生字幕放送でお伝えしますこんにちは。
「ゆうどき」今からのスタートです。
まずはきょうは四国八十八か所の霊場の中継です。
きょうは徳島からです。
小松島市にある19番札所、立江寺では、境内を彩るある物が特別公開されて注目を集めています。
赤木さん。
赤木⇒修行中の弘法大師空海像が迎えてくれます。
19番札所立江寺です。
ここ立江寺は邪心があったり罪深いお遍路さんは、罰を受けて先に進むことができないと言われています。
関所寺として知られているんです。
ただ地元では、立江の地蔵さんなど親しまれていて日中、子どもが遊ぶ姿が見られます。
立江寺があるのは徳島県東部四国の海の玄関口として栄えた小松島市です。
かつては立江寺から、お遍路をスタートさせる人も多かったそうです。
ことしは四国八十八か所霊場が開かれて1200年と言われていて通常の2倍の参拝客が訪れてにぎわっています。
そんな歩き疲れたお遍路さん体だけではなく心も癒やすとっておきのものがことしは特別に本堂で公開されています。
通常の拝観時間は終了しているんですがきょうは特別に開けていただいています。
失礼します。
本堂の中は、金を基調とした広々とした空間が広がっています。
昭和52年に建てられたものなんですがその中央には、御本尊延命地蔵菩薩です。
空海が作ったとされ、全長およそ180cm。
大作ですよね。
奥にあっても存在感があります。
立江寺は何度も火災に見舞われてきたんですけれども、御本尊だけは、火災も免れてきた貴重なものなんです。
さらに、見えないんですが体内には、奈良時代の高僧行基が作ったとされる、小型の地蔵菩薩が納められています。
ただきょう見ていただきたいのは天井です。
色とりどりの絵が描かれているんです。
見えますか?合原⇒見えてきました。
286枚もあって全部違うデザインなんですよ。
この本堂が火災で焼けてしまったときに再建するときに描いてもらったもので、東京藝術大学の卒業生の作家さん46人によって描かれました。
中には国際的に活躍されているような方もいるということです。
バラエティー豊かです。
例えば鳥の絵なんですけれども羽根の部分が細かく描かれていますね。
勢いがありますね。
そして貝殻とタツノオトシゴが散りばめられたような絵が描かれています。
そして花や鳥もあるんですがこちらではラディッシュ、野菜なども描かれています。
赤いところですね。
そうです。
山本さん、合原さん、絵天井はどうですか。
山本⇒目を見張るずっと見ていたいですね。
合原⇒お寺としては珍しいですね。
お寺から特定のテーマはなく、自由に描いていただいたそうです。
副住職の庄野晃隆さんです。
どうして描いてもらったんですか。
お寺は残っていくものです、昭和に建て替えたときに昭和の美術を今後伝えていくというのはお寺の使命です。
描かせていただきました。
これだけあるといろんな角度があって目移りしますね。
おすすめの見方なんですが、ぜひ横になってみていただければ空間が広がってくると思います。
ちょっと失礼します。
今はできますね。
こうやって見ると立って見るより安定して、細部まで絵が見られますね。
空間も広がって見られます。
ぜいたくですよ、かなり。
ありがとうございます。
ことしは一般公開も通年でされてるということでいろんな方に見ていただけますね。
ぜひお遍路のお疲れを絵を見ていただいて、癒やしていただけたらと思います。
徳島から中継でお伝えしました。
お遍路を続けながら1つの大きな関所という話がありましたが、アクセントになりますね。
あすは高知県38番札所金剛福寺からお伝えします。
続いては「人生ドラマチック」です。
映像の魔術師といわれる大林宣彦さん。
映画作りを始めたころから時代に先駆けた映像表現を追求してきました。
その名前を一躍有名にしたのが尾道三部作。
独特の感性で切り取られた映像は人々のふるさとへの思いを揺さぶりました。
やっぱり、こうでなくちゃ。
そして、最新作は北海道芦別市が舞台。
尾道三部作に影響を受けた1人の青年。
ふるさと芦別への熱い思いが映画作りを実現させました。
76歳の今だからこそ伝えたいメッセージとは。
映画にかけるドラマチックな人生に迫ります。
きょうのお客様、映画作家の大林宣彦さんです。
ようこそいらっしゃいました。
大林⇒どうも。
「ゆうどき」は7年ぶりですね。
あっという間に時がたちますね。
まずは経歴をご紹介します。
20代30代はコマーシャルの世界で活躍をされます。
1982年ふるさと尾道を舞台にした映画「転校生」が公開。
その後「時をかける少女」「さびしんぼう」など尾道三部作を制作します。
現在公開中の最新作は独特の映像美と世界観で新境地を切り開いています。
まずは尾道を舞台にした映画誕生までを振り返ります。
1938年、大林宣彦さんは代々続く医者の家の長男として生まれました。
子ども時代のおもちゃは父親の映写機。
4、5歳のころにはフィルムに絵を描いて壁に映して遊んでいたといいます。
大学の映画学科に進学すると父親の8ミリで、自主映画作りにのめり込んでいきました。
こちらは20代のころの自主映画。
こうした映像が広告会社の目に留まりCMディレクターに。
コマーシャルに初めて海外のスターを登場させたともいわれます。
その数は20年で2000本余りという売れっ子でした。
そんな大林さんに、39歳のとき商業映画の世界から声がかかります。
一躍その名を有名にしたのは映画「転校生」。
大林監督が撮影の場所として選んだのが、ふるさと尾道でした。
尾道で喫茶店を営む大谷治さん。
お店がロケ場所になったのをきっかけに撮影に協力しました。
ところが大林監督が切り取る尾道は坂道の階段や、細い路地など日常の風景ばかり。
その思いとは裏腹に映画が公開されると意外なことが起きました。
撮影されたあの場所はどこなのかそこを見たいという人が続々と訪れるようになったのです。
この成功をきっかけに「時をかける少女」「さびしんぼう」が企画され尾道三部作が誕生。
尾道の名は全国に知られるようになりました。
映画の成功は地元の人の意識も変えました。
古い面影を残す町並みに誇りを持てるようになったのです。
大林⇒いやあ、ちょっと感動しました。
ありがたいことですよ。
この「転校生」を作ったのは高度経済成長期の真っ最中で、町おこし、古いものを壊してどんどん新しい町にしようと私はその町おこしが実は文化の暮らしを壊す町壊しじゃないかと思いまして。
町守りということで古い尾道の町をしわを取ったんですよ。
田舎のおじいちゃんのしわしわに触って人生はこういうものかと、孫が学ぶことがすばらしいんですよ美人だってしわだらけになります。
おふくろさんのしわは子育て日記なんですよ。
しわを塗りたくってしまうという町おこしの、僕にとっては悲しいことがあったので古いものを愛してという点で描いたんですが、「転校生」は中止要請がありました。
観光客が来ないからやめてくれと。
当時はそういう反応があると思っていましたか。
古い町は残そうよと言っても耳を貸さない時代です。
ファンタジックなものを作ってしわだらけのおじいちゃんおばあちゃんの物語から生まれるんだよというのを描きました。
尾道のしわが階段だったり坂道だったり路地だったり。
不便で汚い、汚れているところばっかりと言われていたんですがそこは僕は愛して初恋の少女を思ったりするわけで崩れたところは決して汚いものではないおじいちゃんのしわです。
全国の人は感動してくださって尾道を住みたい場所日本中のふるさとが町壊ししていたとき尾道にはふるさとがあるよ私はふるさと映画作家と名乗って全国の古いふるさとに訪ねて映画を作るようになったんです。
尾道の方が考え方が変わってきたという話でしたね。
若い人が不便で古い尾道に人や汗の心があって、ここで暮らしてみたいということになりまして古い町で若い人が発見してくれるんです。
こういうものがなくなったら日本はおしまいだ。
文明が進化して僕たちが生きるのは古い暮らしの文化思いやりという中に生きているんですね。
それがなくなっているということを若い方たちが感じていればここには人情が残っている大事なのは人の情ですからね。
何回も言っていますが不思議ですが大林さんのおとりになった場所を探しているんです。
JRで通過しながらお寺があって路地があってと理屈じゃないところで私たちの中で残っているんですね。
日本の歴史で考えても敗戦少年で戦争中の子どもなんですよ。
ちょっと上の人たちが毎日敬礼をして出かけていてお骨になって帰ってくる先輩たちが命懸けで守ってくれたふるさと高度経済成長期には日本人がその手で壊し始めたんです。
これだけは決して許されないことだとお兄さんたちが守ってくれた日本を僕たちが守らなければいけない。
ふるさとを守る映画を作ろうと思ったんです。
若い方が共感をしてくれたのはうれしいですね。
撮り続けて50年今、新たな境地に挑んでいます。
尾道で10本余りの映画を撮った大林監督。
その後、映画の舞台は各地に広がっていきます。
大分、長野、新潟。
大林監督が力を入れるようになったのがふるさと映画。
その土地の風景や人々の暮らしに注目するようになっていきました。
北海道芦別市を舞台に撮影した最新作「野のなななのか」。
92歳で亡くなった元医師のなななのか、四十九日までの間に親族や関係者が集まり戦中戦後の記憶が明らかになっていくストーリーです。
あなたは帰ってきた。
まだ間に合いましたか。
現在と過去、生きている人間と死者が交錯するという独特の世界が繰り広げられます。
撮影初日、大林監督はある男性のお墓の前に立ちました。
17年前に亡くなった市役所職員のお墓参りのためでした。
その人、鈴木評詞さんは亡くなる前監督に1通の手紙を出しました。
尾道三部作を見て自分のふるさとも映画に描いてほしいとお願いしたのです。
その後、鈴木さんは大林監督を地元に招き毎年映画の勉強会を開催。
鈴木さんの志を受け継いだ仲間によってことし20年越しにようやく映画が実現しました。
この映画で大林監督は新たな挑戦をしました。
バブル期に地元に造られたテーマパーク。
僅か数年で閉鎖されたこの場所を映画のシーンに組み込み芦別が直面した厳しい現実にも触れています。
さらに大林監督は地元の人のふるさとへの思いもせりふに織り込みました。
大林監督が挑む、ふるさと映画。
出演した常盤貴子さんは映画作りに参加した地元の人たちの熱い思いに触れました。
山本⇒まさにふるさと映画ということですけれども大林さん、きょうは趣向があります。
合原⇒電話がつながっています。
大西俊夫さんです。
映画の製作委員会で事務局長を努めていらっしゃいますが映画でも駅長として出演されています。
大西さん。
大西⇒よろしくお願いします。
鈴木さんの志を引き継いで映画が完成です。
どんなお気持ちでいらっしゃいますか。
鈴木評詞君の夢がかなえられたということと私たちにとっても夢であり願いであり思いであったものが映画という1つの形となって、実現したといううれしさといいますか喜びが1つですね。
それと芦別という僅か1万5000人足らずの小さな町なんですけれどもそこから人が生きることのなんていいますか意味ですとか人と人のつながりとか家族の絆とか平和への願いというものが、全国に発信されたことに対してスタッフやキャストの方に感謝、そして同時にそこに携われた私たちがある種、誇りのようなものを感じているというところですね。
山本⇒大西さん、常盤貴子さんを駅のホームで抱き締めるというか近づいたらだめだというシーンを拝見しましたなかなかの熱演でした。
廃止になったテーマパークを取り上げられた、これについてはどのようにお考えですか。
大変難しいと言いますか実は、私もこの点に関しては、いいとか悪いとか言える立場じゃないといいますか。
実は私も推進をしていたというかある時期経営のほうにも携わっていたことがあるものですからそれについてどうこう言う立場ではないと思うんですけれどもただ当時はどうしてもバブルに全国的にも浮かれていたといいますかそういう時代でもありますか芦別もバスに乗り遅れてはいけないという意識もあってそしてそうすることが芦別の地域活性化の起爆剤になる。
そういう思いでやったんです。
市民の方も開園当時はたくさんの方がラベンダーの植栽に協力されてくださって、町のために協力されたところなんです。
ところが結果として負の遺産ということになりましたので相続放棄はできませんので負の遺産にこれからは正面から向き合っていかなければいけないし。
今現在も市民のボランティアの方がそこで花を植えたり草刈りをしている。
ですからマイナスをいきなりプラスにかえることはなかなか難しいと思いますけれどもいろいろと知恵を出し合って決して将来生きていく子どもたちにつけを残してはいけないのでそれを解決するというのが、今生きる私たちの使命なのかなというふうに思っているところです。
山本⇒ありがとうございました。
大西さんの話がありましたが負の遺産というテーマパークを描きました。
尾道のときには、しわを描いたり坂道を描いたり路地を描きましたね。
大林⇒芦別は大自然です。
でもその大自然は人が一緒になって作った自然なんです。
日本の自然が美しくなくなったという声が聞こえますがそこで暮らしている人のありようが美しくなくなったんです。
人が賢いから自然も賢いんです。
それを撮影しようと思いました。
大西さんが言っていました、人間は間違えるものです間違って戦争もしたものです。
間違いだったと思ったときに次をどのように生きるかを考えることが勇気であり賢さです。
町壊しだと今は言えますが負の遺産だけれどもそれをそのままなくすのではなくてそこから学んだもの伝えようこの映画はね自主制作映画なんですが私が死んだときには御香典が入りませんから今ください。
そのお金で作られているんです。
これは死んでしまったときにもらうお香典のお葬式ですが、生きているうちにもらうのは生きている子どもたちに語るべきことを伝えること、それは遺言です。
だって北海道の戦争が、9月の5日まで続いていたなんて若い方や日本人のほとんどが知りませんでしょ?映画の中に、そのことも含めて戦争のときから今までの震災も含めて、いろんな問題が散りばめられていますね。
劇映画というよりも一種のジャーナリズムというかエッセーです。
日本人が忘れてはいけない学ばなければいけない敗戦の歴史や戦後の復興のあり方やものとお金があればいいということで心を失ってしまった。
そのあり方、いろんなことに対して学ぶふだんでもそういうことは、まゆをしかめて難しい問題ですから考えたくないし、忘れたい。
戦争のこと震災のことも忘れたい。
でもこれは恋愛映画です。
恋愛映画を見ながら、はらはらどきどきわくわくしながら難しいことをみんなで楽しく考えて語り合う一歩先、未来の平和に向かって進んでいく。
映画はその意味で風化しないジャーナリズムなんです。
ふるさとを応援しているという映画というよりもふるさとをもう一度問い直しなさいというふうにも見えます。
大事なことは日本を問い直さなければいけない。
それを楽しく語り合うぜひこの映画と皆さんでやって僕、私ならこう思う。
未来の平和につながるための合原⇒きょうは映画作家の大林宣彦さんをお迎えしてお伝えしています。
お便りが届いています。
監督の映画の影響で尾道を訪れたことがあります。
私がいちばん好きな作品は「さびしんぼう」です。
映画の最初に流れるショパンの「別れの曲」もぴったりはまっています、今でもその曲を聴くと「さびしんぼう」を思いだします。
去年「あまちゃん」に尾美としのりさんが出ているときも「さびしんぼう」のイメージのまま尾美さんを見てしまいました。
山本⇒「あまちゃん」ではお父さん役タクシー運転手でしたね。
合原⇒大林監督のにこにこしている顔も大好きです。
鈴木評詞君が「さびしんぼう」が大好きで話がきたんです。
それが20年前の約束につながります。
つながっていますね。
つながることが大事なんです。
つながることで平和になります。
途切れると戦争になります。
もう1つです。
その土地を大事にして心が温まる映画を作られてきたことを詳しく知ることができました。
見たあと誰もが、心がほっこりしますねといただいています。
映画のファンですという方からたくさんいただいています。
ありがたいですね。
これから描いてみたいことは何でしょうか?芸術というのが大事なのが例えば、ゴッホとピカソ全く違います。
違うものどうしが、お互いの違うところを認めて許しあって、理解しあって手を結ぶだから芸術は平和です。
政治や経済は残念ながら競争社会です。
相手をやっつけると自分がいちばん。
どうしても人類は戦争がやめられません。
平和になるコツは芸術的にみんなが生きることなんです。
そう思って私は芸術としての映画を伝え続けていこうと思っています。
次の構想は決まっていますか?ええまあ、それはまだ。
あしたはあしたの風が吹く。
ふくみのあるおことばですね。
よりよい風が吹くでしょうね。
あすの内容です。
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まだシーズンには早い?いえいえ、春の尾瀬はびっくりな気象現象のオンパレード。
ひと味違った尾瀬の魅力を紹介します。
「行ってみたい!」はお茶どころとして知られる島根県松江市。
茶道が盛んで、独特のお茶の楽しみ方があります。
伝統を受け継ぎ形を変えて親しまれるお茶文化に触れました。
2014/05/28(水) 17:28〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどき ▽大林監督生出演・尾道3部作の制作秘話を語る ▽お遍路中継[字]
人生ドラマチックは、映画作家・大林宣彦さん。尾道3部作の制作秘話・市民と作る映画作りについて、たっぷりとうかがいます。▽お遍路1200年 阿波の寺から生中継
詳細情報
番組内容
【キャスター】山本哲也,合原明子
出演者
【キャスター】山本哲也,合原明子
ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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