横で泥んこプロレスとか当時はねあって女の人がやってて。
そういうショーに出て帰りに風間杜夫の『蒲田行進曲』3人で見て僕らひと言もしゃべらずに…悔しかったんでしょうね。
ひと言もしゃべらずに帰った記憶ありますね。
あなたときたろうさんと斉木しげるさんと3人が結局残った3人でシティボーイズ作ることになるんですかね。
そうですね。
もうみんな辞めてくんですよ。
272829ぐらいになると家の商売継いだり。
それで売れた奴は風間ぐらいで残りはもうみんな実家がね。
家業を継いだりして。
僕らはうちサラリーマンだし。
つぶしも利かないし。
他の奴は大学出てるけど俺は出てないわけだからもうここら辺しか居場所がなかったんでしょうね3人で。
それでそれがコントでもやるかっていう話に。
なるほどね。
でもあれですよねお母様あなたを大学に入れたいとか色々思ってらしたんだけどそうやってシティボーイズがテレビで中継されるようなことになるじゃないですか。
今はねもう大変…切符も買えないぐらいに。
そういうところまでもお母様見届けてらしたのはよかったですよね。
おやじももっと前に死ぬんですけどおやじも僕のこと随分心配してたんですけど。
黒柳さんと一緒にやったコマーシャル…。
ええ!あるでしょ。
そう!びっくりした今…。
うちのおやじが「息子は外で何やってんだ」と思ってた時にあのコマーシャルでんっ?てなるわけですよ。
あれあなたと最初に…私なんで会ったってあの時あのコマーシャルで会ったんですよね。
あの有名なあの…住宅情報のですよね。
住宅情報の…。
川崎徹さん。
そうそう…。
当時売れっ子のね。
それであなたが「今度のうちには思い切ってしゃちほこ付けてみました」とか何とかってね。
「今度うち買ったんで思い切って屋根にしゃちほこを作ってみました」っていう。
ありましたね。
ありましたね。
あの頃ですから随分前ですよね。
はいそうですね。
だからおやじもそれ見てから亡くなったんでまあまあちょっとはよかったかなと思ってます。
それまでは何のあれもなかったですからね僕は。
じゃああの時よかったのね少しはねあの時ね。
ありがとうございます。
その当時からお世話になってたとは知りませんでした。
今思い出してみたら確かにそうですね。
さてこの前もそうだったんですけど「まことの部屋」っていうのに変貌してですねこの方が私に何か質問なさるってことになってて「まことの部屋」をこれからコマーシャルを挟みましてやらせていただくことになりましたのでよろしくお願いいたします。
じゃあ。
男性遍歴をちょっと伺わなくちゃいけないんですけど。
前出た時は東京ぼん太さんに結婚を申し込まれたとそこまでお話は伺ってるんですけど。
こういう風呂敷ねしょってるあの方。
『大正テレビ寄席』か何かでいつも…。
それはお断りになっちゃった?ええまああの…ちょっとあんまりあの方知らない方ですからねそんなには詳しくはね。
だから結婚しませんでした。
そのあとは渥美清さんと噂に…。
ええ。
噂になりましたよ。
そこはどう…。
仲良かった。
いやもうだって渥美さんが初めてテレビにお出になった時に私が恋人役で奥さん役でっていつも組みたいになってたし『夢であいましょう』でも一緒だったんでしょっちゅうしょっちゅう一緒だったんですね。
だもんで噂になって。
ただ噂になった時にね私はNHKの専属でしたからちゃんとした写真があったんですけど渥美さんはちゃんとした写真がなくてチンドン屋さんの格好してる写真しかなくて。
NHKでね『夢であいましょう』の。
いつも噂の時それが出るのよ。
そしたら「なんで俺はこの写真しか出ないんだ」って渥美さんが怒ってましたけど。
それでね渥美さんはこう言ってました。
噂になった時にね「いいですかお嬢さん」って。
私のことお嬢さんって呼んでたんだけど。
「僕の顔であなたの声でいてごらんなさいよ子供が」。
「タレントにするしかないでしょ」って言いましたんでうんそうだなってね思って「そうね」って言いました。
それでそれは何も起こらなかった?何も起こらない。
でも仲のいいのはずっと最後まで続きましたけど。
永六輔さんとも…。
永六輔さんとはねあの方ね何もないです。
今ねあの人私とね結婚…。
前はね…奥様亡くなったでしょ残念なことに。
そのあとね「僕は黒柳徹子さんと結婚しません」って勝手に言ったらみんなにウケてたらしいのよ。
だもんで言ってたらしいんだけどこの頃それでウケなくなったらね「黒柳徹子さんと結婚します」って言うとみんなにウケるからってこの頃「結婚します」ってどうも言ってるらしいんだけど。
なるほど。
でも永さんは…。
そのお気持ちはないんですか?向こうは「結婚します」って…。
永さんの娘が言ってましたよ。
「両方がしゃべってて相手の言うこと聞いてないだろ」って。
それもわかるような気がしますけどね。
でもまあ永さんとはいいお友達ですよ。
そうですか。
だって長いもの。
リチャード・ギアさんと食事したって本当ですか?そうそう。
それはリチャード・ギアさんはご自分でレストランをニューヨークの郊外に持ってるから「今度よかったら来てね」ってここで仰ったんですよ。
である日決まってちょうど私のいるとこに近かったんで行きました。
リチャード・ギアさんと食事をしたの?しました。
そうですか。
しましたけど本当にね面白いとこでしたニューヨークの郊外ってね。
本当に普通のなんてことない普通のこう…レストランたってただテーブルと椅子があって。
そこでパンも帰りに売ってるみたいなそういうとこですよ。
あの方どんな格好してきたかったらTシャツにね半ズボンはいてゴム草履履いていらっしゃいましたから。
それじゃ楽しくお食事をして…。
息子がねあれだから野球見に行くんだとか何かって話。
それでおしまいでいいんですか?これで終わりましたよ。
また来て。
そのデートはつながってないんですか…。
続きましては上沼恵美子さんの『おしゃべりクッキング』でございます。
どうぞ!2014/05/22(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋[解][字]

〜祝65歳!今明かす青春秘話〜大竹まことさんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
今日は65歳の誕生日!大竹まことさんがゲスト。
◇番組内容
大竹さんの息子は現在、芸能事務所でお笑い芸人のマネージャーをしているという。自分の知らないうちに「大竹マネージャー」としてテレビで歌ったり、演奏している姿を見て驚いていると明かす。ほか、大竹さんの小学生の頃の思い出や、20代の頃は一緒に暮らしていたという俳優・風間杜夫さんの話題を。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz

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