6佐野元春×浦沢直樹〜僕らの“ボブ・ディラン”を探して〜 2014.05.24

真冬のニューヨーク2人の男が歩いている。
佐野はこの街で1年暮らした事がある。
(佐野)ニューヨークに住んでいた頃は20丁目だからもう少しミッド寄りだね。
(浦沢)いいな〜。
本当に落書きが無くなりましたね。
うん。
きれいになった。
僕も住んでた時よく落書きしてたんだけど。
本当に?
(笑い声)2人はある人物に導かれるようにニューヨークにやって来た。
1950年代から続く老舗のライブハウス。
昔のディランの頃の体裁と随分違うんですよね。
ああそうだろうね。
ここはボブ・ディランがニューヨークに出てきたその日にステージに立ったという店だ。
音楽界の生ける伝説。
佐野も浦沢も人生を左右されるほどの影響を受けたという。
フォークロックブルースゴスペルやカントリーまで…。
その世界はまるで万華鏡のように絶え間なく変わり続けてきた。
歌詞への評価も高くノーベル文学賞候補に詩人として名前が挙がるほどだ。
73歳。
この春には来日ツアーでも存在感を見せつけた。
30年以上にわたって日本語ロックの可能性を追い求めてきた佐野元春。
詞を書き始めた中学時代のノート。
表紙の裏にはディランの写真と「TO“BOBDYLAN”」。
ボブ・ディランにささぐの文字。
まあ本当に今ちょっと気恥ずかしい感じはしますけど。
熱に浮かされたように毎日詞を書きつづっていたという。
「銀色の鎖を解いて鉄ごうしのドアを閉じる。
教会の平和の鐘が童話と夢に虹をかける。
占い師の姿は見えず砂浜で胸をぬらす。
ああ弱い花よ。
すぐに雨が降るよ」。
詞の隣にはディランの似顔絵が添えられている。
そこから何かを吸収して超えるんだみたいな気負いがこの「OVER“BOBDYLAN”」って言葉に出てる。
別のノートには「OVER“BOBDYLAN”」。
ディランを超えてと書かれていた。
ポップ曲の中のリリックというものを超えて…同じ時代に聴いていたヒットチャートに出てくるポップソングは大体アイラブユーユーラブミーで完結している曲が多かったですから。
漫画家浦沢直樹。
メガヒットを連発。
海外でも高く評価されている。
浦沢もまた中学生の頃ディランの音楽と出会った。
14歳の時。
言ってる意味が分からないのでこの写経を始めるんです。
翻訳を探し手で書き写したという歌詞カード。
とりわけ「ライク・ア・ローリング・ストーン」転がる石のようにという曲が胸に刺さった。
ド〜ンってなってその瞬間に…絵が頭の中に浮かんだんですなきっと。
そして20代後半「YAWARA!」で一躍売れっ子になった頃この曲の…という歌詞に再び胸をえぐられた。
ハッて気付いたのは…分かったふうな感じになったりいい気になったりとかいう時に…どんな状態になっても身ぐるみ剥がされりゃただの一人の人間だろうって言って…。
でも非常に難しい歌ですよね。
あれから…ディランから受けた衝撃は数十年の時を経て「20世紀少年」にまでつながっている。
狂気に駆られた新興宗教の教祖と対決しようとする主人公のケンヂ。
物語のクライマックスでケンヂが罵声を浴びながらもステージに立ち続けるシーンがある。
その姿には荒野で向かい風の中に一人立つ男というディランのイメージが重ねられている。
こっちの町並みの景色好きなんだ。
マンハッタンのダウンタウンを象徴する景色。
ディランはこのニューヨークで数々の名曲を生み出した。
OK。
2人のクリエーターがその足跡をたどりながら自らの原点を見つめる。
大雪の先に2人が見いだしたものは…。
グリニッジビレッジにあるライブハウス。
若き日のディランが歌っていたステージがある。
お〜温かい。
Thankyou.あのジミ・ヘンドリックスもここで見いだされたという。
あそこがステージだ。
狭いな。
狭いんだ。
客席は250。
ステージは20cmほどの高さしかない。
立っていいのかな?いいよ。
この小さなステージを出発点にディランの音楽人生は転がり始めた。
浦沢直樹がつづる「BOBDYLANの大冒険」。
中西部の田舎町を飛び出しミュージシャンを夢みてニューヨークにやって来たのは1961年19歳の時だった。
ヒッチハイクでたどりついてみると大雪が降っていた。
着いたその足で向かった先がこのライブハウスだった。
ここのディランが来た時の…みたいな感じでやってたみたいですね。
あんまり雪がひどい日に来たんで。
帰る所がなくて?ええ。
ああ。
奇妙な帽子に独特の声。
ディランはニューヨークの音楽シーンでたちまち注目された。
その名を一躍知らしめたのがセカンドアルバムの一曲「風に吹かれて」。
この曲のヒットでフォークソングの貴公子。
時代の代弁者とまでもてはやされるようになった。
ライブハウスから数ブロック。
20代のディランが通っていたという店がある。
店のたたずまいは当時とほとんど変わっていない。
創業は1880年。
数多くの文化人やミュージシャンたちでにぎわってきた。
コーヒーも紅茶もビールジョッキで出すのがこの店の流儀だ。
佐野もニューヨークで暮らしていた20代後半の1年間この店でよく詞を書いていた。
ここがねWhitehorseTAVERNっていうまあ何て言ったらいい?TAVERNですからそうですね。
あっちにはディラン・トマス。
ボブ・ディランも敬愛していた詩人で小説家のディラン・トマス。
この店で倒れそのまま亡くなったという逸話がある。
(2人)ロバート・アレン・ジィンママン。
ロバート・アレンロバート・ディランっていうのが音が似てるなっていうのでそれでボブ・ディランになったらしいですけどね。
どれだけ歩けば人として認められるのか。
どれだけ海を渡れば白い鳩は休めるのか。
どれだけ弾丸の雨が降れば武器は無くなるのか…。
「風に吹かれて」は「その答えは風の中に舞っている」と歌う。
公民権運動が大きな高まりを見せた1960年代。
この曲は運動の旗印となっていく。
今にもミサイルが発射されるのではないか。
第3次世界大戦が始まるのではないかっちゅうそういうのを「朝まで生テレビ!」のように…一説にはそういう話もあるんですよ。
言っているんだよね。
それぐらい答えの出ない事なんて山ほどあるよねっていう事じゃないですか?答えが出た段階でウソかもしれないよっていうね。
あの歌はそういうので永遠に新しい歌になっちゃったんですけど。
僕「Blowin’InTheWind」フォークソングとしてもポップソングとしても一流だと思うんだけど…。
それこそ下手すると何にも実現しやしないのさっていう…。
ニヒリズムに陥りがちな曲だよね。
だけども人々の考え感じ方がその後バラバラになっていく訳で。
いろんな価値観の中で人々は生きてますからね。
その中で…でも僕が思うに…虚無こそは僕らの人生の最大の敵ではないかと常々思ってる。
「風に吹かれて」の2年後に発表された「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」。
佐野はこの曲に決定的な影響を受けた。
意味のつながりを無視して矢継ぎ早に繰り出される言葉。
ディランの実験精神があふれる曲だ。
・「Butyou’redoin’itagain」・「Youbetterduckdownthealleyway」・「Lookin’foranewfriend」・「Themaninthecoon−skincapInthebigpen」当時はまだヒップホップラップはなかったですから僕にとっては「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」を聴いた時は…「パーキングメーターに気を付けろ」とかね。
ディランのリリックは…だからカットアップ的なものであったり。
10代の頃からずっと感じてた。
だからディランの詞に引かれていたのね。
一方1984年この街に僕が乗り込んできたらストリートレベルでいわゆるヒップホップカルチャーが炸裂していたんだね。
そして僕は…それが「コンプリケイション・シェイクダウン」。
そのとおりです。
1984年佐野がニューヨークで制作したアルバム…1曲目の「コンプリケイション・シェイクダウン」はいち早くヒップホップを取り込み日本の音楽界を驚かせた。
このアルバムには佐野流のメッセージを込めたプロテストソングも収められている。
あのアルバム聴いてるとこのニューヨークに来て窓辺から見える煙突から煙が上がったり…。
下水道から湯気が上がったりあの感じがするんですよねアルバム。
それはすごくうれしいよ。
映像を思い浮かべてくれたって事でしょ。
それすごくうれしいね。
僕と同じくらいの年格好の若い連中がドイツからもオーストラリアからもフランスからも来て…そんな時代だったと僕は思いますね。
漫画でいえばちょうどその時期大友克洋さんが「AKIRA」で漫画界を本当全部塗り替えようとしていた時期なんですね。
それまでアンダーグラウンドにいた人たちがメジャーのとこに出てきてそれは気持ちのいいぐらい新しい事で革新していってくれた。
不思議な事に同時期にフランスでメビウスっていう人が同じような線で脚光を浴びるんですけど。
これがやっぱり人類史的に非常に奇妙な…。
不思議だよね。
連絡取り合ってる訳でもないんだけれども…例えは悪い…どうかと思うんですけど…そういうような事が地球上でやっぱり何か起きてる。
だからニューウエーブだとかそういう感覚が…。
その事だけで苦闘してた感じしますね。
違う絵の模索をずっと長い間やってたような気がするんですよね。
浦沢の漫画家デビュー作…ある朝起きるとなぜか顔に目隠し線が入っていた主人公。
シュールなSFコメディーだ。
絵柄には大友克洋らの影響がうかがえる。
初ヒットは…元傭兵が主人公の人間ドラマだ。
更に翌年スタートした「YAWARA!」が大ヒット。
時代と向き合いながら独自の作風を打ち立てていった。
店を出てしばらく行くとそこには佐野のなじみの店が。
これがHOUSEOFOLDIESRARERECORDS。
ああいいですねえ。
ニューヨークに住んでいた時しょっちゅう佐野が通ったというレコードショップ。
アナログレコードにかけてはニューヨーク一番の品ぞろえだ。
あっこれあれだ。
新しく出し直したんだ。
もちろんボブ・ディランのコーナーもある。
これは一日いますね。
Wow!Thisismyfavorite.Great!イエ〜イ!買っちゃいましたよ。
買っちゃいました。
何買ったの?例のもの買っちゃいましたよ。
「DUSTYINMEMPHIS」。
ダスティ・スプリングフィールドのファンなの?好きですね。
B.B.キング。
これもライブ。
そして最後に浦沢さんが本当に買って喜んでるレコード。
ディラン。
セブンインチ「IWANTYOU」。
すごく珍しい。
これ実際いくらって言われたの?最初100です。
100ドルしたんだけども値切りに値切っていくらにしたの?う〜ん…それはないしょ。
再び浦沢直樹による「BOBDYLANの大冒険」。
1964年イギリスからビートルズ旋風がやって来る。
実はハイスクール時代はロカビリーに熱中していたディラン。
アコースティックギターをエレキに持ち替え大変身してしまう。
そして生まれたのが14歳の浦沢が雷に打たれたというあの曲だ。
裕福な暮らしから転落した女性に「どんな気がする?」と問いかける歌詞。
そのフレーズが時代の心を捉えた。
この曲は若者の娯楽にすぎないと思われていたロックを根底から変えたと高く評価される。
しかし当時旧来のフォークファンからは商業音楽に魂を売ったと大ブーイング。
けれどディランはそんな罵声さえもエネルギーに変えて次々と名作を生み出していく。
マンハッタン朝7時。
浦沢がふらりと街へ出た。
すごいよ。
朝日にエンパイアステートビルだよ。
やっぱりニューヨークは冬だね。
冬がいい。
雪ですよ雪。
ボブ・ディランの「THEFREEWHEELIN’」のジャケットですよ。
こういうとこ歩いてんですよボブ・ディラン。
グランドセントラルステーションの資料がなくて困った事があるんだよ。
(取材者)何の時ですか?「BILLYBAT」。
浦沢が現在連載中の…謎のコウモリを軸に時間と空間を超えてストーリーが展開する壮大な歴史SFミステリーだ。
セントラルステーションのシーンは物語の序盤に登場する。
そうだ。
この写真欲しかったんだ。
ストーリー作りに行き詰まるとディランならどうするだろうと考える。
あえて期待を裏切るかもしれない。
意外とストレートに来るかもしれない。
そんなふうに。
この日2人が待ち合わせたのはディランの詞の世界に影響を受けた佐野にとって特別な思い入れがある場所だという。
寒いところ。
いいですね。
雪がいいですね。
入ってみる?入りましょう。
OK。
ダウンタウンの一角にある…年末年始にはポエトリー・リーディングと呼ばれる詩の朗読のパフォーマンスが行われる。
その中心人物がボブ・ディランにも大きな影響を与えた詩人アレン・ギンズバーグ。
実は先ほどの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の映像にも顔を出している。
佐野もかつてギンズバーグにインタビューしこの教会で自作の詩を朗読した事がある。
簡単な音楽と一緒にリーディングする人もいたりギターを弾いたり。
ピアノもあるし。
一人一人が自由な形でもって表現していいんだという事。
そこにルールもこうでなければいけないという形もないという事だよね。
ニューヨーク以降佐野は詞とメロディーの関係を更に深く追究していく事になる。
2人はマンハッタンを離れ北へ向かった。
いよいよこの旅一番の目的地を目指す。
ロックフェスティバルで知られる山あいの街ウッドストックへ。
いやいい雪になりましたね。
たどりつけなかったらどうなるんでしょう?たどりつきたいよね。
途中で降りてくれっていう事になるのが一番嫌ですよね。
途中にディランゆかりのベアズヴィル・スタジオの建物がある。
もともとはボブ・ディランのマネージャーのアルバート・グロスマンが…。
よく知ってるね。
スタジオを建てた訳ですよね。
そのスタジオで佐野は1997年1枚のアルバムをレコーディングした。
あ〜でもそこに建物あるでしょ?はい。
あの入り口分かる?あれが僕のアルバム「THEBARN」のフロントカバー。
歩き出ていく所ですよね。
そうです。
今はどうなっているんですか?スタジオとしては。
機材はもうない?機材はない。
何の曲だかは忘れたけど…。
みぞれの事を歌った歌がありましたね。
そうそう。
あれはねウッドストックがみぞれになっちゃってだから「みぞれに打たれてもへこたれないで前に進むぜ」という歌を書いたんだけど…。
確かねみぞれが屋根にパチパチ当たる音もね入っちゃってたんじゃないかな。
でもそれも音楽だよね。
・「みぞれが道をふさいでも」・「向かい風が吹いてきても」ベアズヴィル・スタジオから更に数km奥へ。
いよいよお目当ての場所が近づいてきた。
うわ〜。
たどりついたのは何の変哲もない一軒家。
ここはディランにとって大きな転換点となる2枚のアルバムが生まれたいわば聖地だ。
アルバム「地下室」そして「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」。
ピンク色の外壁にちなんでビッグ・ピンクと呼ばれている。
・Hi!Hello.Nicetoseeyou.ThisisMoto.Moto!Mr.Urasawa.Hello,nicetomeetyou.WelcometoBIGPINK.Thankyouverymuch.現在の持ち主の好意で特別に入れてもらえる事になった。
日本のテレビカメラが入るのは初めてらしい。
Niceplace!It’sverysimple.Yeah,nice.ヒットチャートを席巻し全米ツアーを目前にしていた1966年。
ディラン25歳。
休暇をとってウッドストックの山道をバイクで飛ばしていた。
ところが…。
ディランは全てのスケジュールをキャンセルし療養生活を始める。
ちまたでは死亡説も流れたがここでひそかに大変身を遂げる。
後を追うようにやって来た仲間のミュージシャンザ・バンドの面々と共に全く新しい音作りが始まったのだ。
セッションを重ねる中から当時大流行していたサイケデリック・ロックの逆を行くなんとものんびりとした不思議な音楽が生み出されていく。
本当?ザ・バンドのメンバーがここに座っている写真ありますよね?Yes!Yousawthispicture.
(佐野浦沢)Wow!当時のままなんですよね。
こういう梁とか当時のまま?Specialfeeling.うわ〜!そのアルバム10代の頃よく聴きました。
このオープンリールのテープレコーダーを持ち込んで…。
まさにここに持ち込んだ訳です。
そうですね。
それでいわゆる…これですね。
これがザ・バンドのファーストアルバム。
これファーストアルバムですね。
ディランが描いたの。
ええ。
とんでもないヘタウマですよね。
でもこれが味がありますね。
…で後ろを見ると「MUSICFROMBIGPINK」ってちゃんとここにこの…ビッグ・ピンクの写真が。
そのままでしたね!そう。
僕たち音楽ファンはこの小さな1枚の写真からいろんな事を想像したよね。
浦沢がとりわけ衝撃を受けた「怒りの涙」。
「ジャンピャンピャン」っていうあの音でおよそポップレコードの始まり方ではないですよね。
僕もやっぱり当時衝撃で。
「これ何だろう?」と思ったんですよね。
当時の人たちはあの音を聴いて「何だろう?この奇妙な音は」って思ったに違いないね。
あんまり時代を感じない。
いつの時代の人が聴いても「何だこれは?」ってなるという事はやっぱり…ディランとその音楽はその後も目まぐるしく変わり続けた。
カントリーミュージックのアルバムを出したかと思えば顔面白塗りで登場しファンを驚かせた事もある。
ゴスペルに傾倒した時期もある。
ファンの反応がどうであろうとディランは決して一つ所にとどまる事なく世界を驚かせ続けてきた。
73歳を迎えた今も年間100日はステージに立つ。
その生きざまこそがボブ・ディランという一つの作品だ。
僕本当これはねとっても今佐野さんに聞いてみたい疑問というか質問なんですが…僕らの世代にとってロックミュージックというのはとても…漫画の隣にロックがあった。
僕の聞いた限りで…かっこいいっていう感じがすごく似てるんですよ。
あのかっこいいっていう感じは何なんでしょうね?多分ね子どもの頃に漫画を読む。
子どもの頃にロックンロールを聴く。
何を求めてるかっていうと…なぜならば親にしても教師にしても言いたい放題子どもに言ってくる。
あとはロックンロールってやっぱりダンスミュージックじゃないですか。
あるね。
理屈吹っ飛ばして踊ろうよっていう感じ。
そう。
僕漫画で思うのはよく電車でつり革つかまって「あっ僕の漫画を読んでるな」なんていう…。
そうするとクスッて笑ったりとか泣きそうな顔してたりこう1回行って戻ったり…。
僕らが書いた…漫画家が書いたセリフを泣いたり笑ったりするっていうそれがロックンロールで「みんな踊ろう」と言って踊る感じとすごい似てるような気がするんですよね。
それこそライブをやってるのと同じ感覚だね。
漫画においてはどうなんだろう?ストーリーというのがあるじゃない。
そして作画っていうのがあるじゃない。
それが言ってみれば…どうなの?駄目だったらクシャクシャッてやってポイッてやって次新しいアイデアってやる感じはとっても即興性に富んでて誰でも白い紙に鉛筆でもってコマ割りをして実はとっても…あんまりこう難しく考え過ぎない方がいい。
ロックンロールも漫画もねこうしてこれだけ長い歴史を経てくるとだんだんと知的になり過ぎたり複雑になり過ぎたり難しくなって。
やっぱり漫画描くのってそれなりの技術がいるんじゃないかとかね。
音楽やるのでもいろんな音楽理論やなんか学ばなくちゃいけないのかななんて思っちゃう人がいると思うけれども決してそんな事はなくて…複雑になり過ぎたなと気付いたらどこかでシンプルなところに戻る。
ああそうだよね。
そこだよね。
新しいっていうさっきの話もそうなんですよきっと。
そう。
それが有効かどうかって。
面白い話ですよね。
ディランの音楽に導かれるように佐野元春はミュージシャンになり浦沢直樹は漫画家になった。
いや〜すごい体験だった。
新しいもの心揺さぶるものはどこにあるのか。
答えは風の中かもしれないけど転がる石のようにこれからも探し続ける。
今日も世界のどこかでステージに立っているあの人のように。
2014/05/24(土) 22:00〜22:47
NHKEテレ1大阪
佐野元春×浦沢直樹〜僕らの“ボブ・ディラン”を探して〜[字]

ミュージシャン佐野元春と漫画家浦沢直樹によるNY二人旅。人生に決定的な影響を受けたという音楽界の生ける伝説ボブ・ディランの足跡をたどり、創造の原点を見つめ直す。

詳細情報
番組内容
14歳でディランの音楽から受けた衝撃が大ヒット漫画「20世紀少年」にまでつながっているという浦沢。中学時代、ディランに捧げるつもりで詩のノートを書き始めたという佐野。そんな2人がNYに飛び、ディランが初ステージを踏んだ小さなライブハウスや、伝説の名盤をレコーディングした一軒家など、「聖地」を旅する。二人のクリエイターの根底に生き続けるディランの精神とは?ロックと漫画の共通点とは?
出演者
【出演】ミュージシャン…佐野元春,漫画家…浦沢直樹,【語り】濱田岳

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
音楽 – その他
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0×0808)
EventID:11448(0x2CB8)